大前均

日本の俳優(1935-2011)

大前 均おおまえ ひとし[1][2]1935年12月19日[3] - 2011年3月1日)は、日本の元俳優。旧芸名は大前 釣(読み同じ)[1]身長190cm体重115kg柔道五段。生前は第一協団[3]アクターズプロモーションに所属していた。

おおまえ ひとし
大前 均
別名義 大前 釣
生年月日 (1935-12-19) 1935年12月19日
没年月日 (2011-03-01) 2011年3月1日(75歳没)
出生地 岐阜県
国籍 日本の旗 日本
身長 190cm
ジャンル 俳優
活動期間 1960年 - 2005年
活動内容 映画テレビドラマ
主な作品
仁義なき戦い』(1973年)
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岐阜県出身。1958年3月、明治大学商学部卒業

来歴・人物

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大学を卒業後、日本ケーブルに就職。学生時代から続けていた柔道経験を活かし、会社の実業団チームに所属した。実業団対抗の柔道大会で部を優勝に導き、銀座で祝賀会を催していた店で中村錦之助と出会い、スカウトされる。大前は酔った勢いもあって快諾、翌日には京都に行く中村に付いていき、東映京都撮影所と契約を交わして入社した[4]

1960年、東映映画若き日の次郎長 東海の顔役』でデビュー。特撮時代劇アクション映画ヤクザ映画刑事ドラマとジャンルを問わず、幅広く活躍した。デビュー当初は髪を伸ばし、いわゆる二枚目俳優として活動していた。しかし二枚目俳優としては伸び悩んでいたこと、また、恵まれた体躯を大いに生かせる利点を考え、悪役への転向を試みる。髪を剃りおとし海坊主のような強面、プロレスラー並の巨体を活かした容貌魁偉で、用心棒ボディーガードなどパワーファイター系の役を演じる機会が増えた。千葉真一主演の格闘映画にも複数出演した。また、日本未公開のマカロニウエスタン香港映画などにもゲスト出演している。1965年に東映との契約が満了し退社、その後、各映画会社の作品に精力的に出演する。

悪役だけではなく個性豊かな役柄を演じるようになる。映画『戦国自衛隊』での懐刀としての重臣、『武士道ブレード』で柔和な笑顔を見せる人の良い力士、テレビドラマ『人造人間キカイダー』での冴えない刑事をコミカルに、『探偵物語』第20話では善人だがアル中の悲運なボクシング・トレーナーなどで幅広い演技を披露している。大林宣彦監督作品の常連でもあり、『ふたり』のトラックの運転手役や『あした』の船長役など、ダンディな声質を生かして薄幸な善人やロマンチストを演じた[5]

特撮作品で演じたキャラクターでは、『電子戦隊デンジマン』の悪役・バンリキ魔王、素顔での出演ではなかったが『猿の軍団』における猿世界の実力者・ビップ大臣などが知られる。 一男一女の父。妻とは死別している[4]。俳優業の傍ら、池袋西口でスナックを経営していた。料理も得意であり、趣味の釣りで釣り上げた魚を調理して店で振る舞うこともあった。 2011年3月1日、死去。75歳没[6]

出演

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映画

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など

テレビドラマ

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バラエティ

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b c 「大前釣」名義。
  2. ^ クレジットタイトル表記上は原田力が出演したことになっている。

出典

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  1. ^ a b c ゴジラ大百科 1993, p. 116, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  2. ^ a b 東宝特撮映画大全集 2012, p. 127, 「『緯度0大作戦』俳優名鑑」
  3. ^ a b 出演者名簿』《昭和46年度版》著作権情報センター、1970年、78頁。 
  4. ^ a b だから素敵! あの人のヘルシートーク:俳優・大前均さん”. 日本食糧新聞電子版. 日本食糧新聞社 (1999年12月10日). 2024年11月7日閲覧。
  5. ^ 大前均、容貌魁偉に秘めし役者の純情”. ぴあ (2020年4月16日). 2024年11月7日閲覧。
  6. ^ 大男はいつも哀しげ【訃報 大前均】唐沢俊一ホームページ。
  7. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 537, 「主要特撮作品配役リスト」

参考文献

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  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 
  • 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一Gakken〈Gakken MOOK〉、1993年12月10日。 
  • 『東宝特撮映画大全集』執筆:元山掌 松野本和弘 浅井和康 鈴木宣孝 加藤まさし、ヴィレッジブックス、2012年9月28日。ISBN 978-4-86491-013-2