岡古墳
岡古墳(おかこふん)とは、大阪府藤井寺市藤井寺4丁目731-1に所在した方墳。古市古墳群初期の古墳であることが発掘調査で判明したが、住宅建設によりほぼ消滅している。
岡古墳 | |
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所在地 | 大阪府藤井寺市藤井寺4丁目 |
位置 | 北緯34度33分58秒 東経135度35分45秒 / 北緯34.56611度 東経135.59583度 |
形状 | 方墳 |
規模 | 一辺約33m |
出土品 | 銅鏡 船形埴輪 |
築造時期 | 4世紀末頃 |
特記事項 | 住宅建設によりほぼ消滅 |
概要
編集岡古墳は 仲哀天皇陵に指定されている岡ミサンザイ古墳の周濠東側に位置する方墳であり、同古墳の陪塚ではないかと見られていた。住宅建設の予定があり、1980年(昭和55年)に大阪府教育委員会、1981年(昭和56年)には藤井寺市教育委員会によって発掘調査がなされた。調査によると、この古墳は2段に築造されており基底部で長さ34.5m、高さ5mを測る。墳丘からは黒斑のある円筒埴輪のほか家型埴輪、船形埴輪が出土している。
内部構造と出土遺物
編集内部構造は割竹形木棺を蔵した粘土槨の2分の1が遺存していた。粘土槨残存部は 長さ2.5メートル、幅1.88メートルであった。木棺の本体はすでに腐朽していたが、粘土槨に印された痕跡により、おおよその形状と大きさを知ることができ、外径80センチの割竹形木棺であることが明らかとなった。棺内からは3面の銅鏡が検出されている。1号鏡は面径12.6センチ、2号鏡は面径11.9センチ、3号鏡は面径11.5センチで、いずれも倭製の変形獣形鏡あるいは四獣形鏡と呼称されるものであった。
築造時期
編集出土した黒斑のある埴輪などからこの古墳の築造時期は、津堂城山古墳と同じく、古市古墳群の形成初期と結論された。隣接する岡ミサンザイ古墳は埴輪などから5世後半または5世紀末の築造とされていることから、岡古墳は岡ミサンザイ古墳の陪塚ではなく、当古墳群内に独立した古墳として築かれたことが明らかとなっている。
参考文献
編集- 天野末喜編『岡古墳-古市古墳群の調査研究調査報告1-藤井寺市文化財調査報告第5集』藤井寺市教育委員会、1989年