大聖寺 (山形県高畠町)

山形県高畠町にある寺院

大聖寺(だいしょうじ)は、山形県東置賜郡高畠町亀岡にある真言宗智山派の寺院。亀岡文殊(かめおかもんじゅ)の通称で知られる。

大聖寺
亀岡文殊本堂(2008年)
所在地 山形県東置賜郡高畠町亀岡41
位置 北緯37度58分48.26秒 東経140度11分24.5秒 / 北緯37.9800722度 東経140.190139度 / 37.9800722; 140.190139座標: 北緯37度58分48.26秒 東経140度11分24.5秒 / 北緯37.9800722度 東経140.190139度 / 37.9800722; 140.190139
山号 松高山
宗派 真言宗智山派
本尊 大日如来
創建年 伝・807年大同2年)
開基 伝・徳一
別称 亀岡文殊
札所等 置賜三十三観音霊場番外
文化財 木造聖観音立像(県指定文化財)
公式サイト https://kameokamonju.jp/
法人番号 9390005006557 ウィキデータを編集
大聖寺の位置(山形県内)
大聖寺
大聖寺
大聖寺 (山形県)
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山号は松高山。本尊は大日如来。この寺の文殊菩薩は「亀岡文殊(亀岡の文殊)」と呼ばれ、寺院の通称ともなっている。安倍文殊院奈良県桜井市)・切戸文殊京都府宮津市)とともに日本三文殊のひとつに数えられる。

歴史

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807年大同2年)勅命により徳一が文殊菩薩を安置したのに始まると伝えられ、古くは文殊寺と号していた。 戦国時代にこの地方を領した伊達政宗の崇敬を受け、天正19年(1591年)彼がこの地を去るとき、岩出山へ共に移る資福寺の古鐘[1]を納めた。関ヶ原の戦いの直後の慶長7年(1602年)、直江兼続は奉納詩歌会を主催して上杉家主従27名[2]が集まり、100首を奉納した。(亀岡百首)直筆短冊のほとんどが当寺に残る。

江戸時代には徳川綱吉の信仰篤く、中納言格と文殊堂領として朱印状が与えられた。文殊堂は1914年大正3年)の再建で、伊東忠太の設計である。学問に霊験ありとして参拝客を集め、初詣・受験シーズンにも賑わう。

文化財

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山形県指定文化財

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  • 木造聖観音立像

脚注

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  1. ^ この鐘は藤原正頼により永仁4年(1296年)に鋳造されたものだという。
  2. ^ 前田利益大国実頼春日元忠岩井信能安田能元ら。http://samidare.jp/toda/box/paneru-2.pdf  高畠町観光協会作成『亀岡百首』パネル展資料 漢詩6人(33首) 和歌21人(67首) 合計27人(100首)

外部リンク

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