元号一覧 (朝鮮)
元号一覧(げんごういちらん)では、朝鮮における歴代元号について記述する。なお朝鮮は伝統的に中国の冊封体制下に入っていたので、基本的には中国王朝の暦を用いていた。このため、朝鮮独自の元号は少ない。韓国では1962年以降使われておらず、北朝鮮では1997年以降主体が使われている。
三国時代
編集→「三国時代 (朝鮮半島)」も参照
高句麗
編集→「高句麗」も参照
実際にはこの他にも元号があった。たとえば延嘉七年己未銘を持つ金銅如来像が発見されており、539年に比定されている[1][2]。
新羅
編集→「新羅の入寇」も参照
- 建元 : 536年 - 551年
- 開国 : 551年 - 568年
- 大昌 : 568年 - 572年
- 鴻済 : 572年 - 584年
- 建福 : 584年 - 633年
- 仁平 : 634年 - 647年
- 太和 : 647年 - 650年
- 650年から唐の年号を用いる
後三国時代
編集→「後三国時代」も参照
後百濟
編集→「後百濟」も参照
後高句麗(摩震)(泰封)
編集→「泰封」も参照
高麗
編集→「高麗」も参照
遼(契丹)に服属(993年~)後は遼の年号を使用。政治情勢に応じて遼と宋の年号の両方が現れる。遼滅亡後は金の正朔を奉じ、元に服属(1259年)すると元の年号を用いた。高麗末期の混乱期には、明の年号のほか、北元の宣光年号が確認される。
朝鮮王朝・大韓帝国(旧韓国)
編集建国当初より明国に事大し、明の年号を忠実に使用。1636年に清に服属すると、清の正朔を奉じる。また、密かに明最後の年号崇禎を使用している(崇禎紀元)。
日本統治時代
編集→「日本統治時代の朝鮮」も参照
連合軍軍政期
編集→「連合軍軍政期 (朝鮮史)」も参照
大韓民国
編集→「大韓民国」も参照
朝鮮民主主義人民共和国
編集→「朝鮮民主主義人民共和国」も参照
脚注
編集- ^ 吉良文男『いまこそ知りたい朝鮮半島の美術』小学館、2002年、8頁。ISBN 4096070130。
- ^ 田辺三郎助「仏像」『新版 韓国 朝鮮を知る事典』平凡社、2014年、490頁。ISBN 9784582126471。