嘉納治兵衛 (7代)
嘉納 治兵衛(かのう じへえ、旧姓・中村、旧名・正久、1862年1月31日(文久2年1月2日)[1][2] - 1951年(昭和26年)1月22日[3])は、日本の酒造家、実業家、兵庫県多額納税者[4]。武庫汽船社長[5][6]。灘商業銀行頭取[5]。嘉納合名代表社員[4]。灘育英会、白鶴美術館各理事長[5][6]。全国酒造組合連合会会長[3]。族籍は兵庫県平民[1][7]。
人物
編集奈良西御門町(現奈良市)生まれ[1][7]。中村尭圓の三男[1][6][7]。1889年、先代けいの入夫となり家督を相続する[1][7]。酒造業を営む[1][7]。茶人としても知られる[3]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[2]。1929年、養子純に家督を譲り分家する[5][6]。住所は兵庫県武庫郡御影町[1]、同郡住吉村[4][5]。
家族・親族
編集- 嘉納家
- 養父・治兵衛[1][7]
- 妻・けい(1873年 - ?、養父治兵衛の長女)[1][7]
- 養女・美江(1890年 - ?、大阪、井上浅の長女)[1]
- 養子・純(1885年 - ?、兵庫県多額納税者、酒造業、嘉納合名代表)[6]
- 中村家
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第4版』か22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月9日閲覧。
- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』88頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月5日閲覧。
- ^ a b c 嘉納 治兵衛とはコトバンク。2020年12月9日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第9版』カ38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月10日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第13版 上』カ45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第14版 上』カ46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第3版』か68頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月9日閲覧。
- ^ 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年、ナ78頁。
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。