北近畿タンゴ鉄道宮津線
宮津線(みやづせん)は、京都府舞鶴市の西舞鶴駅から同府宮津市の宮津駅を経由して兵庫県豊岡市の豊岡駅までを結ぶ、WILLER TRAINS(京都丹後鉄道、丹鉄)を第二種鉄道事業者、北近畿タンゴ鉄道 (KTR) を第三種鉄道事業者とする鉄道路線である。
宮津線 | |||
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由良川橋梁を走る宮舞線列車 (2015年8月) | |||
基本情報 | |||
通称 |
宮舞線(西舞鶴駅 - 宮津駅間) 宮豊線(宮津駅 - 豊岡駅間) | ||
国 | 日本 | ||
所在地 | 京都府、兵庫県 | ||
起点 | 西舞鶴駅 | ||
終点 | 豊岡駅 | ||
駅数 | 19駅 | ||
路線記号 |
■M(宮舞線) ■T(宮豊線) | ||
開業 | 1924年4月12日 | ||
民営化 | 1987年4月1日 | ||
三セク転換 | 1990年4月1日 | ||
上下分離 | 2015年4月1日 | ||
最終延伸 | 1932年8月10日 | ||
所有者 |
鉄道省→ 運輸通信省→運輸省→ 日本国有鉄道(国鉄)→ 西日本旅客鉄道(JR西日本)→ 北近畿タンゴ鉄道 (KTR) (第一種鉄道事業者 →第三種鉄道事業者) | ||
運営者 |
WILLER TRAINS(京都丹後鉄道) (第二種鉄道事業者) | ||
使用車両 | 車両の節を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | 83.6 km | ||
軌間 | 1,067 mm | ||
線路数 | 全線単線 | ||
電化方式 |
直流1,500 V 架空電車線方式 (宮津駅 - 天橋立駅間) | ||
最大勾配 | 25 ‰ (1 ° 25 ′) | ||
最小曲線半径 | 300 m | ||
閉塞方式 | 特殊自動閉塞式(電子符号照査式)[1] | ||
最高速度 | 85 km/h (53 mph) | ||
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停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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営業上は西舞鶴駅から宮津駅までの区間に「宮舞線(みやまいせん)」、宮津駅から豊岡駅までの区間に「宮豊線(みやとよせん)」の愛称が付けられている[2][3]。
本項目では、主に丹鉄移行前の概要について記すこととする。丹鉄移行後の運行形態・運行状況については以下の記事も参照。
概要
編集もとは日本国有鉄道(国鉄)・西日本旅客鉄道(JR西日本)の路線で、1990年4月1日から北近畿タンゴ鉄道 (KTR) が運営していたが、2015年4月1日からは京都丹後鉄道を第二種鉄道事業者、北近畿タンゴ鉄道を第三種鉄道事業者とする上下分離方式によって運行されている(後述)。
丹後半島の付け根を通り、日本三景の天橋立などへの観光の足となっている。
路線データ
編集運行形態
編集広域輸送
編集沿線に観光地や海水浴場を数多く控えていることから、観光輸送や夏季の海水浴客輸送のために大阪・京都方面から多くの特急列車が設定されていた。かつては、舞鶴線西舞鶴駅経由でも京都方面との特急列車が設定されていたが、2008年3月15日のダイヤ改正ですべての特急列車が宮福線経由に変更され、西舞鶴駅 - 宮津駅間は快速・普通列車のみの運転となった。また、新大阪方面への直通列車は2011年3月12日のダイヤ改正で全廃された。
西舞鶴経由の優等列車(急行「丹波」・急行「大社」など)については「はしだて (列車)#沿革」および「きのさき (列車)#沿革」を参照。
地域輸送
編集普通列車は、沿線住民の生活のほかに、宮津駅・天橋立駅での特急接続を考慮したダイヤとなっている。
1 - 2時間に1本運行されている。夜間滞泊は西舞鶴駅・宮津駅・網野駅・豊岡駅で行っており、始発列車は西舞鶴行きが網野発6時06分、豊岡発5時56分、豊岡行きが宮津発5時54分、西舞鶴発6時17分である。最終は西舞鶴発が豊岡行き20時45分(宮津発は21時18分)、網野行きが22時(宮津発は35分)、22時台2本目の24分発が宮津行きである。豊岡発西舞鶴行きは21時26分(宮津発は22時49分)である[4]。
観光型列車として一部の普通列車が「タンゴ悠遊号」「丹後あかまつ号」「丹後あおまつ号」「丹後くろまつ号」として運転される。
車両
編集京都丹後鉄道移行後の車両については「京都丹後鉄道宮舞線#車両」および「京都丹後鉄道宮豊線#車両」を参照のこと。
北近畿タンゴ鉄道移管後
編集- 気動車
- 特急形
- KTR8000形 - 北近畿タンゴ鉄道西舞鶴運転区所属
- 特急「はしだて」「たんごリレー」に使用。かつては特急「タンゴディスカバリー」に使用されていた。
- KTR001形 - 北近畿タンゴ鉄道西舞鶴運転区所属
- 臨時列車用。かつては特急「タンゴエクスプローラー」「たんごリレー」に使用されていた。
- KTR8000形 - 北近畿タンゴ鉄道西舞鶴運転区所属
- 一般形
- KTR700形・KTR800形 - 北近畿タンゴ鉄道西舞鶴運転区所属
- 普通列車用。一部は「丹後あかまつ」「丹後あおまつ」「丹後くろまつ」「コミューター車両」となっている。
- MF100形・MF200形 - 北近畿タンゴ鉄道福知山運転支区所属
- 普通列車用。基本的に宮福線に使用されるが、宮津線にも極稀に使用されている。
- KTR700形・KTR800形 - 北近畿タンゴ鉄道西舞鶴運転区所属
- 特急形
JR西日本の車両
編集国鉄・JR西日本時代の車両
編集貨物列車は西舞鶴機関区(現在の北近畿タンゴ鉄道西舞鶴運転区)が、旅客列車は豊岡機関区(現在のJR西日本福知山電車区豊岡支所)の機関車が主に担当していた。宮津線は、京都府内の国鉄線では最後の蒸気機関車運転区間だった(1972年10月1日運用終了)。
- 蒸気機関車
- 気動車
- 一般形 - 福知山機関区(現・JR西日本福知山運転所)所属
- キハ10形・キハ17形
- 中舞鶴線(1972年11月1日で廃止)と共通運用。
- キハ20形・キハ25形
- キハ55形・キハ26形
- キハ58形・キハ28形
- キハ47形
- キハ10形・キハ17形
- 特急形 - 向日町運転所(現・JR西日本吹田総合車両所京都支所)所属
- 一般形 - 福知山機関区(現・JR西日本福知山運転所)所属
歴史
編集宮津線の周辺の鉄道を敷設しようとする動きは明治期からあり、特に後の宮福線にあたる福知山と結ぶ鉄道の計画は何度も繰り返されてきた。鉄道建設の運動をしていた地元の丹後鉄道急設期成同盟会では、民営による鉄道建設と運営の難しさを感じ、国による建設を訴える方向に転じた。これをうけて1918年(大正7年)の帝国議会で舞鶴(現在の西舞鶴駅)と峰山を結ぶ峰山線(みねやません)の建設予算案が通過した[5]。
当初の建設計画では、舞鶴から真壁峠を越えて志高で由良川を渡り、由良川左岸に沿って下って現行ルートに取り付くようになっていた。しかし架橋の計画を知った上流の大江地区などからは、橋が水流の障害となって引き起こされる洪水への懸念から強い反対運動が起きた。そこで再調査の結果、1921年(大正10年)7月の計画変更で、神崎村まで由良川右岸に沿って下って、河口付近で由良川を横断する現行計画に改められた[5]。
その後舞鶴側から工事が順次進められ、宮津線として網野まで1926年(大正15年)12月に開通した。さらに豊岡までも峰豊線(みねとよせん)として計画され、豊岡側からも工事が進められた結果1932年(昭和7年)8月に全通し、峰豊線は宮津線に編入された。
全通後は鉄道省 - 日本国有鉄道(国鉄)が運営をしてきたが、国鉄の経営悪化に伴い1980年(昭和55年)の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)の規定により、特定地方交通線(第3次)に指定された。その頃、国鉄が開業させる予定で建設が進められながら、同じく国鉄再建法の規定で建設中断となっていた宮福線を引き受ける第三セクター会社として宮福鉄道が設立されることになっていたことから、地元ではこの会社に宮津線も引き受けさせて第三セクター化することとした。宮津線はその後西日本旅客鉄道を経て、宮福鉄道を改称した北近畿タンゴ鉄道が1990年(平成2年)4月1日から承継した。同日廃止の鍛冶屋線・大社線と共に最後までJR運営で残った特定地方交通線であり、各線の廃止・経営移管を最後に特定地方交通線全線の転換が終了した。
第三セクター化後、宮福線の高速化・電化事業に関連して宮津 - 天橋立間の電化が実施され、京都や大阪方面から直通の特急電車が乗り入れるようになっている。
その一方で、過疎化やマイカー化等により、普通列車等の地域交通としての役割が揺らぎ、さらには高速道路の延伸に伴う観光客のマイカー・バスへの転移などもあって、赤字が山積してきており、特に天橋立-豊岡方面の乗客減が特に顕著なことから、北近畿タンゴ鉄道の経営主体の京都府は、兵庫県に対し、運行本数見直しや一部路線の廃止も含めた検討を始めたことが明らかとなり、地元自治体と検討会を設置し、2011年9月までに結論を出すとしていた[6]。検討会(北部地域総合公共交通検討会)は、当初予定より1年遅れて2012年9月に「中間とりまとめ」を府に提出し、この中で上下分離方式の導入や経営組織の変更、設備更新投資、ダイヤ・企画乗車券の見直しなどの提言を盛り込んだ[7]。
2015年4月1日に、鉄道運行事業が北近畿タンゴ鉄道からWILLER ALLIANCEの子会社であるWILLER TRAINS(京都丹後鉄道)に移譲された。これに伴い、京都丹後鉄道が第二種鉄道事業者、北近畿タンゴ鉄道が第三種鉄道事業者となり、上下分離方式による運行を開始した[2]。同時に路線愛称と路線記号・駅番号が設定された。
年表
編集国鉄→JR西日本
編集- 1924年(大正13年)4月12日:鉄道省 宮津線[8][注釈 1]の舞鶴(現在の西舞鶴駅) - 宮津間(15.5M≒24.94km)が開業。四所駅、東雲駅、丹後由良駅、栗田駅、宮津駅が開業[8]。
- 1925年(大正14年)
- 1926年(昭和元年)12月25日:宮津線[12][注釈 2]の峰山 - 網野間(4.5M≒7.24km)が開業。網野駅が開業[12]。
- 1927年(昭和2年)3月7日:18時27分に発生した北丹後地震(M7.3。峰山・網野を中心に死者2925人)で舞鶴 - 網野間が不通となったが、早期に復旧し、復旧復興の物資・人員輸送を担う。8日には天橋立駅まで、9日には丹後山田駅まで、14日には網野 - 口大野間が復旧。21日に全面復旧[13]。
- 1929年(昭和4年)12月15日:峰豊線[14][注釈 2]の豊岡 - 久美浜間(7.4M≒11.91km)が開業。但馬三江駅(現在のコウノトリの郷駅)、久美浜駅が開業[14]。
- 1930年(昭和5年)4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(舞鶴 - 網野間 34.6M→55.7km、豊岡 - 久美浜間 7.4M→11.9km)。
- 1931年(昭和6年)5月25日:宮津線[15][注釈 2]の網野 - 丹後木津間 (5.6km) が開業。丹後木津駅(現在の夕日ヶ浦木津温泉駅)が開業[15]。
- 1932年(昭和7年)8月10日:峰豊線[注釈 2]の丹後木津 - 久美浜間 (10.8km) が開業[16]し、峰豊線が全通。峰山線と峰豊線を合わせた舞鶴 - 豊岡間が宮津線となる[16]。丹後神野駅(現在の小天橋駅)が開業[16]。
- 1944年(昭和19年)
- 1946年(昭和21年)11月21日:高野信号場廃止。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に移管。
- 1957年(昭和32年)6月22日:丹後神崎駅が開業。
- 1962年(昭和37年)3月1日:甲山駅(現在のかぶと山駅)が開業。
- 1963年(昭和38年)5月25日:口大野駅を丹後大宮駅に改称。
- 1972年(昭和47年)10月1日:山陰本線綾部(舞鶴線経由)・西舞鶴 - 網野間で京都府内の国鉄線で最後の蒸気機関車運転、西舞鶴機関区(現・北近畿タンゴ鉄道西舞鶴運転区)所属の9600形蒸気機関車を使用。
- 1980年(昭和55年)12月27日:「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」(国鉄再建法)公布、施行[9]。
- 1985年(昭和60年)3月14日:貨物営業廃止。
- 1986年(昭和61年)4月7日:国鉄、宮津線を含む第3次特定地方交通線12線の選定承認申請[9]。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
北近畿タンゴ鉄道→京都丹後鉄道
編集- 1990年(平成2年)
- 1992年(平成4年)1月10日:列車無線運用開始。
- 1993年(平成5年)
- 1996年(平成8年)3月16日:宮津線の宮津 - 天橋立間が電化(直流1,500V)および高速化開業[9]。JR西日本の電車特急「はしだて」・「文殊」が運転開始。
- 2007年(平成19年)3月18日:「タンゴ悠遊号」が運転開始。
- 2008年(平成20年)
- 3月:円山川橋梁の架け替え工事開始。
- 3月15日:「タンゴ浪漫号」が運転開始。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)9月11日:北部地域総合公共交通検討会第5回会議。中間とりまとめ[9]。
- 2013年(平成25年)
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)
駅一覧
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m 北近畿タンゴ鉄道と沿線の公共交通の現状と課題 - 京都府
- ^ a b c 『本日、京都丹後鉄道の運行を開始!新たに「京都丹後鉄道サイト」をオープン』(プレスリリース)WILLER TRAINS、2015年4月1日 。2015年4月1日閲覧。
- ^ “事業概要 営業線概要”. 北近畿タンゴ鉄道. 2018年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年4月1日閲覧。
- ^ 交通新聞社『JR時刻表』2015年4月号
- ^ a b 『三セク新線高速化の軌跡』 76-79頁
- ^ “再建議論 廃線も視野 北近畿タンゴ鉄道”. 読売新聞舞鶴支局版 (京都北部経済新聞(読売新聞社)). (2011年2月2日) 2011年2月4日閲覧。
- ^ “第5回「北部地域総合公共交通検討会」の開催結果について”. 京都府ウェブサイト (2012年9月11日). 2014年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月1日閲覧。
- ^ a b “鉄道省告示第68号「明治四十二年十月鉄道院告示第五十四号国有鉄道線路名称中山陰線ノ部舞鶴線ノ次ノ行ニ『宮津線(舞鶴宮津間)』ヲ加エ…」、同第69号「大正十三年四月十二日ヨリ宮津線舞鶴宮津間鉄道運輸営業ヲ開始ス」”. 官報(国立国会図書館デジタルコレクション) (1924年4月9日). 2015年4月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa “事業概要 宮津線の経緯・沿革”. 北近畿タンゴ鉄道. 2018年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年4月1日閲覧。
- ^ a b “鉄道省告示第132号、同第133号”. 官報(国立国会図書館デジタルコレクション) (1925年7月27日). 2015年4月3日閲覧。
- ^ a b “鉄道省告示第208号、同第209号”. 官報(国立国会図書館デジタルコレクション) (1925年10月29日). 2015年4月3日閲覧。
- ^ a b “鉄道省告示第240号、同第241号”. 官報(国立国会図書館デジタルコレクション) (1926年12月18日). 2015年4月3日閲覧。
- ^ 『昭和二年北丹後地震』
- ^ a b “鉄道省告示第260号「山陰線ノ部宮津線ノ次ノ行ニ左ノ如ク加フ 峰豊線(豊岡久美浜間)」、同第261号「昭和四年十二月十五日ヨリ峰豊線豊岡久美浜間鉄道運輸営業ヲ開始ス」”. 官報(国立国会図書館デジタルコレクション) (1929年12月9日). 2015年4月3日閲覧。
- ^ a b “鉄道省告示第100号、同第101号”. 官報(国立国会図書館デジタルコレクション) (1931年5月15日). 2015年4月3日閲覧。
- ^ a b c “鉄道省告示第293号「山陰線ノ部宮津線ノ行中『舞鶴丹後木津間』ヲ『舞鶴豊岡間』ニ改メ峰豊線ノ行ヲ削ル」、同第294号「昭和七年八月十日ヨリ宮津線丹後木津久美浜間鉄道運輸営業ヲ開始ス”. 官報(国立国会図書館デジタルコレクション) (1932年8月4日). 2015年4月3日閲覧。
- ^ 『鉄道ジャーナル』 通巻285号 36頁
- ^ “園部(JR西日本)-天橋立(北近畿タンゴ鉄道)間 電化工事スタート 96年春完成めざす”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1993年7月23日)
- ^ 『降り立ってみたくなる駅づくり「コウノトリの郷駅」命名記念イベント』(プレスリリース)北近畿タンゴ鉄道、2009年4月23日。オリジナルの2009年4月29日時点におけるアーカイブ 。2015年4月1日閲覧。
- ^ “『コウノトリの郷』駅をよろしくお願いいたします☆”. 北近畿タンゴ鉄道(アテンダント日記) (2009年5月11日). 2015年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年4月1日閲覧。
- ^ “珍しい工法で橋梁架け替え 北近畿タンゴ鉄道”. 神戸新聞(神戸新聞NEXT) (神戸新聞社). (2010年4月7日) 2010年4月7日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 『北近畿タンゴ鉄道観光型リニューアル列車 「丹後あかまつ号・丹後あおまつ号」の運行開始等について』(プレスリリース)北近畿タンゴ鉄道、2013年3月22日。オリジナルの2015年4月1日時点におけるアーカイブ 。2015年4月1日閲覧。
- ^ 『岩滝口駅の愛称が「阿蘇の入江」駅に決まりました!』(プレスリリース)北近畿タンゴ鉄道、2013年4月23日。オリジナルの2015年4月1日時点におけるアーカイブ 。2015年4月1日閲覧。
- ^ 『北近畿タンゴ鉄道(KTR)野田川駅愛称募集の結果について』(PDF)(プレスリリース)与謝野町 企画財政課、2013年5月。オリジナルの2015年4月1日時点におけるアーカイブ 。2015年4月1日閲覧。
- ^ 『KTR各駅(四所駅・東雲駅・丹後神崎駅)の愛称名の決定について』(プレスリリース)舞鶴市 企画政策課、2014年2月21日。オリジナルの2015年4月1日時点におけるアーカイブ 。2015年4月1日閲覧。
- ^ 『「京丹後市駅の愛称」が決定』(PDF)(プレスリリース)京丹後市役所、2014年6月17日。オリジナルの2015年4月1日時点におけるアーカイブ 。2015年4月1日閲覧。
- ^ “丹後大宮は「小町の里駅」 北近畿タンゴ鉄道7駅の愛称決まる”. 京都新聞 (京都新聞社). (2014年6月22日). オリジナルの2014年6月22日時点におけるアーカイブ。 2015年4月1日閲覧。
参考文献
編集- 日本鉄道建設公団高速化研究会 編『三セク新線高速化の軌跡』(初版)交通新聞社、1998年10月20日、76-79頁。ISBN 978-4-87513-077-2。ISBN 4-87513-077-5。
- 蒲田文雄『昭和二年北丹後地震 家屋の倒壊と火災の連鎖』古今書院(シリーズ日本の歴史災害 第1巻)、2006年3月20日。ISBN 978-4-7722-4060-4。ISBN 4-7722-4060-8。
- 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』第285号、成美堂出版、1990年7月、36頁、ISSN 0288-2337。