加藤圭
加藤 圭(かとう けい、1991年8月18日[1] - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。女流棋士番号は64[1]。茨城県日立市出身[1]。加瀬純一七段門下[1]。川村学園女子大学卒業(心理学専攻)[2]、同学大学院心理学専攻修了[3]。
加藤圭 女流二段 | |
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2019年10月19日 | |
名前 | 加藤圭 |
生年月日 | 1991年8月18日(33歳) |
プロ入り年月日 | 2018年6月21日(26歳) |
女流棋士番号 | 64 |
出身地 | 茨城県日立市 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 加瀬純一七段 |
段位 | 女流二段 |
女流棋士DB | 加藤圭 |
2021年4月2日現在 |
棋歴
編集女流棋士になるまで
編集小学4年生のとき(2001年度)、家にあった将棋入門書をたまたま読んで将棋を始め、将棋ゲームソフトやインターネットで将棋を指すことに熱中した[2]。しかし、1年ほどで将棋ゲームソフトのレベルが四段に上がると熱が冷め、将棋から離れた[2]。
臨床心理士の資格を取得してスクールカウンセラーの職に就くことを志望していた加藤は、川村学園女子大学(心理学専攻)を卒業し、2014年4月に同学大学院心理学専攻に進学した(臨床心理士試験は、大学院修了が受験要件)[2]。同年、第72期[4]名人戦七番勝負(森内俊之名人に羽生善治が挑戦し、羽生が名人を奪取)のインターネット中継を偶然に見た加藤は、将棋熱が一気に再燃した[2]。小学4年から1年間、将棋ゲームソフトで遊んだだけで、それから12年ほどを将棋と無縁に過ごした加藤であるが、第4局で羽生が指した「4一金」が最終的に勝利の一手になったことを一目で理解できたという[2]。加藤は、将棋倶楽部24で毎日ネット将棋を指すようになり、心理学の勉強が片手間になるほど熱中した[2]。
ネット将棋しか指したことのなかった加藤は、将棋大会への出場を思い立った[5]。はじめて出場した[5]、2015年9月13日の第47期女流アマ名人戦で3位に入賞し[6]、加藤のことを全く知らない大会関係者は「あれは誰?」と驚いたという[5]。11月8日には、第8回女子アマ王位戦・関東大会で準優勝した[7]。
女流アマ名人戦で好成績を修めたことをきっかけに、加藤は、同じ振り飛車党である加瀬純一・七段(のちの師匠)の主宰する将棋教室に通って腕を磨いた[5]。2016年3月に大学院を修了した加藤は、女流棋士という職業を強く意識するようになった[5]。当時の規定では、女流棋士になるには満25歳までに研修会に入会せねばならず、加藤は既に24歳であった[5]。加藤は、同年の10月-11月に行われる臨床心理士試験を受験するのを諦め[5]、加瀬純一・七段門下として[5]、同年8月[5]、関東研修会D1に入会した[3]。加藤は、学童保育の契約社員として働きながら研修会に通った[5][8][9][10]。
2017年10月8日、関東研修会の10月第1例会で3連勝し、直近11局で9勝2敗となり、C1に昇級して「女流3級」となる権利を得た。その後もしばらく研修会で指し続けたが、資格申請を以て2018年2月1日付で女流3級となった[3]。これより2年以内に女流2級に昇級すると正式に女流棋士と認定される。
2018年6月21日、第4回YAMADA女流チャレンジ杯1回戦で中村桃子に[11]、2回戦で小高佐季子にそれぞれ勝ち[11]、続く3回戦で飯野愛を破ってベスト4入りを決め[11]、女流2級への昇級規定「YAMADA女流チャレンジ杯ベスト4」を満たして同日付で女流2級に昇級し[12]、正式な女流棋士になると同時に女流棋士番号「64」を付与された[1]。
女流プロ入り後
編集2019年10月11日、第31期女流王位戦予選で上田初美に勝利して「女流王位戦予選決勝進出」の規定を満たし、女流1級に昇級した[13]。2020年3月16日、第47期女流名人戦予選で水町みゆに勝利して「女流名人リーグ入り」の規定を満たし、女流初段に昇段した[14]。2021年4月2日、第1期女流順位戦順位決定リーグで安食総子に勝利しB組1位を確定させ、リーグ最終戦および順位決定トーナメントを待たずして来期の「女流順位戦A級入り」以上を確定させたことにより、女流二段に昇段した[15]。女流順位戦の規定による昇段の適用第1号となった。
棋風
編集人物
編集昇段・昇級履歴
編集主な成績
編集在籍クラス
編集開始 年度 |
女流順位戦 | |||||||||||||||||
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期 | 白玲 | A級 | B級 | C級 | D級 |
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2021 | 1 | 順位決定トーナメント戦4位
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2022 | 2 | A 03 | 4-5
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2023 | 3 | A 05 | 4-5
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2024 | 4 | A 06 | 2-6
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2025 | 5 | A 07 |
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女流順位戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e “女流棋士データベース”. 日本将棋連盟. 2020年3月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g “加藤圭さん<1>臨床心理士の夢がぐらついた思い出の名人戦|喜怒哀楽のサラリーマン時代”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ (2018年10月16日). 2018年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月21日閲覧。
- ^ a b c d e f “加藤圭研修会員が女流棋士3級に|将棋ニュース”. 日本将棋連盟 (2018年2月1日). 2020年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月17日閲覧。
- ^ “第72期名人戦・順位戦 七番勝負”. 日本将棋連盟. 2019年10月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “加藤圭さん<2>女流棋士を目指しつつ学童の契約社員に応募|喜怒哀楽のサラリーマン時代”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ (2018年10月17日). 2018年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月21日閲覧。
- ^ “SRJ・栄光ゼミナール杯第47期女流アマ名人戦【開催報告】”. 日本将棋連盟 (2015年9月29日). 2018年2月1日閲覧。
- ^ “11/8(日) 第8回女子アマ王位戦・関東大会の模様”. LPSA (2015年12月4日). 2021年7月4日閲覧。
- ^ “加藤圭さん<3>発達障害の子供に噛まれたときは驚きました|喜怒哀楽のサラリーマン時代”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ (2018年10月18日). 2019年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月5日閲覧。
- ^ “加藤圭さん将棋があったから上司の忠告も聞き流せた|喜怒哀楽のサラリーマン時代”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ (2018年10月19日). 2019年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月21日閲覧。
- ^ “女流棋士加藤圭さん<5>学童での経験が棋士活動に役立った|喜怒哀楽のサラリーマン時代”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ (2018年10月20日). 2018年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月5日閲覧。
- ^ a b c “加藤圭女流3級がベスト4進出 第4回YAMADA女流チャレンジ杯|棋戦トピックス|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2018年6月21日). 2020年3月17日閲覧。
- ^ a b “加藤圭女流3級が女流2級に|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2018年6月21日). 2020年3月17日閲覧。
- ^ a b “加藤圭女流2級が女流1級に昇級”. 日本将棋連盟 (2019年10月15日). 2019年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月17日閲覧。
- ^ a b “加藤圭女流1級が女流初段に昇段|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2020年3月17日). 2020年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月15日閲覧。
- ^ a b “加藤圭女流初段が女流二段に昇段”. 日本将棋連盟 (2021年4月5日). 2021年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月5日閲覧。
- ^ 大川慎太郎「公式棋戦の動き - 第4回YAMADA女流チャレンジ杯」、『将棋世界』(2018年9月号)、日本将棋連盟 pp. 167-177
- ^ “「22歳の時、将棋と出会って」 加藤圭女流二段インタビュー〈1〉”. スポーツ報知 (2021年7月7日). 2021年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月11日閲覧。
- ^ 加藤圭女流二段インタビュー〈3〉報知スポーツ2021年7月7日
- ^ a b 北野新太 (2021年10月22日). “「あの方の言葉がなかったら将棋を辞めて金沢に帰っていました」田中沙紀女流2級が再デビュー”. スポーツ報知 (報知新聞社) 2021年10月22日閲覧。