寒別駅
かつて北海道虻田郡に存在した胆振線の廃駅
寒別駅(かんべつえき)は、北海道(後志支庁)虻田郡倶知安町字寒別にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)胆振線の駅(廃駅)である[1]。電報略号はカン。事務管理コードは▲131914[3]。
寒別駅 | |
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寒別駅跡(2005年8月19日撮影) | |
かんべつ Kambetsu | |
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所在地 | 北海道虻田郡倶知安町字寒別 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 胆振線 |
キロ程 | 74.9 km(伊達紋別起点) |
電報略号 | カン |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1919年(大正8年)11月15日[1] |
廃止年月日 | 1986年(昭和61年)11月1日[2] |
備考 | 胆振線廃線に伴い廃駅 |
歴史
編集- 1919年(大正8年)11月15日 - 国有鉄道京極軽便線倶知安駅 - 京極駅間の開通に伴い、開業。一般駅[1]。
- 1922年(大正11年)9月2日 - 路線名を京極線に改称し、それに伴い同線の駅となる。
- 1944年(昭和19年)7月1日 - 京極線に戦時買収により国有化された胆振縦貫鉄道を編入し、胆振線に改称[1]。それに伴い同線の駅となる。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 業務委託化。
- 1971年(昭和46年)10月1日 - 貨物の取り扱いを廃止[1]。
- 1980年(昭和55年)5月15日 - 荷物の取り扱いを廃止[1]。同時に無人駅化[4](簡易委託化)。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 胆振線の全線廃止に伴い、廃駅となる[2]。
駅名の由来
編集所在地名より。現在のヌプリ寒別川のアイヌ語名「ヌプリカウンペッ(nupuri-ka-un-pet)」(山・の上・に入っていく・川)に因み、その後半部を採って字をあてたものである[5][6][7]。
駅構造
編集廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の北東側(倶知安方面に向かって右手側)に存在した[8]。転轍機を持たない棒線駅となっていた[8]。かつては相対式ホーム2面2線を有する、列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった1線は交換設備運用廃止後に線路、ホーム共に撤去されていた[8]。
利用状況
編集- 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は26人[8]。
駅周辺
編集駅跡
編集2001年(平成13年)時点ではホームが残存し、線路跡はビート畑となっていた[10]、2010年(平成22年)時点[11]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[12]。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、860頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日)
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、227頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ “札鉄 室蘭、千歳、胆振の3線区 営業近代化スタート”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1980年5月18日)
- ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、466-467頁。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、81頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、26-27頁。NDLJP:1029473。
- ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)94ページより。
- ^ a b c 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)6ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング、2001年8月発行)68-69ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)152-154ページより。
- ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)205ページより。