奥山朝利
戦国時代の武将。因幡守。子に奥山朝宗、奥山朝重、奥山朝家、勘三郎
奥山 朝利(おくやま ともとし)は、戦国時代の武将。遠江国引佐郡井伊谷の人。井伊家分家の実力者。名は親秀とも。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 |
永禄3年12月22日(1561年1月7日)[1] または永禄5年12月24日(1563年1月18日)[2] |
別名 | 親秀 |
官位 | 因幡守 |
主君 | 井伊氏 |
氏族 | 奥山氏 |
父母 | 父:奥山親朝[1] |
兄弟 | 朝利、新野親矩室[1] |
子 |
朝宗[1]、朝重、朝家、勘三郎、 ひよ(井伊直親室[1])、中野直由室[1][注釈 1]、小野朝直室[1]、西郷伊予守室、鈴木重時室[1]、菅沼淡路守室、橋本四方助室、於徳(平田森重室) |
人物
編集遠江国引佐郡井伊谷を治める井伊氏の親類衆。因幡守。娘の多くは井伊家・井伊家家臣に嫁ぎ、井伊直政の外祖父でもある[1]。桶狭間の戦いのあった永禄3年(1560年)末[注釈 2]、あるいは永禄5年(1562年)の年末に[2][注釈 2]、小野道好に暗殺された[4][1]。