小西 惟冲(こにし いちゅう、明和6年10月7日1769年11月4日) - 嘉永7年2月16日1854年3月14日))は江戸時代後期の儒者。名は善継または修。字は伯述。澹斎とも号する。

生涯

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播磨国龍野藩(現在の兵庫県)に仕える。大坂の懐徳堂中井竹山などに学ぶ。江戸に帰り文化2年(1805年)、龍野藩の藩校敬楽館の設立に関わり教授となり、藩の読書指南役や朝鮮通信使来聘御用掛をつとめる。文政年間(1818年)以降、中井竹山の構想を活かした社倉制度を龍野で実現させる。

著作に『大日本編年史』などがある。

参考文献

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  • 『龍野市史』(編纂専門委員会,1980年)
  • 山中浩之「龍野藩社倉の実施と小西惟冲」 (加地伸行博士古稀記念論集『中国学の十字路』、研文出版、2006年)