大黒将志

日本のサッカー選手

大黒 将志(おおぐろ まさし、1980年5月4日 - )は、大阪府豊中市出身[1][2]の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)[1]。元日本代表

大黒 将志
名前
カタカナ オオグロ マサシ
ラテン文字 OGURO Masashi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-05-04) 1980年5月4日(44歳)
出身地 大阪府豊中市
身長 178cm
体重 73kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足[1]
ユース
1993-1998 日本の旗 ガンバ大阪
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2005 日本の旗 ガンバ大阪 111 (48)
2001 日本の旗 コンサドーレ札幌 (loan) 4 (0)
2006 フランスの旗 グルノーブル 19 (6)
2006-2008 イタリアの旗 トリノFC 10 (0)
2008-2010 日本の旗 東京ヴェルディ 53 (23)
2010 日本の旗 横浜FC (loan) 16 (12)
2010 日本の旗 FC東京 (loan) 22 (7)
2011-2013 日本の旗 横浜F・マリノス 53 (12)
2013 中華人民共和国の旗 杭州緑城 24 (3)
2014-2018 日本の旗 京都サンガF.C. 110 (48)
2016 日本の旗 モンテディオ山形 (loan) 26 (9)
2018 日本の旗 栃木SC (loan) 40 (12)
2019-2020 日本の旗 栃木SC 29 (6)
通算 517 (186)
代表歴2
2005-2008 日本の旗 日本 22 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年11月24日現在。
2. 2008年8月21日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

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ユース時代

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5歳の時に[3] 兄の影響で[2]サッカーを始める。小学1年次より豊中SSに所属し、3年次からは元日本代表FW釜本邦茂が代表を務めていた釜本FC(ガンバ大阪ジュニアの前身)でもプレー。4年次からは、釜本FCより移管されたG大阪ジュニアでのプレーに専念。

中学校入学と同時にG大阪ジュニアユースに昇格。当時はセレクションが無く、100人以上の選手を抱える大所帯だったが、Aチーム(1軍)入りを続け[3]、中学卒業後はG大阪ユースに昇格。ユースチーム所属時にはFWとMFでプレー[2]。高校3年次にFWとして定着し、ユース同期である二川孝広[2]とともにクラブユース選手権を制した。その後に開催された高円宮杯全日本U-18選手権では決勝戦で藤枝東高校に敗れ、準優勝となった。

ガンバ大阪時代

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1999年ガンバ大阪トップチームに昇格。同年3月、市原戦でJリーグ初出場[1]2000年3月のV川崎戦でJリーグ初得点[1]。FWの選手層が厚かったことからMF(ウイングバックなど)で起用されることもあった[2]

コンサドーレ札幌時代

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2001年、試合出場経験を積むために自ら志願して[2]コンサドーレ札幌期限付き移籍。ポジションを奪うことは出来なかったものの、監督・岡田武史の下で練習に取り組む姿勢を改め[2]、手応えを掴む1年となった[4]

ガンバ大阪復帰

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2002年、G大阪に復帰した。復帰当初は中盤の攻撃的なポジションで起用されていたが、本来のポジションであるFWで勝負をさせてほしいと監督の西野朗に直訴[5]2004年にFWとしての才能が開花し、Jリーグ得点ランク2位、日本人選手最多となる20得点[1][注 1]を挙げ、同年のJリーグベストイレブンに選出された[1]

2005年はアラウージョフェルナンジーニョと組んでG大阪の攻撃の核としてフル回転。リーグ6位の16得点を上げ、G大阪のJリーグ初優勝に貢献した。

グルノーブル時代

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2006年1月には当時日本企業のインデックス社がオーナーであったフランスのクラブチーム「グルノーブル・フット38」(フランスリーグ2部所属)へ完全移籍。思うように味方からのパスが出ないもどかしさを抱えながら[7] 5試合のフル出場を含め19試合6得点(2005-06に17試合5得点、2006-07に2試合1得点)。

トリノ時代

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2006年8月、ヨーロッパの移籍期限間近である8月31日にセリエAトリノFCへの移籍が決定。大黒自身の以前からの夢であったセリエAへの移籍が実現したが、練習試合で得点を重ねてアピールするも、公式戦ではFWでのプレー機会に恵まれなかったこともあって[8] 無得点に終わり、イタリアでの挑戦は消化不良に終わった。

Jリーグ復帰後

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2008年6月30日東京ヴェルディに完全移籍で加入することが発表され日本復帰。退団したエースFWフッキの穴埋めを期待されたが、チームにフィットするのに時間を要したこともあり、チームは低迷し、J2に降格。翌2009年も東京Vに残留し、J2を舞台に21得点を挙げたが「(攻撃は)1人じゃ厳しい[9]」と孤軍奮闘は否めず、チームの親会社変更など雑音も多くJ1昇格はならなかった。2010年、東京Vの経営難により移籍を余儀なくされたが[9][10][11]、東京Vとは2011年末までの契約を結んでおり[10][11][12] 完全移籍では高額の移籍金が発生するため、J2・横浜FCに期限付き移籍。2度のハットトリックを達成するなど[13] 16試合で12得点を挙げ、前年に続き活躍を見せた。

ワールドカップ開催によるJリーグ中断期間中の同年6月に、J1・FC東京に期限付き移籍(保有権は東京Vのまま)[14]。FC東京ではチームの主力となり、同僚の羽生直剛は「エゴイスティックなタイプかと思ったが、周囲を活かしてくれるのでやりやすい」とNHKのサッカー中継のインタビューでコメントしている。8月に開催されたスルガ銀行チャンピオンシップ2010では、対戦相手のLDUキト監督のエドガルド・バウサに特に注意すべき選手として警戒されていたが[15]、試合終了間際に同点ゴールを決め、クラブのタイトル獲得に貢献した。しかし9月半ばの監督交代以後はフル出場の機会を一度も得られず[16]、翌年の戦力構想外となり[11]、移籍期間満了により退団[17]

2011年横浜F・マリノスに完全移籍。2005年以来となるJ1での二桁得点を達成するなど[18]、全公式戦合計で17得点をマーク。翌2012年はリーグ開幕戦で得点をマークし好スタートを切ったがその後は得点を伸ばせず、後半戦からは出場機会も減少した。2013年、当初は横浜FMに登録されていた[19] が、2月に札幌在籍時にも指導を受けた岡田が監督を務める中国サッカー・スーパーリーグ杭州緑城に期限付き移籍[20][21]

2014年1月、横浜FMとの契約満了により杭州緑城に完全移籍[22]。同月、京都サンガF.C.への期限付き移籍が発表された[23]。その後シーズン途中に完全移籍に移行。同年リーグ戦42試合に出場し26得点を挙げJ2得点王となった[24]。翌2015年、自身の動き出しに合うパサーの不在や新監督の石丸清隆による守備重視の方針には不満を露にしたが[25] チーム最多得点となる16得点を挙げた。2016年2月にモンテディオ山形に期限付き移籍[26][27]。同クラブテクニカルダイレクターの石井肇とは札幌及び横浜FM在籍時以来となる3度目の共闘となった[28]。二転三転する戦術や[29] 負傷の頻発に苦しめられながらも[30][31]、同年のチーム最多得点を記録。移籍期間満了により同年限りで山形を退団し[32]、京都へ復帰した[33]

2018年、栃木SCに期限付き移籍[34]。契約上出場できなかった京都戦を除き、全試合に出場。8月18日、J2第29節・アビスパ福岡戦でJ2リーグ史上初となる通算100得点を達成[35] すると同時に、2015年以来3シーズンぶりとなるリーグ戦二桁得点も達成した[36]。2019年からは栃木へ完全移籍した[37]。2020年は開幕時より選手登録されないまま栃木との契約を継続していたが[38]、6月26日に契約解除が発表された[39]

2021年1月10日、現役を引退して、G大阪のアカデミーコーチに就任することが発表された。

日本代表

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ガンバ大阪での活躍が認められ、2005年には得点力不足と嘆かれていたジーコ率いる日本代表に初選出。代表として2戦目となった2月9日アジア最終予選・対北朝鮮戦で後半残り10分から途中出場し、後半ロスタイムに値千金の[40] 決勝点を挙げた[1]。この試合のテレビ中継の瞬間最高視聴率が57.7%(関東地区)を記録したこともあり、その知名度が瞬く間に急上昇した[5]。以下、本人のコメント「次の日から、やたら声を掛けられるようになって。Jリーグで20ゴールしても誰も気付かなかったのに、日本代表は1点取っただけでこんなに有名になるんだ、と驚きました。僕自身は変わらなかったですけど。」その後、ワールドカップ本大会出場を決定させた北朝鮮戦や、同年開催のコンフェデレーションズカップにおいてのギリシャ戦とブラジル戦でも途中出場から貴重な得点を挙げるなど、この年の代表チーム最多となる5得点を挙げた。一方で海外組の不参加だった東アジア選手権など、先発起用された試合ではなかなか結果を出せず、この流れからジーコは、翌年のドイツW杯ではあくまでもスーパーサブ(ジョーカー)として起用した。

2006年5月、2006 FIFAワールドカップ日本代表に選出、グループリーグ3試合に全て途中出場した。しかし、出場時間は短く(オーストラリア戦1分、クロアチア戦5分、ブラジル戦24分)、無得点。

エピソード

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スポーツ選手・文化人のマネジメント会社であるサニーサイドアップに所属していた経験がある。またイタリア人の代理人ジョヴァンニ・ブランキーニと契約を結んでいたことがあり、トリノ移籍に際してはブランキーニが交渉を担当した[41]

家族・私生活

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家族は両親、兄、弟(元サッカー選手の大黒聡[42])、妹の5人。父親は学生時代にボクシングをしていたことがあるが、大黒本人によると「優しい父」であるという[2]。父親は熱心なガンバ大阪のファンで、大黒がコンサドーレ札幌移籍中も札幌の試合には行かずにガンバ大阪の試合観戦に行っていた[2]。大黒聡は2人の兄同様、豊中SS/釜本FCよりガンバ大阪へ進み、その後関西学院大学へ進学、サッカー部でプレーした。卒業後、3年間の会社員生活を経てジェフユナイテッド市原・千葉クラブのセレクションを受験[42]。2007年には徳島ヴォルティスでプレーした。

また「ラオウ」と「クリリン」という名のチワワを2匹飼育している。『北斗の拳』から名付けられた[2]ラオウは2001年の札幌在籍中に大黒のペットとなり、大黒がグルノーブルトリノに移籍した時は共に同地に暮らした[43]。2015年にラオウは体調を崩し、これが理由となり大黒は当時モンテディオ山形から受けていた獲得のオファーを断っている。その後ラオウが体調を回復したことや山形県内に信頼できる動物病院が見つかったことから、2016年に山形からのオファーを受諾した[43]

UNO大使

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UNO好きが知られるようになり、2005年には日本ウノ協会「UNO大使」に任命され[44]兵庫県伊丹市で開催された記念イベントに出席した。大黒はそのイベントの席上で2006 FIFAワールドカップ最終予選のアウェー北朝鮮戦の前夜にも代表でのチームメートと共にUNOを楽しんだことや、代表チームメートと仲良くなるのにUNOが役だったことを明かしている[45]。2006年3月には、カード・パッケージをサッカー仕様のデザインにし、更に大黒自身が考案したオリジナルカードを追加した「大黒選手限定版」のUNOが発売された[46]

背番号へのこだわり

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ガンバ大黒(だいこく)神社

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大黒天と名前が同じ文字であることから「大黒様」「大黒神」と呼ばれる事も多く、また、G大阪のホームタウン・吹田市にあるガンバ大阪オフィシャルショップ内にはその大黒天にあやかった「ガンバ大黒(だいこく)神社」が2005年3月23日に建立された。大黒自身は2006年にG大阪を退団したが、北千里サティに大黒神社の大黒像が移籍後も残っている。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 G大阪 29 J1 11 0 2 0 0 0 13 0
2000 7 1 2 0 1 0 10 1
2001 札幌 17 4 0 2 0 0 0 6 0
2002 G大阪 16 6 1 2 1 0 0 8 2
2003 26 10 5 3 2 0 33 13
2004 30 20 7 4 2 6 39 30
2005 31 16 4 0 2 2 37 18
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
2005-06 グルノーブル 9 リーグ・ドゥ 17 5 0 0 0 0 17 5
2006-07 2 1 1 0 0 0 3 1
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2006-07 トリノ 16 セリエA 7 0 0 0 - 7 0
2007-08 3 0 1 0 - 4 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008 東京V 36 J1 14 2 - 0 0 14 2
2009 9 J2 39 21 - 0 0 39 21
2010 横浜FC 16 12 - - 16 12
FC東京 39 J1 22 7 2 0 2 0 26 7
2011 横浜FM 11 28 10 5 3 3 4 36 17
2012 9 25 2 3 1 1 0 29 3
2013 0 0 - - 0 0
中国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2013 杭州緑城 11 中国超級 24 3 - 2 3 26 6
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2014 京都 31 J2 42 26 - 2 1 44 27
2015 40 16 - 3 0 43 16
2016 山形 33 26 9 - 1 1 27 10
2017 京都 31 28 6 - 1 0 29 6
2018 栃木 9 40 12 - 0 0 40 12
2019 29 6 - 0 0 29 6
通算 日本 J1 204 69 34 12 13 12 251 93
日本 J2 260 108 - 7 2 267 110
フランス リーグ・ドゥ 19 6 1 0 0 0 20 6
イタリア セリエA 10 0 1 0 - 11 0
中国 中国超級 24 3 - 2 3 26 6
総通算 517 186 36 12 22 17 575 215

その他の国際公式戦

出場歴

代表歴

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出場大会

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試合数

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  • 国際Aマッチ 22試合 5得点 (2005年 - 2008年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2005 15 5
2006 6 0
2008 1 0
通算 22 5

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 2005年01月29日  神奈川県 横浜国際総合競技場   カザフスタン ○4-0 ジーコ キリンチャレンジカップ2005
2. 2005年02月09日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   北朝鮮 ○2-1 2006 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
3. 2005年03月25日  テヘラン アザディ・スタジアム   イラン ●1-2
4. 2005年05月22日  新潟県 新潟スタジアム   ペルー ●0-1 キリンカップサッカー2005
5. 2005年05月27日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   アラブ首長国連邦 ●0-1
6. 2005年06月08日  バンコク スパチャラサイ国立競技場   北朝鮮 ○2-0 2006 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
7. 2005年06月16日  ハノーファー ADWアレーナ   メキシコ ●1-2 FIFAコンフェデレーションズカップ2005
8. 2005年06月19日  フランクフルト コメルツバンク・アレーナ   ギリシャ ○1-0
9. 2005年06月22日  ケルン ラインエネルギーシュタディオン   ブラジル △2-2
10. 2005年07月31日  大田 大田ワールドカップ競技場   北朝鮮 ●0-1 東アジアサッカー選手権2005
11. 2005年08月03日  大田   中華人民共和国 △2-2
12. 2005年08月07日  大邱 大邱ワールドカップ競技場   韓国 ○1-0
13. 2005年08月17日  神奈川県 横浜国際総合競技場   イラン ○2-1 2006 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
14. 2005年09月07日  宮城県 宮城スタジアム   ホンジュラス ○5-4 キリンチャレンジカップ2005
15. 2005年11月16日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   アンゴラ ○1-0
16. 2006年02月28日  ドルトムント ヴェストファーレンシュタディオン   ボスニア・ヘルツェゴビナ △2-2 国際親善試合
17. 2006年05月30日  レバークーゼン バイ・アレーナ   ドイツ △2-2
18. 2006年06月04日  デュッセルドルフ エスプリ・アレーナ   マルタ ○1-0
19. 2006年06月12日  カイザースラウテルン フリッツ・ヴァルター・シュタディオン   オーストラリア ●1-3 2006 FIFAワールドカップ
20. 2006年06月18日  ニュルンベルク フランケンシュタディオン   クロアチア △0-0
21. 2006年06月22日  ドルトムント FIFAワールドカップスタジアム・ドルトムント   ブラジル ●1-4
22. 2008年08月20日  北海道 札幌ドーム   ウルグアイ ●1-3 岡田武史 キリンチャレンジカップ

ゴール

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# 開催年月日 開催地 スタジアム 対戦国 勝敗 大会
1. 2005年2月9日   埼玉 埼玉スタジアム2002   朝鮮民主主義人民共和国 ○2-1 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選
2. 2005年6月8日   バンコク スパチャラサイ国立競技場 ○2-0
3. 2005年6月19日   フランクフルト コメルツバンク・アレーナ   ギリシャ ○1-0 FIFAコンフェデレーションズカップ2005
4. 2005年6月22日   ケルン ラインエネルギーシュタディオン   ブラジル △2-2
5. 2005年8月17日   横浜 横浜国際総合競技場   イラン ○2-1 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選

タイトル

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クラブ

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ガンバ大阪ユース

ガンバ大阪

FC東京

個人

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  • Panasonic「Strada」
    • 『先読むナビ篇』(2005年) - 宮本恒靖との共演
    • 『簡単ツートップ篇』(2005年) - 宮本恒靖との共演
  • ダイハツ「ムーヴ カスタム」 - 今年を代表するCM大賞2005 受賞
    • 『ヒーローインタビュー篇』 (2005年、2006年)

脚注

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注釈

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  1. ^ ヘディングで7得点、右足で8得点、左足で5得点[6]
  2. ^ 釜本FCは1990年に現在の「ガンバ大阪ジュニア」に移管。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h サッカー:日本人選手 大黒将志(Masashi Oguro)プロフィール (cache) サンケイスポーツ 2007年
  2. ^ a b c d e f g h i j Interview No.921 (1/2)”. 2006年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月13日閲覧。 WEBサッカーマガジン (2003年5月1日)
  3. ^ a b PLAYER'S HISTORY 2009”. 2010年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月13日閲覧。 Jリーグ選手協会 (2009年2月27日)
  4. ^ 大黒将志 点取り屋・フィジカル問答。 Number Web (2004年11月18日)
  5. ^ a b ドイツW杯カウントダウン 第1回 大黒将志(グルノーブルフット38・FW)フランスで踏み出した第一歩 (4/5) nikkei BP (2006年2月2日)
  6. ^ 大黒将志「ハードマーク歓迎」 Number Web (2005年3月17日)
  7. ^ ドイツW杯カウントダウン 第1回 大黒将志(グルノーブルフット38・FW)フランスで踏み出した第一歩 (1/5) nikkeiBP (2006年2月2日)
  8. ^ 大黒あくまでも欧州…セリエBも視野 スポーツニッポン (2008年5月22日)
  9. ^ a b 代表もあるし…東京V・大黒がJ1移籍宣言”. 2009年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月13日閲覧。 スポーツニッポン (2009年11月19日)
  10. ^ a b 東京V大黒、代表入りへJ1移籍希望 日刊スポーツ (2009年11月19日)
  11. ^ a b c 救世主に!? 激震の横浜Mが大黒獲り”. 2010年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月13日閲覧。 デイリースポーツ (2010年11月30日)
  12. ^ 大黒 東京V移籍決定! 3年半契約 スポーツニッポン (2008年7月1日)
  13. ^ 2010J2リーグ戦 第14節 大黒将志選手(横浜FC)ハットトリック達成 Jリーグ (2010年5月22日)
  14. ^ 大黒将志選手 期限付き移籍加入決定のお知らせ”. 2010年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月13日閲覧。 FC東京 (2010年6月22日)
  15. ^ バウサ監督(キト)試合前日会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2010年8月3日)
  16. ^ 選手出場記録 (2/2) Jリーグ (2010年12月4日)
  17. ^ 大黒将志選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ”. 2010年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月13日閲覧。 FC東京 (12月30日)
  18. ^ 選手出場記録 (1/2) Jリーグ (2011年12月3日)
  19. ^ 3月1日に登録抹消
  20. ^ 大黒将志選手に関するお知らせ 横浜F・マリノス (2013年2月4日)
  21. ^ 大黒将志選手 杭州緑城へ期限付き移籍のお知らせ 横浜F・マリノス (2013年2月7日)
  22. ^ 大黒将志選手 契約満了のお知らせ 横浜F・マリノス (2014年1月15日)
  23. ^ 大黒将志選手 期限付き移籍加入内定のお知らせ 京都サンガF.C. (2014年1月29日)
  24. ^ 京都、J2得点王の大黒将志と契約更新…今季は42試合26ゴール サッカーキング 2015年4月2日閲覧。
  25. ^ 【京都】大黒、今季限りで退団示唆「レベルの高いサッカーがしたい」”. 2015年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月24日閲覧。スポーツ報知 (2015年11月23日)
  26. ^ 大黒将志選手 モンテディオ山形への期限付き移籍のお知らせ 京都サンガF.C. (2016年2月24日)
  27. ^ 大黒将志選手モンテディオ山形へ期限付き移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)モンテディオ山形、2016年2月24日http://www.montedioyamagata.jp/news/y-2016/n-00005266/2016年2月24日閲覧 
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  29. ^ 山形“大黒”柱外しでローザ抜てき「状態は100%」 日刊スポーツ (2016年4月9日)
  30. ^ 山形FW大黒が今季3回目の負傷離脱…右内転筋肉離れで全治4週間 ゲキサカ (2016年9月29日)
  31. ^ 【山形】FW大黒、2発で勝利に貢献!「石崎さんを白星で送り出せて良かった」 スポーツ報知 (2016年11月20日)
  32. ^ 大黒将志選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ』(プレスリリース)モンテディオ山形、2016年12月8日http://www.montedioyamagata.jp/news/y-2016/n-00006435/2016年12月8日閲覧 
  33. ^ 大黒将志選手 モンテディオ山形への期限付き移籍期間満了ならびに復帰のお知らせ 京都サンガF.C. (2016年12月30日)
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  35. ^ 2018明治安田生命J2リーグ 第29節 大黒 将志 選手(栃木)J2通算100得点達成』(プレスリリース)J.LEAGUE.jp、2018年8月18日https://www.jleague.jp/release/post-55299/2018年11月19日閲覧 
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  43. ^ a b 武田泉 【山形】大黒、愛犬「ラオウ」に捧げるスタメンデビュー弾決める! スポーツ報知 2016.3.4付記事(アーカイヴ)
  44. ^ 「UNO大使」に就任 日本代表FWの大黒 47NEWS (2005年10月23日)
  45. ^ 「UNO大使」に就任/日本代表FWの大黒 四国新聞 2005.10.23付記事
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  49. ^ 大黒ドタバタ背番「9」サーレスが譲る 日刊スポーツ (2010年1月28日)
  50. ^ 横浜F・マリノス新体制発表記者会見コメント スポーツナビ 2011年1月16日
  51. ^ 大黒「11」カズ魂だ! デイリースポーツ (2011年1月17日)

関連項目

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外部リンク

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