千両蜜柑
千両蜜柑または千両みかん(せんりょうみかん)は、古典落語の演目。上方落語だが江戸落語でも演じられる[1]。原話は、明和9年(1772年)に出版された笑話本「鹿の子餅」の一遍である『蜜柑』[1]。松富久亭松竹の作とも伝わっている。
価値観の錯覚をサゲとする[1]。
あらすじ
編集6月(旧暦のため、現在の7月に近い)。ある大店の若旦那が病みつき、父である大旦那が方々の名医に診せるが癒えない。医者は「これは気の病である。何か強い心残りのためだ。これを解決すれば快方に向かうだろう」と見立てる。しかし、父がその心残りを訪ねても若旦那は答えないまま、日に日に衰弱していく。ここで、若旦那とも幼馴染の番頭・佐兵衛が呼び出され、若旦那の悩みの種を聞き出すように命令される。佐兵衛はもう数年もすれば暖簾分けが約束された、主人からの信頼厚い奉公人だった。
佐兵衛が相手でも答えを渋っていた若旦那だったが、決して馬鹿にせず、必ず願いをかなえて差し上げると断言する佐兵衛についに折れ、「自分が欲しいものはミカン(温州蜜柑)」だと答える。てっきり女だとばかり思っていた佐兵衛は拍子抜けし、そんなもので良いなら座敷をミカンで埋めて差し上げようと大言壮語を吐く。
だが事の次第を聞いた主人に「6月の最中にどこにミカンがある」と窘められる。夏の最中に蜜柑を用意するなど無理難題だ。だが、今さら「出来ない」と伝えれば、若旦那は気落ちして死にかねない。仮に若旦那が死にでもしたら、それは「主殺し」だ。お前は逆さ磔になるだろう、と旦那に脅された佐兵衛は驚愕する。
動転する佐兵衛は当てもなく街中を奔走し、挙句は金物屋(上方の場合は鳥屋など)にミカンは無いかとまくし立てるも、金物屋に「ミカンを探すなら青果物を扱う問屋だろう」と冷静に諭される。
佐兵衛は冬季間に大量のミカンを扱う大店を訪ねる。店の番頭は夏の最中の今でもミカンは「ある」という。ミカン店の看板に掛けて、夏でもミカンを求めるお客様には売るのが商いである、との信念から、毎年、冬の間に仕入れた大量のミカンを専用の蔵に満載しているという。
佐兵衛は番頭の案内でミカン蔵へと入る。冷蔵技術など見込めない時代ゆえ大半のミカンは腐っていたが奇跡的に1つだけ無事なミカンを見出し佐兵衛は喜ぶ。さて代金はと聞くと、番頭は千両だと答える。夏にミカンを求める客のために、毎年1つの蔵分を無駄にして保管する。だからこそ、千両それだけの価値があるという。さすがに法外だと悩む佐兵衛は主人に相談するが、主人は「息子の命には代えられない」として、二つ返事でミカン1個を千両で買い取る。
佐兵衛が苦心惨憺で手に入れたミカンを、若旦那は美味しそうに食べれば、みるみる血色がよくなっていく。その様子を見ながら佐兵衛は、「10房あるから1房100両か」などと計算し、主人たちの金銭感覚に呆れかえる。若旦那は7房食べたところで3房を佐兵衛に差し出し、「苦労を掛けさせたので両親とお前を労いたい」という。
主人に3房のうち2房を渡そうと廊下に出たところで佐兵衛はふと考える。今自分の手元には1房100両、すなわち合計300両の値打ちのミカンがある。自分はやがて暖簾分けしてもらえる立場だが、主人からは50両も貰えないだろう。
佐兵衛はミカン3房を携え出奔した。
上方落語と江戸落語の差異
編集基本的な話の筋は同じである。他の噺と同様に地名には差異があり、上方落語では天満の青物市場が登場する。
ミカンに千両の値がつく経緯については江戸落語では保管に掛かった経費などを考慮して初めから店側が言及するものだが、上方では初めタダで良いと言われたのを主人公が意地になって千両に上げてしまうというものである。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c 東大落語会 1969, pp. 259–260, 『千両みかん』.
参考文献
編集- 東大落語会 (1969), 落語事典 増補 (改訂版(1994) ed.), 青蛙房, ISBN 4-7905-0576-6
関連項目
編集- たちきり - 枕で田舎者の女中がそれ自体に価値のない線香の束を盗んでしまうという、本話のサゲと同じ小噺が演じられることがある。