大間々町

日本の群馬県山田郡にあった町

大間々町(おおまままち)は、群馬県東部に存在したである。

おおまままち
大間々町
貴船神社
廃止日 2006年3月27日
廃止理由 新設合併
勢多郡東村新田郡笠懸町山田郡大間々町みどり市
現在の自治体 みどり市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 群馬県
山田郡
市町村コード 10501-5
面積 48.05 km2.
総人口 21,865
(2006年2月1日)
隣接自治体 桐生市新田郡笠懸町勢多郡東村
町の木 かしわ
町の花 さくらそう
大間々町役場
所在地 376-0192
群馬県山田郡大間々町大字大間々1511
外部リンク 大間々町Internet Archive
座標 北緯36度25分58秒 東経139度16分24秒 / 北緯36.43275度 東経139.27328度 / 36.43275; 139.27328座標: 北緯36度25分58秒 東経139度16分24秒 / 北緯36.43275度 東経139.27328度 / 36.43275; 139.27328
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概要

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町名の「まま」とは、渡良瀬川の河岸段丘によってつくられた崖のことで、町役場前の「まま」には地元の小学生の描いた絵が季節の花々で美しく表現されていて観光スポットとなっている。

かつては、あかがね街道の宿場町として、また、生糸の集散地として栄えた。

平成4年には町制施行100周年を記念して、「おおままのうた作成委員会」により町のイメージソングが作成された。詞は全国から545点もの応募があり、群馬県伊勢崎市在住の長塚いさむの「風のエアメール」が選ばれた。作曲はビリー・コビーンによって行われた。また、日本語版は庄野真代が、英語版はダラ・セダカが歌っている。

町北部の塩原にある貴船神社は京都・貴船神社の分霊を祀ったとされ、例年県内一の20万人もの初詣参拝者が訪れる。

地理

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関東平野北端で、渡良瀬川によってつくられた大間々扇状地に位置する。町内には渡良瀬川が流れ、北部には足尾山地へ連なる山々があり、町の70%が緑におおわれた、緑あふれる町である。近隣の市町村とともに、桐生広域圏に属する。

隣接自治体

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歴史

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沿革

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行政

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  • 町長:近藤昭次

歴代町長[1]

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氏名 就任 退任 生年月日 備考
1 高草木與四衛 明治22年6月10日 明治25年10月10日 天保2年2月18日
2 藤生一次郎 明治25年10月14日 明治41年11月1日 天保13年11月15日
3 新井榮太郎 明治41年11月6日 大正3年2月15日 安政6年4月5日
4 金子春吉 大正3年4月30日 昭和5年9月22日 慶応元年3月3日
5 奥野佐吉 昭和7年3月27日 昭和11年3月26日 明治7年11月17日
6 須永善十郎 昭和11年10月31日 昭和16年4月5日 明治11年6月6日
7 近藤春吉 昭和16年9月30日 昭和18年1月30日 明治19年12月10日
8 新井国蔵 昭和18年2月16日 昭和19年8月3日 明治30年1月16日
9 藍原菊児 昭和19年10月9日 昭和21年12月8日 明治14年10月22日
10 近藤英一郎 昭和22年4月9日 昭和24年2月10日 大正2年2月4日
11 北村吉三郎 昭和24年3月30日 昭和36年3月29日 明治28年10月20日
12 新井整 昭和36年3月30日 昭和61年2月19日 大正3年4月1日
13 山同賢治 昭和61年4月13日 平成2年4月12日 大正12年8月9日
14 近藤昭次 平成2年4月13日 昭和2年4月1日

都市提携

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1997年(平成9年)3月1日 - 友好都市提携。

教育

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高等学校

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中学校

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小学校

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交通

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鉄道

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道路

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観光

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名所・旧跡

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祭事・催事

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脚注

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参考文献

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  • 大間々町誌編さん室 編『大間々町誌 通史編 下巻』大間々町誌刊行委員会、2001年。 

関連項目

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外部リンク

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