嶋倉雷象

日本の男性俳優

嶋倉雷象(しまくららいぞう)(1971年7月18日昭和46年〉 - )は、日本の男性俳優舞道家東京都大田区出身。劇団花組芝居所属。屋号は「月城屋」(つきしろや)。

しまくららいぞう
嶋倉雷象
生年月日 (1971-07-18) 1971年7月18日(53歳)
出生地 日本の旗 日本 福岡県
出身地 東京都大田区
国籍 日本
身長 170cm
血液型 A型
職業 俳優・舞道家
ジャンル 舞台
所属劇団 花組芝居
公式サイト https://hanagumi.ne.jp/
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経歴

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東京都大田区出身。幼少期より南宋奉眞流剣舞を始める。世田谷学園高校を経て舞台芸術学院演劇部本科42期を卒業。卒業後、同期生達と劇団を作るも2年で解散。のちに研修期間を経て、1996年「天変斯止嵐后晴」より劇団花組芝居に入座。主に劇団公演に出演。何故か幸薄い女形を演じる事が多い。商業演劇、タップダンスユニットや朗読劇などの他団体にも出演している。資格を活用し一般会社員として働いている事もある。

生い立ち

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  • 出生時、福岡は大荒れの天候で、カセットテープには産声と共に雷鳴が録音されている。福岡で産まれた為、名付け親は祖母の紹介で、医師であり漢詩などの芸術家であった松口月城[1](まつぐちげつじょう)である。当初「龍」と命名されていたが、この日の天候から「雷象」となった。劇団での屋号「月城屋」(つきしろや)は名付け親から得たものである。
  • 父が東京芝浦電気(現=東芝)のシステムエンジニアであった為、幼少の頃からコンピュータだらけの父の職場へ遊びに連れて行ってもらう度に、その道に凄く憧れはあったが、祖母の思うままに芸道へ進んでしまった。

人物

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  • 子供の頃から車が大好きで、ミニカーを持たせておけば一人で遊んでいた。夢はカーレーサーになる事だったが、両親から危険だと大反対された。しかし役者になる事には全く反対される事はなかったらしい。
  • 祖母が詩吟の師範だった為、5歳から南宋奉眞流にて剣舞居合道を始めたが、当初は嫌で泣きながら稽古していたらしい。小中学生時代には年間通して東京・東日本・全国とコンクールを勝ち上がり、優勝含め毎年多数の賞を受賞する。10歳の時、剣舞のコンクールを観に来ていた東京12チャンネル(現テレビ東京)のプロディーサーからオファーをもらい、芸達者な子供達で芸を競う番組に剣舞代表で出演するも敗退、これがテレビ初出演となる。キングレコードの専属舞道家であった事もあり、高校生にして「先生」と呼ばれていた。1990年に南宋奉眞流の刀法剣舞師範となった。※近年、ミュージカル等で間違って称されることがあるが「剣舞」[2]をご参照下さい。
  • 中学校時代、急に足が速くなり、50m走で6.4秒の記録を持つ。「一瞬だけプロ野球選手を目指しかけた」との事。
  • 世田谷学園高校では、「左とん平」「水木一郎」「萩原流行」「芦川誠」、「三谷幸喜」や「内野聖陽」などを輩出した名門演劇部に入ったが、まさかの部員不足で休部となりバレーボール部に入り直し青春をスポーツにぶつけた。しかし当時の世田谷学園は「吉田秀彦」を要する柔道部を筆頭に全国区の強豪スポーツ学校でもあった為、試合では相手校からのプレッシャーも半端じゃなかったらしい。そのせいか、ファンの女子高生が出待ちをするほど毎日校門が賑やかだったらしい。学園体育祭の陸上リレーで、その強豪柔道部要するスポーツクラスをアンカーとして足の速さでごぼう抜きで勝ったのが運動では自慢。
  • 高校の体育の授業では剣道部の部員より剣道が強かったが、敢えて剣道の道は選ばなかった。カナダの学校との学園交流では学校からの推薦で剣舞を披露するなど刀法への評価は高かった。
  • 幼稚園から「お受験さん」だった。小学校の入学試験で横浜国立大学附属小学校に合格するも、くじ引きで落選。これがトラウマになり受験勉強が大嫌いになる。中学受験時は酷いものだったらしい。しかしそれ以降、学内の成績で上位に入る事で推薦入学を狙い、高校は推薦で世田谷学園へ進んだ。大学も推薦を狙う為、部活動や皆勤賞を含め、学内の成績は3年間上位をキープするも、3年時の担任が高望みをした為、大学への推薦入学が無効になる。とことん受験には縁がなかった。
  • 舞台芸術学院時代は、2学年目の演技講師「金杉忠男」に影響を受け、卒業後も演劇を続ける事を決める。学院内の歴代宴会部長で率先して幹事をやっており、卒業後も同期生の中ではいまだにそのポジションは変わっていない。とにかく交流がマメで、その為か現在も演劇各方面へ交流範囲がとても広いようだ。
  • 花組芝居では殺陣師として劇中の殺陣シーンを演出する事もある。
  • 母方は、祖母の代まで大森海苔屋を営んでいた為、幼少の頃から食べてきた海苔に対する味覚は間違いないとの事。
  • 先祖代々受け継がれているぬか床を守り続け、季節の野菜を漬けてぬか漬けを楽しんでいる。

出演

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幼少期

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花組芝居

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外部公演

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ドラマ

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ラヂオ

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脚注

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  1. ^ 松口月城記念館*[1]
  2. ^ 剣詩舞

外部リンク

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