増田三男
彫金家。人間国宝
増田 三男(ますだ みつお、1909年(明治42年)4月24日 - 2009年(平成21年)9月7日[1])は、埼玉県出身の彫金家。人間国宝(重要無形文化財保持)。
人物
編集埼玉県北足立郡大門村(のち美園村、浦和市、現さいたま市)に生まれる。文展などへの出品のほか、埼玉県立浦和高等学校でも美術講師として勤務した。浦和高校時代は美術部に入部し、2歳下の高田誠と親交が深く、卒業後も恩師である福宿光雄を囲って「連穂会」を開いていた。
経歴
編集- 1909年(明治42年)4月24日 - 出生。
- 1924年(大正13年) - 埼玉県立男子師範附属尋常小学校を卒業[2]。
- 1929年(昭和4年) - 旧制浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)を卒業。
- 1944年(昭和19年) - 母校である浦和中学(のち浦和高校)の美術講師となり32年間勤務。
- 1976年(昭和51年) - 浦和高校の美術講師を定年退職。
- 1991年(平成3年) - 82歳で重要無形文化財「彫金」の保持者(人間国宝)に認定。
- 1999年(平成11年) - 浦和市(現さいたま市)より「浦和市名誉市民(現さいたま市名誉市民)」に推挙。
- 2009年(平成21年)9月7日 - 老衰で死去。享年100歳[1]。
脚注
編集- ^ a b “人間国宝の増田三男氏が死去/彫金高く評価される”. 四国新聞社 (2009年9月8日). 2021年12月9日閲覧。
- ^ 『日本美術年鑑』平成22年版