寒別駅

かつて北海道虻田郡に存在した胆振線の廃駅

寒別駅(かんべつえき)は、北海道後志支庁虻田郡倶知安町字寒別にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)胆振線廃駅)である[1]電報略号カン事務管理コードは▲131914[3]

寒別駅
寒別駅跡(2005年8月19日撮影)
かんべつ
Kambetsu
北岡 (2.3 km)
(3.5 km) 参郷
所在地 北海道虻田郡倶知安町字寒別
北緯42度53分46.7秒 東経140度50分4.5秒 / 北緯42.896306度 東経140.834583度 / 42.896306; 140.834583座標: 北緯42度53分46.7秒 東経140度50分4.5秒 / 北緯42.896306度 東経140.834583度 / 42.896306; 140.834583
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 胆振線
キロ程 74.9 km(伊達紋別起点)
電報略号 カン
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1919年大正8年)11月15日[1]
廃止年月日 1986年昭和61年)11月1日[2]
備考 胆振線廃線に伴い廃駅
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1976年の寒別駅と周囲約500m範囲。左上が倶知安方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

歴史

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駅名の由来

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所在地名より。現在のヌプリ寒別川のアイヌ語名「ヌプリカウンペッ(nupuri-ka-un-pet)」(山・の上・に入っていく・川)に因み、その後半部を採って字をあてたものである[5][6][7]

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の北東側(倶知安方面に向かって右手側)に存在した[8]転轍機を持たない棒線駅となっていた[8]。かつては相対式ホーム2面2線を有する、列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった1線は交換設備運用廃止後に線路、ホーム共に撤去されていた[8]

無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北東側に位置し、ホーム東側に接していた[8]

利用状況

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  • 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は26人[8]

駅周辺

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駅跡

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2001年(平成13年)時点ではホームが残存し、線路跡はビート畑となっていた[10]、2010年(平成22年)時点[11]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[12]

隣の駅

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日本国有鉄道
胆振線
北岡駅 - 寒別駅 - 参郷駅

脚注

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  1. ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、860頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日) 
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、227頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  4. ^ “札鉄 室蘭、千歳、胆振の3線区 営業近代化スタート”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1980年5月18日) 
  5. ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、466-467頁。ISBN 978-4-88323-114-0 
  6. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、81頁。ASIN B000J9RBUY 
  7. ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、26-27頁。NDLJP:1029473 
  8. ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)94ページより。
  9. ^ a b c 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)6ページより。
  10. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング2001年8月発行)68-69ページより。
  11. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)152-154ページより。
  12. ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)205ページより。

関連項目

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