和波久十郎
和波 久十郎(わなみ きゅうじろう[1]、1852年9月23日(嘉永5年8月10日[2])- 1919年(大正8年)8月3日[1][3])は、明治から大正前期の農業経営者・政治家。衆議院議員。
和波久十郎 わなみ きゅうじろう | |
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生年月日 | 1852年9月23日 |
出生地 |
日本 伊勢国員弁郡下笠田村 (現三重県いなべ市員弁町下笠田) |
没年月日 | 1919年8月3日(66歳没) |
前職 | 農業 |
所属政党 |
(山下倶楽部→) (憲政本党→) 議員同志倶楽部 |
選挙区 | 三重県第3選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1898年3月 - 1900年9月24日 |
員弁郡会議員 | |
笠田村会議員 | |
在任期間 | 1879年 - 1898年 |
経歴
編集伊勢国員弁郡下笠田村(三重県[1]員弁郡笠田村[4]大字下笠田[2][5]、員弁町を経て現いなべ市員弁町下笠田)で生まれる。大鐘塾で学んだ[1][3]。農業を営む[1]。1885年(明治18年)三重県産米の品質向上を図るため、精撰米組合設立に参画し委員長となり、米質の向上に貢献した[5]。
1879年(明治12年[注釈 1])三重県会開設から1898年(明治31年)まで県会議員に在任し、同常置委員も務めた[1][3][4][5]。その他、笠田村会議員、員弁郡会議員、同参事会員などにも在任した[5]。
1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙で三重県第3区から山下倶楽部所属で出馬して初当選し[5][6]、続いて同年8月の第6回総選挙(三重県第3区、憲政本党)でも再選され[5][6]、その後、議員同志倶楽部に所属し、衆議院議員に連続2期在任した[1][3][4]。1900年(明治33年)9月24日、刑の確定により議員を失職した[1][7][8]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『衆議院議員列伝』167頁では明治13年。