小野毛野

飛鳥時代から奈良時代にかけての公卿

小野 毛野(おの の けぬ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての公卿大徳冠小野妹子の孫。冠位小錦中小野毛人の子[1]官位従三位中納言勲等は勲三等。

 
小野 毛野
時代 飛鳥時代 - 奈良時代
生誕 不明
死没 和銅7年4月15日714年6月1日
官位 従三位中納言
主君 持統天皇文武天皇元明天皇
氏族 小野氏
父母 父:小野毛人
小野永見?
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経歴

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持統天皇9年(695年遣新羅使(大弐は伊吉博徳)に任ぜられ[2]新羅へ渡航(この時の冠位は直広肆)[3]。帰国後も文武天皇4年(700年)に筑紫大弐に任ぜられるなど、外交関係の官職を歴任した。

大宝2年(702年大宝律令の制定に伴う、位階制度への移行によって従四位下に叙せられると共に、参議に任ぜられ朝政に参画する。元明朝和銅元年(708年中納言に昇進し、翌和銅2年(709年)従三位に至る。和銅7年(714年)4月15日薨去。最終官位は中納言従三位兼中務卿

1997年(平成9年)4月11日奈良県天理市で、慶雲4年(707年)に小野毛野が文武天皇の病気治癒を祈念して建立したとされる願興寺の跡が発見された[4] [5]

官歴

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注記のないものは『六国史』に基づく。

系譜

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脚注

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  1. ^ a b 続日本紀』和銅7年4月15日条
  2. ^ 日本書紀』持統9年7月26日条
  3. ^ 『日本書紀』持統天皇9年9月6日条
  4. ^ 事口壽男(記事全文転載) (1997年4月11日). “小野氏の「願興寺」跡を発見”. 中日新聞. http://www.daido-it.ac.jp/~doboku/koto/koukogaku/gaku23.html 2008年11月27日閲覧。 
  5. ^ 半月城通信(記事全文転載) (1997年4月10日). “小野妹子の孫の寺跡で大規模塔跡出土”. 読売ニュース速報. http://www.han.org/a/half-moon/hm061.html 2008年11月27日閲覧。 
  6. ^ 公卿補任

参考文献

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