内務次官(ないむじかん)は、日本内務省1873年(明治6年) - 1947年(昭和22年)の次官。職業公務員(官僚)が昇進して到達する最高位の役職(資格任用制)である。

概要

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1886年(明治19年)に各省官制が制定され、内務省にも次官職が設置された。1900年(明治33年)5月に各省次官は総務長官と改称されたが、三年後の1903年(明治36年)12月に元の次官に戻された。

内務次官は、警保局長、警視総監と共に「内務三役」と呼ばれ[1]、退任後は貴族院勅選議員に選任される者もいた。戦前官僚機構のトップである内閣書記官長や、枢密顧問官に選任される者もいた。

戦後1947年(昭和22年)12月31日、「内務省及び内務省の機構に関する勅令等を廃止する法律」(昭和22年12月26日法律第238号)により内務省が廃止され、内務次官も廃された。

歴代内務次官

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内務次官

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氏名 就任日 退任日 前職 備考
芳川顕正 1886年(明治19年)03月03日 1890年(明治23年)05月17日 東京府知事 逓信大臣内務大臣
白根専一 1890年(明治23年)05月17日 1892年(明治25年)07月15日 愛知県知事 逓信大臣
北垣国道 1892年(明治25年)07月16日 1892年(明治25年)07月19日 京都府知事 北海道庁長官
渡辺千秋 1892年(明治25年)07月19日 1894年(明治27年)01月31日 北海道庁長官 宮内大臣
松岡康毅 1894年(明治27年)01月31日 1896年(明治29年)11月21日
松平正直 1896年(明治29年)11月21日 1897年(明治30年)01月06日 熊本県知事
中村元雄 1897年(明治30年)01月06日 1898年(明治31年)01月12日 群馬県知事 貴族院勅選議員
松岡康毅 1898年(明治31年)01月12日 1898年(明治31年)07月04日 農商務大臣、枢密顧問官
鈴木充美 1898年(明治31年)07月04日 1898年(明治31年)11月09日 衆議院議員
松平正直 1898年(明治31年)11月09日 1899年(明治32年)04月07日 貴族院勅選議員、枢密顧問官
小松原英太郎 1899年(明治32年)04月07日 1900年(明治33年)05月20日 司法次官

内務総務長官

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氏名 就任日 退任日 前職 備考
小松原英太郎 1900年(明治33年)05月20日 1900年(明治33年)10月25日 内務次官 文部大臣
大森鍾一 1900年(明治33年)10月25日 1902年(明治35年)02月08日 兵庫県知事 皇后宮大夫皇太后宮大夫
山県伊三郎 1902年(明治35年)02月08日 1903年(明治36年)12月05日 内務省地方局長

内務次官

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氏名 就任日 退任日 前職 備考
山県伊三郎 1903年(明治36年)12月05日 1906年(明治39年)01月07日 内務総務長官 逓信大臣、朝鮮総督府政務総監
吉原三郎 1906年(明治39年)01月17日 1908年(明治41年)07月20日 内務省地方局長 2代東洋拓殖株式会社総裁
臨時議会事務局出身
一木喜徳郎 1908年(明治41年)07月20日 1911年(明治44年)09月04日 文部大臣(現文部科学大臣)、内務大臣
床次竹二郎 1911年(明治44年)09月04日 1912年(大正元年)12月21日 樺太庁長官 大蔵官僚。内務大臣、鉄道大臣、逓信大臣
押川則吉 1912年(大正元年)12月21日 1913年(大正02年)02月21日 農商務次官 貴族院勅選議員、製鉄所長官
水野錬太郎 1913年(大正02年)02月21日 1914年(大正03年)04月16日 内務省地方局長
下岡忠治 1914年(大正03年)04月16日 1915年(大正04年)07月02日 枢密院書記官長 農商務次官、朝鮮総督府政務総監
久保田政周 1915年(大正04年)07月02日 1916年(大正05年)12月27日 東京府知事(現東京都知事 横浜市長、東洋拓殖総裁
水野錬太郎 1916年(大正05年)12月27日 1918年(大正07年)04月23日 内務官僚。内務大臣、文部大臣
朝鮮総督府政務総監
小橋一太 1918年(大正07年)04月25日 1922年(大正11年)06月14日 内務省土木局長 文部大臣、東京市長
川村竹治 1922年(大正11年)06月14日 1922年(大正11年)10月24日 内閣拓殖局長官 司法大臣
堀田貢 1922年(大正11年)10月24日 1923年(大正12年)06月15日 警視総監
井上孝哉 1923年(大正12年)06月15日 1923年(大正12年)09月05日 神奈川県知事
塚本清治 1923年(大正12年)09月05日 1924年(大正13年)01月09日 内務省社会局長 内閣書記官長、貴族院勅選議員
井上孝哉 1924年(大正13年)01月09日 1924年(大正13年)06月11日 衆議院議員、大阪府知事
湯浅倉平 1924年(大正13年)06月11日 1925年(大正14年)09月04日 警視総監 朝鮮総督府政務総監、内大臣
川崎卓吉 1925年(大正14年)09月04日 1927年(昭和02年)04月23日 内務省警保局長 鈴木喜三郎内相により更迭。
文部大臣、商工大臣
安河内麻吉 1927年(昭和02年)04月23日 1927年(昭和02年)07月15日 神奈川県知事 在職中に死去。
杉山四五郎 1927年(昭和02年)07月19日 1928年(昭和03年)05月16日 京都府知事
潮惠之輔 1928年(昭和03年)05月16日 1931年(昭和06年)08月08日 内務省地方局長
次田大三郎 1931年(昭和06年)08月08日 1931年(昭和06年)12月13日 内務省警保局長 内閣書記官長
河原田稼吉 1931年(昭和06年)12月13日 1932年(昭和07年)05月27日 台湾総督府総務長官 内務大臣、文部大臣
潮惠之輔 1932年(昭和07年)05月27日 1934年(昭和09年)07月10日 内務大臣、文部大臣
丹羽七郎 1934年(昭和09年)07月10日 1935年(昭和10年)06月28日 内務省社会局長官 東北大京大
赤木朝治 1935年(昭和10年)06月28日 1936年(昭和11年)03月13日 内務省社会局長官 戦前戦後と癩予防法制定・らい予防法にも携わる
湯沢三千男 1936年(昭和11年)03月13日 1937年(昭和12年)02月10日 兵庫県知事 内務大臣
篠原英太郎 1937年(昭和12年)02月10日 1937年(昭和12年)06月05日 愛知県知事 京都市長
広瀬久忠 1937年(昭和12年)06月05日 1937年(昭和12年)12月24日 内務省社会局長官 初代厚生次官、厚生大臣
羽生雅則 1937年(昭和12年)12月24日 1938年(昭和13年)06月24日 三重県知事
館哲二 1938年(昭和13年)06月24日 1939年(昭和14年)09月05日 東京府知事 富山県知事、参議院議員
大達茂雄 1939年(昭和14年)09月05日 1940年(昭和15年)07月24日 北支那方面軍法制顧問 満州国総務庁長、昭南特別市
東京都長官、内務大臣、文部大臣
挟間茂 1940年(昭和15年)07月24日 1940年(昭和15年)12月23日 茨城県知事 2代目日本住宅公団総裁
萱場軍蔵 1940年(昭和15年)12月23日 1941年(昭和16年)10月18日 警視総監
湯沢三千男 1941年(昭和16年)10月18日 1942年(昭和17年)02月17日 大日本産業報国会理事長 内務大臣
山崎巌 1942年(昭和17年)02月17日 1943年(昭和18年)04月22日 警視総監
唐沢俊樹 1943年(昭和18年)04月22日 1944年(昭和19年)07月25日 東亜研究所常務理事 法務大臣
山崎巌 1944年(昭和19年)07月25日 1945年(昭和20年)04月09日 内務大臣、自治大臣
灘尾弘吉 1945年(昭和20年)04月09日 1945年(昭和20年)08月19日 内務省地方局長 文部大臣、厚生大臣、衆議院議長
古井喜実 1945年(昭和20年)08月19日 1945年(昭和20年)10月10日 愛知県知事 法務大臣、厚生大臣
坂千秋 1945年(昭和20年)10月10日 1946年(昭和21年)01月15日 北海道庁長官(現北海道知事 普通選挙法日本国憲法施行に携わる
大村清一 1946年(昭和21年)01月15日 1946年(昭和21年)05月22日 日本育英会理事長
(現日本学生支援機構
内務大臣、防衛庁長官(現防衛大臣
飯沼一省 1946年(昭和21年)05月22日 1947年(昭和22年)02月04日 神祇院副総裁 東京都長官(現東京都知事
斎藤昇 1947年(昭和22年)02月04日 1947年(昭和22年)06月09日 山梨県知事 初代警察庁長官東大・東大
鈴木幹雄 1947年(昭和22年)06月09日 1947年(昭和22年)12月31日 警視総監 最後の内務次官、京大法卒

脚注

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  1. ^ 『内務省史 第一巻』643頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 大霞会『内務省史 第一巻』地方財務協会、1971年。

関連項目

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