雄太
雄太(ゆうだい、本名:川井 進〈かわい すすむ〉、1980年6月17日 - )は、長野県佐久市出身の日本の元プロ野球選手(投手)。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 長野県北佐久郡望月町(現:佐久市) |
生年月日 | 1980年6月17日(44歳) |
身長 体重 |
178 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2004年 ドラフト4巡目 |
初出場 | 2005年4月20日 |
最終出場 | 2016年9月25日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
派遣歴 | |
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この表について
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プロ入りから2008年までの登録名は本名と同じ「川井 進」であったが、2009年に「川井 雄太」に改め、さらに2012年からは「雄太」としていた。
経歴
編集プロ入り前
編集上田西高等学校では3年夏県大会ベスト8[1]、進学した大東文化大学では2年春に主戦となるもそのシーズンで首都大学リーグ2部に降格し、4年秋の入替戦で自身が2勝して復帰に貢献[2]。大学卒業後は日本通運へ入社し、変則左腕として都市対抗野球に2年連続で出場し救援登板[1]、その活躍が即戦力と評価され、2004年のドラフト会議において中日ドラゴンズから4巡目で指名され、入団。背番号は17。小川将俊とは社会人時代もバッテリーを組んだ。
プロ入り後
編集2005年には一軍で4試合に登板するも、その後2年間は一軍登板が無かった。左の先発候補としてウエスタン・リーグでは安定した成績を残すものの、豊富な先発陣の厚い壁に阻まれて活躍できなかった。
2007年のオフにドミニカのウィンターリーグへ参加したのをきっかけに成長を見せる。2008年4月11日に出場選手に登録され[3]、4月16日の対読売ジャイアンツ戦(ナゴヤドーム)でプロ初勝利を挙げた[4]。ヒーローインタビューではプロ入り直前に死去した父親へウィニングボールを捧げると涙ながらに語った[5]。しかしこれ以降は調子を落とし、一軍と二軍の間を行き来し、この年はプロ初勝利となった1勝に終わった。契約更改により、年俸は200万円増加の1100万円となった[6]。
2009年1月15日、登録名を「川井雄太」に変更することを発表した[7]。変更の理由に心機一転をあげており、雄太という名前は知人と考えたとのことで[8]、この名前には「雄々しく、図太く」との意味がある[9]。3月5日のオープン戦で巨人を相手に4回5失点をしたことで、開幕は二軍で迎えるものの[4]、4月21日に昇格し、4月26日の対巨人戦(東京ドーム)で1年ぶりの勝利を挙げると[10][4]、6月の月間4勝(月間MVP投手部門を受賞)を挟み[11][12]、7月12日の対広島東洋カープ戦(ナゴヤドーム)にて、球団新記録となる開幕9連勝をプロ初完封で飾り[13]、7月30日の対巨人戦(東京ドーム)にて勝利したことで、開幕11連勝まで記録を伸ばした[14][15]。次の登板となった8月6日の対阪神タイガース戦(ナゴヤドーム)で初黒星を喫した[16]。その後、シーズン終了まで5連敗となり[17]、規定投球回もクリアできずにシーズンを終えた。契約更改により、年俸が2300万円増の3400万円となったものの、その後の記者会見で開幕11連勝に対する評価は高くなかったと発言した[17]。また、この年は日曜日に登板することが多かったため、ファンから「サンデー川井」と呼ばれるようになった[17]。
2010年も先発ローテーションの一角として期待されるが、3月2日の広島とのオープン戦での負傷によって開幕ローテーションから漏れた[18]。5月24日に一軍に昇格し[19]、同日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(ナゴヤドーム)にてシーズン初登板、初勝利を挙げた[18]。しかし、この後1勝も挙げることも出来ずに3連敗し、二軍降格となった[20]。最終的な成績は6試合に先発で出場し1勝3敗となるなど、前年からの期待を裏切ることとなった[21]。
2011年は先発の谷間として活躍し、シーズン5勝を挙げる。5月8日の対巨人戦(ナゴヤドーム)にて1年ぶりにプロ2勝目となる白星を挙げ[22]、10月11日の対東京ヤクルトスワローズ戦(ナゴヤドーム)では対ヤクルト戦での初勝利を挙げた[23]。同年の日本シリーズ(対福岡ソフトバンクホークス戦)においても第4戦に先発した[24][25]。契約更改により、年俸は750万円増の3000万円となった[26]。
2012年1月15日に、登録名を「雄太」にすることが球団から発表された[27][28]。シーズンは好不調の波が激しく一軍と二軍を往復することとなり、一軍での勝利数は3勝に終わり、防御率4.31と前年より大幅に悪化した。
2013年は開幕から二軍暮らしが続き、リーグ戦終盤に3試合登板したのみに終わった。
2014年は5月から一軍に登録されると、7月9日のヤクルト戦(神宮球場)では5回を投げて3安打無失点のところで降雨コールドとなり、2009年7月12日の対広島戦以来5年ぶり2度目の完封勝利を挙げた[29]。その後も先発ローテーションの一角に定着し、19試合に登板(18試合に先発)して2009年に次ぐ6勝(7敗)をマークした。
2015年は3試合の登板に終わった。
2016年9月22日、ナゴヤドーム内での会見にて「ドラゴンズひと筋でやってきて、この球団で終わりたいと決めていた」と述べ、当シーズン限りでの引退を発表した[30]。同年10月31日付で任意引退公示された[31]。
引退後は、中日の編成部プロスカウトを務めた。その際の名義は「川井雄太」としていた[32]。なお、2023年現在は同球団の広報を務めており、名義は本名の「川井進」に戻している[33]。
人物
編集詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2005 | 中日 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 47 | 11.0 | 11 | 2 | 3 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 7 | 5 | 4.09 | 1.27 |
2008 | 14 | 10 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | .167 | 243 | 56.2 | 69 | 3 | 11 | 2 | 0 | 37 | 1 | 0 | 31 | 25 | 3.97 | 1.41 | |
2009 | 20 | 20 | 1 | 1 | 0 | 11 | 5 | 0 | 0 | .688 | 508 | 119.0 | 126 | 10 | 31 | 0 | 2 | 57 | 4 | 1 | 55 | 50 | 3.78 | 1.32 | |
2010 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 147 | 33.2 | 34 | 2 | 13 | 1 | 1 | 13 | 3 | 0 | 14 | 12 | 3.21 | 1.40 | |
2011 | 16 | 14 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | 0 | .625 | 342 | 83.0 | 76 | 6 | 23 | 0 | 1 | 46 | 2 | 0 | 28 | 22 | 2.39 | 1.19 | |
2012 | 14 | 11 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 0 | 0 | .375 | 231 | 54.1 | 58 | 3 | 12 | 0 | 1 | 26 | 0 | 0 | 33 | 26 | 4.31 | 1.29 | |
2013 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 55 | 14.0 | 9 | 1 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 4 | 4 | 2.57 | 0.93 | |
2014 | 19 | 18 | 1 | 1 | 1 | 6 | 7 | 0 | 1 | .462 | 421 | 101.0 | 105 | 8 | 24 | 0 | 2 | 47 | 1 | 0 | 43 | 36 | 3.21 | 1.28 | |
2015 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 69 | 16.2 | 16 | 1 | 4 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 7 | 7 | 3.78 | 1.20 | |
2016 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 1 | 0.1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00 | |
通算:10年 | 100 | 86 | 2 | 2 | 1 | 28 | 31 | 0 | 1 | .475 | 2064 | 489.2 | 504 | 36 | 125 | 3 | 7 | 247 | 11 | 1 | 222 | 187 | 3.44 | 1.28 |
表彰
編集- 月間MVP:1回 (2009年6月)
記録
編集- オールスターゲーム出場:1回(2009年)
- 投手記録
- 初登板・初先発:2005年4月20日、対広島東洋カープ4回戦(広島市民球場)、3回1/3を2失点
- 初奪三振:同上、1回裏に尾形佳紀から見逃し三振
- 初勝利・初先発勝利:2008年4月16日、対読売ジャイアンツ5回戦(ナゴヤドーム)、6回1失点
- 初完投勝利・初完封勝利:2009年7月12日、対広島東洋カープ12回戦(ナゴヤドーム)
- 打撃記録
- 初安打:2008年5月17日、対横浜ベイスターズ7回戦(ナゴヤドーム)、4回裏に小山田保裕から投手内野安打
- 初打点:2009年5月10日、対読売ジャイアンツ9回戦(東京ドーム)、2回表に東野峻から右前適時打
登場曲
編集- 「HANABI」Mr.Children(2009年 - 2013年)
- 「Yesterday and Tomorrow」ゆず(2014年 - 2016年)
背番号
編集- 17 (2005年 - 2016年)
登録名
編集- 川井 進 (かわい すすむ、2005年 - 2008年)
- 川井 雄太 (かわい ゆうだい、2009年 - 2011年)
- 雄太 (ゆうだい、2012年 - 2016年)
脚注
編集- ^ a b 2005スポニチプロ野球プレイヤーズ名鑑
- ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球各季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社
- ^ “中日の左腕川井が1軍登録”. 日刊スポーツ. (2008年4月11日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ a b c 福岡, 吉央 (2009年4月27日). “中日5割復帰2位浮上、川井がG斬り”. 日刊スポーツ 2021年3月28日閲覧。
- ^ “川井 3年ぶりの先発で涙のプロ初勝利”. スポーツニッポン. (2008年4月17日) 2013年5月5日閲覧。
- ^ “中日川井が200万円増の1100万円でサイン”. 日刊スポーツ. (2008年12月17日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ “中日・川井が登録名は「川井雄太」に”. スポニチアネックス. (2009年1月15日) 2022年2月27日閲覧。
- ^ “新サンデー男襲名?川井が開幕から8連勝”. スポニチアネックス. (2009年7月6日) 2022年2月27日閲覧。
- ^ “雄太 引退惜別インタビュー 「サンデー川井」12年目の真実”. 週刊ベースボールONLINE (2016年11月29日). 2022年3月25日閲覧。( 要購読契約)
- ^ 生駒, 泰大 (2009年4月27日). “川井1勝 無欲無心で5イニング無失点”. 中日スポーツ. オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。 2013年5月5日閲覧。
- ^ 兼田, 康次 (2009年7月3日). “川井、和田ダブル受賞! 6月月間MVP”. 中日スポーツ. オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。 2013年5月5日閲覧。
- ^ “日本ハム糸井、月間MVP初受賞”. 日刊スポーツ. (2009年7月3日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ 福岡, 吉央 (2009年7月13日). “中日川井9連勝!初完封で飾った球団新”. 日刊スポーツ 2021年3月28日閲覧。
- ^ “緩急30キロ差で巨人を幻惑!川井球団新の金字塔”. スポーツニッポン. (2009年7月30日) 2013年5月5日閲覧。
- ^ 福岡, 吉央 (2009年7月31日). “中日川井球団新11連勝、巨人に1・5差”. 日刊スポーツ 2021年3月28日閲覧。
- ^ “川井9失点で連勝止まるも落合監督「解放される」”. スポーツニッポン. (2009年8月6日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ a b c “中日川井209%増もちょっと不満!?”. 日刊スポーツ. (2009年11月21日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ a b 桝井, 聡 (2010年5月25日). “ドラ連敗止めた!川井298日ぶり勝利”. 日刊スポーツ 2021年3月28日閲覧。
- ^ “中日が川井と金剛を登録、山内らを抹消”. 日刊スポーツ. (2010年5月24日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ “サンデー川井日曜日3連敗で2軍降格”. 日刊スポーツ. (2010年6月28日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ “「日曜は雄太に」中日川井8回5安打無失点”. 日刊スポーツ. (2011年6月6日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ “【中日】川井1年ぶり白星「うれしい」”. 日刊スポーツ. (2011年5月8日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ “川井「最高にうれしい」5勝目!ブランコ「120%の力で」”. スポーツニッポン. (2011年10月11日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ “川井 悔しい日本シリーズ初登板「立ち上がりをもう少し…」”. スポーツニッポン. (2011年11月16日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ “シリーズ初登板川井 痛恨の初回/日本S”. 日刊スポーツ. (2011年11月17日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ “【中日】7年目川井が3000万円でサイン”. 日刊スポーツ. (2011年12月1日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ “中日2選手が登録名変更!雄太&小林正に”. スポーツニッポン. (2012年1月15日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ “【中日】川井は「雄太」小林は「小林正」”. 日刊スポーツ. (2012年1月15日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ 松井, 清員 (2014年7月10日). “中日雄太ラッキー5年ぶり完封”. 日刊スポーツ 2014年12月15日閲覧。
- ^ ““無回転フォーク”が武器の中日・岩田が引退「思った球が投げられなくなった」”. サンケイスポーツ. (2016年9月23日) 2021年3月28日閲覧。
- ^ “任意引退選手”. 2016年度公示. 日本野球機構. 2016年10月31日閲覧。
- ^ “【中日】川井雄太氏、ジョーダン改めアルメンゴの改名理由を分析…バレ対策か?”. スポーツ報知. (2017年12月16日). オリジナルの2018年6月12日時点におけるアーカイブ。 2017年12月26日閲覧。
- ^ “https://twitter.com/hochi_dragons_/status/1636897105825652736?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1636897105825652736%7Ctwgr%5E255b52f791fa9a0bf1629f27c085f775cb2f170c%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https://databall.blog.jp/archives/19667574.html”. Twitter. 2023年7月30日閲覧。
- ^ 中日スポーツ2009年8月6日記事より[要文献特定詳細情報]
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 雄太 - NPB.jp 日本野球機構
- ドミニカ ウィンターリーグでの成績