屋良座森城
沖縄県那覇市にあったグスク
屋良座森城(やらざもりぐすく、沖縄語:やらざむいぐしく)は、沖縄県那覇市にあった琉球のグスクである。那覇港の国場川河口南にあった。
屋良座森城 | |
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沖縄県那覇市 | |
1945年以前の屋良座森城 | |
種類 | グスク |
施設情報 | |
所有者 | アメリカ海軍 |
管理者 | [[ファイル:Template:Country flag alias Ryūkyū Kingdom|border|22px|Template:Country alias Ryūkyū Kingdomの旗|link=]] [[Template:Country alias Ryūkyū Kingdom|Template:Country alias Ryūkyū Kingdom]] (1546–1879) 大日本帝国 (1879–1945) アメリカ (1945-present) |
一般公開 | No |
現況 | 解体済み |
歴史 | |
建設 | 1546 |
建設者 | 尚清 |
使用期間 | 1546-1950 |
建築資材 | 琉球石灰岩 |
解体 | 1950年 |
使用戦争 | 倭寇の襲撃 (1553, 1556), 琉球侵攻 (1609), 沖縄戦 (1945) |
駐屯情報 | |
元指揮官 | 謝名利山 |
歴史
編集屋良座森城は、1546年に尚清王によって那覇港南口に築城された[1]。那覇港と那覇市街を守るために、姉妹城の三重城と並んで築城された。両城の間には鉄の鎖の防波網を張り、船の入港を防ぐことができた[2]。二城のうち大きい方の屋良座森城は、7~9cmの大砲で武装していた。また、防備陣では、杭や国産のハンドキャノンなどで武装していた。これらの防御は海賊に対するものだったが、1609年の薩摩軍の侵攻の際には、薩摩の艦隊を追い払うことに成功し、屋良座森城が極めて重要であることが証明された。その後も海賊対策に使用されたが、一般的には民間人による船の見送りに使用されるようになった。
元々は海上に築かれた城で、長い土手道が本土との間を結んでいた[1]。しかし、時が経つにつれ、土手と南側の土地の間に土砂が堆積し、土手が海岸の役割を果たすまでになった。1945年の沖縄戦後、アメリカは那覇港の南岸に海軍基地を設置した。基地拡張の一環として、屋良座森城は1950年に取り壊された。
参考文献
編集- ^ a b Turnbull, Stephen. The Samurai Capture a King: Okinawa 1609. Oxford, Osprey Publishing, 2009. Page 26-29, 40-43, 46-47.
- ^ Smits, Gregory. "Examining the Myth of Ryukyuan Pacifism". Asia-Pacific Journal: Japan Focus. 2010. http://www.japanfocus.org/-Gregory-Smits/3409/article.html accessed 16 November 2015.