北区 (名古屋市)

愛知県名古屋市の行政区

北区(きたく)は、名古屋市を構成する16区のうちの一つである。1944年昭和19年)に当時の東区西区のそれぞれ一部を併せる形で成立した[1]。区名は、当地が区制施行時における名古屋市の北部に位置する地域であったことに由来する[1]

きたく ウィキデータを編集
北区
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
名古屋市
市町村コード 23103-7
面積 17.53km2
総人口 161,012[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 9,185人/km2
隣接自治体
隣接行政区
名古屋市中区西区守山区東区
春日井市北名古屋市西春日井郡豊山町
区の木 サクラ[1]
区の花 コスモス[1]
北区役所
所在地 462-8511
愛知県名古屋市北区清水四丁目17番1号[1]
北緯35度11分39秒 東経136度54分41.7秒 / 北緯35.19417度 東経136.911583度 / 35.19417; 136.911583座標: 北緯35度11分39秒 東経136度54分41.7秒 / 北緯35.19417度 東経136.911583度 / 35.19417; 136.911583
北区役所
外部リンク 名古屋市北区
北区の県内位置北区 (名古屋市)位置図
ウィキプロジェクト
北部副都心大曽根
黒川
(北清水親水広場)
UR水草団地

概要

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名古屋市の北部に位置し、JR中央線地下鉄名城線名鉄瀬戸線名鉄小牧線などの鉄道、名古屋高速道路1号楠線国道19号41号などの幹線道路が南北に走っている[1]

以前は区内に工場が多く見られたが、現在は撤退し[1]、その跡地に大規模な公営住宅やマンションが多く見られる[2]

「北区」の区名を持つ現存の行政区のうちでは最も古い[注 1]

地理

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地形

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河川

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主な川

湖沼

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主な池
  • 御深井池
  • 六が池

主な地域

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区内各町については記事末尾の「名古屋市北区の町・字」および名古屋市の地名#北区を参照

人口

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北区の人口の推移
2000年(平成12年) 167,450人
2005年(平成17年) 166,503人
2010年(平成22年) 165,845人
2015年(平成27年) 165,357人
2020年(令和2年) 163,321人
総務省統計局 国勢調査より[3]

隣接自治体・行政区

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名古屋市の行政区
他の市町村

歴史

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1956年頃の黒川

古代

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西志賀町西志賀遺跡からは弥生時代前期、平手町志賀公園遺跡は弥生時代から中世期の遺物が出土しており[1]、少なくとも弥生時代には当地に生活する人々がいたようである。また、式内社として区内には綿神社・多奈波太神社羊神社別小江神社・大井神社・味鋺神社と6社があり、神社を中心に居住者があったようである[1]

中世

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中世期には現在の志賀公園にあたる地に織田信長家老として知られる平手政秀の邸宅があり[1]、付近を治めていたという。

近世

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江戸時代

江戸時代当地は尾張藩に属し、成願寺村・中切村・福徳村・光音寺村・喜惣治新田・大蒲新田・如意村・味鋺村・味鋺原新田・志水蓮池新田・杉村・大曽根村・矢田村・山田村・辻村・上飯田村・安井村・東志賀村・西志賀村・田幡村の20村が所在し、主に農業により生計を立てていた[4]

近代

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明治時代

明治時代に入り、市制町村制が施行されると、金城村杉村六郷村萩野村川中村如意村味鋺村の7村に集約された[4]。 その後も合併が進み、1906年(明治39年)には如意・味鋺両村が楠村1933年(昭和8年)には萩野・川中両村が萩野村となった[4]

近現代

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昭和時代
  • 1944年昭和19年) - 東区と西区の一部地域を併せる形で北区が設置される[4]
  • 1946年(昭和21年) - 東区六郷学区を編入する[4]
  • 1951年(昭和26年) - 中区上名古屋町字北野を編入する[4]
  • 1955年(昭和30年) - 西春日井郡楠村を編入する[4]
  • 1988年(昭和63年) - 市制百周年を記念し、公募により「北」を象った区のシンボルマーク制定[1]

現代

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平成時代
令和時代
  • 2021年(令和3年)3月1日 - 北区認知症フレンドリーコミュニティ宣言。

政治

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北区役所
 
北区役所楠支所

行政

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区長

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歴代区長
氏名 就任期間 備考
1 山谷 健一[6] 1944年2月11日 - 1945年10月1日[6]
2 柴田 喜太郎[6] 1945年10月2日 - 1946年10月30日[6]
3 西山 健[6] 1946年10月31日 - 1950年8月18日[6]
4 角南 登三太[6] 1950年8月19日 - 1955年9月30日[6]
5 塩田 実男[6] 1955年10月1日 - 1958年9月24日[6]
6 服部 一夫[6] 1958年9月25日 - 1961年6月4日[6]
7 井上 瀧雄[6] 1961年6月5日 - 1965年6月15日[6]
8 近藤 清長[6] 1965年6月16日 - 1967年6月30日[6]
9 中西 長一[6] 1967年7月1日 - 1969年8月15日[6]
10 秋月 智顕[6] 1969年8月16日 - 1972年7月31日[6]
11 篠田 利弘[6] 1972年8月1日 - 1974年8月22日[6]
12 片田 繁夫[6] 1974年8月23日 - 1976年5月14日[6]
13 荒川 茂[6] 1976年5月15日 - 1977年8月9日[6]
14 岩田 謙一郎[6] 1977年8月10日 - 1979年4月11日[6]
15 片田 耕司[6] 1979年4月12日 - 1980年10月7日[6]
16 三宅 磯二[6] 1980年10月8日 - 1982年5月6日[6]
17 杉山 明[6] 1982年5月7日 - 1985年3月31日[6]
18 吉田 謙藏[6] 1985年4月1日 - 1988年3月31日[6]
19 白鳥 仁[6] 1988年4月1日 - 1991年3月31日[6]
20 中村 勇[6] 1991年4月1日 - 1992年3月31日[6]
21 井口 俊明[6] 1992年4月1日 - 1994年3月31日[6]
22 服部 一良 1994年4月1日 - 1997年3月31日
23 長井 隆弘 1997年4月1日 - 2000年3月31日
24 日下部 英昭 2000年4月1日 - 2003年3月31日
25 春名 秀機 2003年4月1日 - 2005年3月31日
26 百瀬 昭 2005年4月1日 - 2008年3月31日
27 近藤 淑徳 2008年4月1日 - 2010年3月31日
28 平岡 研二 2010年4月1日 - 2012年3月31日
29 住田 博 2012年4月1日 - 2014年3月31日
30 松本 一彦 2014年4月1日 - 2017年3月31日
31 津坂 昌樹 2017年4月1日 - 2020年3月31日
32 小林 靖弘 2020年4月1日 - 2022年3月31日
33 五味澤 陽平 2022年4月1日 - 2024年3月31日
34 飯田 真由美 2024年4月1日 -

役所

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区役所
市の施設
  • 名古屋市環境局北環境事業所
  • 名古屋市北土木事務所
  • 名古屋市上下水道局北営業所
    • 三階橋ポンプ所
    • 落下ポンプ所

出先機関・施設

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国家機関

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名古屋北年金事務所
 
名古屋北税務署
 
法務総合研究所名古屋支所

厚生労働省

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日本年金機構

財務省

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国税庁

法務省

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検察庁

施設

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愛知県警察名北分庁舎
 
愛知県北警察署
 
名古屋市北消防署
 
名古屋北郵便局
 
名古屋市北図書館
名古屋市北文化小劇場
 
名古屋市北生涯学習センター
二代目北区役所庁舎
 
名古屋市北スポーツセンター

警察

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消防

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医療・福祉

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主な病院

区内に所在する救急指定病院に限って記載する。

郵便局

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集配郵便局

主な公園

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  • 名城公園
  • 志賀公園
  • 楠公園

文化施設

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図書館
社会教育施設
主な劇場

運動施設

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その他の施設

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経済

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第二次産業

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工業

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主な工場

第三次産業

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商業

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主な繁華街
商店街・地下街
主な商業施設
 
 
1.5 km
16
15
14
13
12
11
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1
略地図
1
アオキスーパー上飯田店
2
アピタ名古屋北店
3
アミカ大曽根店
4
イオンスタイル上飯田(そよら上飯田)
5
DCMカーマ城北店
6
黒川ガスプラザ
7
tonarino(トナリノ)
8
ドンキホーテ名古屋本店
9
ナフコトミダ杉栄店
10
バロー光音寺店
11
パワーズ上飯田店
12
ピアゴ味鋺店
13
フィール志賀公園店
14
EQVo!(エクボ) 辻町店
15
マックスバリュ鳩岡店
16
マックスバリュ若葉通店

本社を置く企業

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上場企業
その他の主な企業

情報・生活

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中部電力大曽根変電所

ライフライン

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電力

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  • 中部電力
    • 大曽根変電所
    • 志賀変電所
    • 萩野変電所

ガス

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上下水道

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教育

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大学

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私立
 
愛知学院大学名城公園キャンパス

 その他に、名古屋産業大学のサテライトキャンパスがある。

専修学校

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高等学校

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市立

中学校

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市立

小学校

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1871年(明治4年)9月の名古屋県による「義校設立勧誘の達」に応じて、1872年(明治5年)・1873年(明治6年)の両年にかけて義校が開校した[7]。このとき開校したのは、城北小学校の源流となった安井義校(明治6年10月開校、安井村字地蔵堂、現安井四丁目の清学禅寺付近)・清水小学校の源流となった杉村仮義校(明治5年9月開校、杉村久国寺境内、翌年1月に第七義校と改称)・六郷小学校の源流となった大壮義校(明治6年2月「大壮学校」と称する寺子屋より改組、大曽根村円満寺境内)・楠小学校の源流となった味鋺義校(明治6年3月開校、味鋺村天神の西方寺境内)・同じく楠小学校の源流となった如意義校(明治6年5月、如意村北浦の鶏足坊)の5校であった[7]

学制発布により、臨時的に設置されていた義校が新たな制度下の小学校として改組することとなった[8]。大曽根村の大壮義校が1873年(明治6年)9月、第2中学区第47番小学大壮学校、さらに1876年(明治9年)1月に第1中学区第47番小学大曽根学校と改称[8]。久国寺の第七義校は1874年(明治7年)、校地を寺の西に移し、第1中学区第71番小学含章学校と称し、1876年(明治9年)第1中学区第17番小学清水学校と改称した[8]。通学区域は名古屋区清水町と杉村だったという[8]。如意義校は1873年(明治6年)10月、瑞応寺観音堂に移り、第2中学区第55番小学琢玉学校と称したが、1876年(明治9年)1月第3中学区第74番小学如意学校と改称し、如意村字山屋敷に移った[8]。通学区域は如意村及び大蒲新田・喜惣治新田だった[8]。味鋺義校は1874年(明治7年)3月、味鋺原村の興進学校と合併し、味鋺原村日輪寺において第2中学区第53番小学興進学校として開校した[8]。さらに1876年(明治9年)11月、味鋺村字伊勢山に校舎を新築し、第2中学区第53番小学興進学校味鋺分校と称し、翌年1月第3中学区第76番小学味鋺学校とした[8]。通学区域は味鋺村・味鋺原新田だった[9]

さらに教育令下において、1883年(明治16年)12月、安井学校が安井・辻・光音寺・福徳・下中切・成願寺の6村から成る組合立学校となった[10]。また、1880年(明治13年)2月に如意学校が第29番小学如意学校、味鋺学校が第28番小学味鋺学校とそれぞれ改番した[10]

小学校令により、各学校の名称が「西春日井郡尋常小学」を冠するようになった[11]。第47番小学大曽根学校は1886年(明治19年)4月、西春日井郡尋常小学大曽根学校となった[11]1887年(明治20年)4月、如意学校が味鋺学校を併合し、西春日井郡尋常小学如意学校となった[11]。しかし、通学が不便になったため通学児童の減少し、翌年7月に如意学校味鋺分校として復活した[11]。1887年(明治20年)第17番小学清水学校が西春日井郡尋常小学清水学校となった[11]

1892年(明治25年)、組合立安井学校が萩野村立安井尋常小学校、尋常小学如意学校が如意村立如意尋常小学校、如意学校味鋺分校が味鋺村立味鋺尋常小学校にそれぞれ改称し、川中村立川中尋常小学校が新設された[12]。翌年には尋常小学清水学校が清水尋常小学校に改称し、尋常小学大曽根学校が現校地である六郷村大字大曽根字野中に新築移転した上で六郷村立六郷尋常小学校と改称した[13]。また、1892年(明治25年)10月、金城村字田幡の林泉寺境内に清水町・杉村・六郷村・萩野村・庄内村・川中村・味鋺村・金城村の組合立による東部高等小学校が成立し、戦前教育制度における小学校の原型がほぼ整うこととなった[13]

その後、1901年(明治34年)金城村田幡に金城尋常小学校が、1906年(明治39年)7月楠村成立に伴い、如意尋常小学校・味鋺尋常小学校を併せ楠村立楠尋常小学校が、1908年(明治41年)4月萩野村・川中村の組合立による城北尋常小学校が新設された[14]

区成立直後の1945年(昭和20年)当時、国民学校として飯田・下飯田・杉村・大杉・城北・清水・金城の7校が所在していた[15]。加えて、1946年(昭和21年)に区境界変更に伴い、六郷学区が東区より編入された[15]。新学制開始時には、この8校が北区の名古屋市立小学校として発足したが、下飯田小学校は1948年(昭和23年)9月、飯田小学校に統合され、同年12月に名北小学校として再度分離した[15]

昭和30年代に入ると第1次ベビーブーム世代が大量に入学し、1958年(昭和33年)9月、城北小学校より光城小学校が、1961年(昭和36年)4月、金城小学校より東志賀小学校、同年9月、楠小学校より味鋺小学校がそれぞれ独立した[16]

昭和40年代には1972年(昭和47年)4月、味鋺小学校から西味鋺小学校が、翌年4月には楠小学校から楠西小学校が、昭和50年代には1978年(昭和53年)4月、楠小学校から如意小学校が、1979年(昭和54年)4月、飯田小学校より宮前小学校が、1980年(昭和55年)4月、光城小学校より川中小学校が、1981年(昭和56年)4月、六郷小学校より六郷北小学校が、1983年(昭和58年)4月、名北・城北・東志賀小学校より辻小学校がそれぞれ毎年のごとく独立した[17]

以上の経緯により、現在は区内に以下の19校の小学校が所在する。

市立

その他の教育施設

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職業能力開発校
自動車学校

かつて存在した学校

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名古屋市警察訓練所(名古屋市警察学校)校舎。初代北区役所庁舎を改装して使用した。

交通

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県営名古屋空港
 
名古屋市の北部副都心となる大曽根駅
 
黒川バスターミナル

空港

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県営名古屋空港

鉄道

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  東海旅客鉄道(JR東海)
  中央本線:(名古屋市守山区)- 大曽根駅※1 -(名古屋市千種区)
  名古屋鉄道(名鉄)
ST 瀬戸線:(名古屋市中区)- 清水駅 - 尼ヶ坂駅 - 大曽根駅 ※1 -(名古屋市守山区)
KM 小牧線:(平安通駅 - 上飯田駅:地下鉄上飯田線と直通運行) - 味鋺駅 -(春日井市)
  名古屋市交通局名古屋市営地下鉄
  名城線:(名古屋市中区)- 名城公園駅 - 黒川駅 - 志賀本通駅 - 平安通駅 - 大曽根駅※1 -(名古屋市東区)
  上飯田線:平安通駅 - 上飯田駅 - (全線区内)

※1.地下鉄名城線の大曽根駅の東半分および瀬戸線大曽根駅、JR大曽根駅の所在地は東区だが、区界付近に所在している。

城北線国道302号名古屋第二環状自動車道に沿って東西方向に横断しているが、駅はない。(最寄りは比良駅

バス

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路線バス

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バスターミナル
交通広場
営業所

道路

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名古屋第二環状自動車道名古屋高速道路 楠JCT

凡例 : IC - インターチェンジ、JCT - ジャンクション、TB - 本線料金所。なお、番号は各施設の管理者により振られているもの。

高速道路

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中日本高速道路(NEXCO中日本)
  • C2名古屋第二環状自動車道:(春日井市)- (12) 楠IC - (13) 楠JCT - (名古屋市西区
名古屋高速道路

国道

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県道

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市道

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幹線道路の道路通称名

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<南北の道路>
<東西の道路>

観光

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平手政秀邸址
 
瑞応寺
 
護国院
 
成願寺
 
山田天満宮
 
味鋺神社
 
御用水跡街園
 
ザ・シーン城北

名所・旧跡

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城郭・屋敷
主な寺院
主な神社
  • 神道大教
    • 神道大教愛知御嶽永壽小教会(大杉)[28]
  • 扶桑教
    • 扶桑教真心教会(深田町)[28]
  • 御嶽教
    • 御嶽教覚明教会(柳原)[28]
    • 御嶽教中山教会(神明町)[28]
  • 金光教
    • 金光教名城教会(敷島町)[28]
    • 金光教田幡教会(柳原)[28]
  • 神道系単立教会
    • 宗教法人御山本部(東味鋺)[28]
    • 世界大和陽明教会(長喜町)[28]

キリスト教会

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遺跡

観光スポット

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公園
文化施設
建築
温泉
  • 庄内温泉「喜多の湯」

文化・名物

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祭事・催事

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主な催事

全国選抜名古屋大花火(矢田川花火大会)

東海ラジオ放送が1964年8月1日に開始した花火大会。1989年8月5日に開催されたものは「東海ラジオ放送創立30周年記念事業」の一環として行われた。2004年を最後に開催されていない。

KITA JAZZ!

  • 2018年(平成30年)、北区をジャズで盛り上げるプロジェクトとして始動。
  • 名古屋市北区は、名古屋市内中学校で最も歴史が古いジャズアンサンブル部をもつ名古屋市立若葉中学校、2013年から毎年名古屋最大級のジャズフェスティバル「名古屋ジャズストリート」を開催している大曽根商店街、2015年に公募で結成されたジャズの市民ビッグバンド「The Polar Star Jazz Orchestra」を有することから、こうした北区ならではの魅力「ジャズ」を通じて、さらに区の魅力を育てたいという想いで始まる。
  • ほぼ毎月、プロのジャズミュージシャンによるミニコンサートを名古屋市北区内で開催。

出身関連著名人

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五十音順

脚注

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注釈

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  1. ^ 現存しない区では大阪市旧北区(現北区の主要部分)が最古。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 水野時二・林薫一・岩崎公弥監修 1992, p. 168.
  2. ^ 水野時二・林薫一・岩崎公弥監修 1992, p. 170.
  3. ^ 「毎月1日現在の世帯数と人口(全市・区別)」
  4. ^ a b c d e f g 水野時二・林薫一・岩崎公弥監修 1992, p. 169.
  5. ^ SAKUMACHI商店街
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap 北区制50周年記念事業実行委員会編 1994, p. 580.
  7. ^ a b 北区制50周年記念事業実行委員会編 1994, p. 271.
  8. ^ a b c d e f g h 北区制50周年記念事業実行委員会編 1994, p. 273.
  9. ^ 北区制50周年記念事業実行委員会編 1994, p. 274.
  10. ^ a b 北区制50周年記念事業実行委員会編 1994, p. 275.
  11. ^ a b c d e 北区制50周年記念事業実行委員会編 1994, p. 277.
  12. ^ 北区制50周年記念事業実行委員会編 1994, p. 278.
  13. ^ a b 北区制50周年記念事業実行委員会編 1994, p. 279.
  14. ^ 北区制50周年記念事業実行委員会編 1994, p. 283.
  15. ^ a b c 北区制50周年記念事業実行委員会編 1994, p. 491.
  16. ^ 北区制50周年記念事業実行委員会編 1994, p. 493.
  17. ^ 北区制50周年記念事業実行委員会編 1994, p. 495.
  18. ^ a b c 北区役所教育課編 1964, p. 52.
  19. ^ 『西枇杷島郡誌』西枇杷島郡教育会、1923年、637頁。
  20. ^ 「関西僧尼学」とも称していたようである(北区役所教育課編『北区誌』北区役所総務課、1964年、52頁)。
  21. ^ 郷土誌かすがい第31号2013年7月14日閲覧。
  22. ^ a b 北区役所教育課編 1964, p. 51.
  23. ^ 『愛知県警察風土誌』愛知県警察本部警務部教養課、1981年、35頁。
  24. ^ a b c 愛知県警察史編集委員会編 1975, p. 277.
  25. ^ 名古屋市WEBサイト 消防学校”. 2013年5月19日閲覧。
  26. ^ 名古屋市都市計画基本図「名古屋城」(昭和33年作成)”. 2014年1月5日閲覧。
  27. ^ a b 学校法人愛知朝鮮学園 愛知県民族教育の沿革 1945年~1969年”. 2014年1月5日閲覧。
  28. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 愛知県県民生活部学事振興課 2013, p. 9.
  29. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai 愛知県県民生活部学事振興課 2013, p. 10.
  30. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 愛知県県民生活部学事振興課 2013, p. 11.

参考文献

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  • 水野時二・林薫一・岩崎公弥監修『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。 
  • 北区制50周年記念事業実行委員会編『北区誌』1994年。 
  • 北区役所教育課編『北区誌』北区役所総務課、1964年。 
  • 愛知県警察史編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』愛知県警察本部、1975年。 
  • 愛知県県民生活部学事振興課 編『宗教法人名簿』2013年。 愛知県図書館蔵)

外部リンク

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