巻誠一郎

日本のサッカー選手

巻 誠一郎(まき せいいちろう、1980年8月7日 - )は、熊本県下益城郡小川町(現:宇城市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表

巻 誠一郎
アムカル・ペルミ時代(2010年)
名前
愛称 マキ、セイちゃん、マキセイ
カタカナ マキ セイイチロウ
ラテン文字 MAKI Seiichiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-08-07) 1980年8月7日(44歳)
出身地 熊本県下益城郡小川町(現:宇城市
身長 184cm
体重 81.4kg
選手情報
ポジション FW / MF
ユース
1996-1998 日本の旗 大津高校
1999-2002 日本の旗 駒澤大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2010 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉 220 (53)
2010-2011 ロシアの旗 アムカル・ペルミ 9 (0)
2011 中華人民共和国の旗 深圳紅鑽 4 (0)
2011-2013 日本の旗 東京ヴェルディ 51 (7)
2014-2018 日本の旗 ロアッソ熊本 167 (9)
通算 451 (69)
代表歴2
2005-2009[1] 日本の旗 日本 38 (8)
獲得メダル
日本の旗 日本
ユニバーシアード
2001 北京 男子
1. 国内リーグ戦に限る。2019年1月15日現在。
2. 2009年2月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

実父はロアッソ熊本持株会元理事の巻昇治、実弟は元プロサッカー選手の巻佑樹。実妹はハンドボール選手の巻加理奈

経歴

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幼い頃は色々なスポーツに触れて育ち、小学1年生からアイスホッケー、小学5年生からサッカーを続け、高校2年生まで両スポーツを両立していた[2]。高校1年時には父親が監督を務めるアイスホッケー熊本県代表チームの選手として国体にも出場した[2]熊本県立大津高等学校では2年次に冬の選手権でベスト8進出に貢献。高校時代も本職はFWだったが、DFとしてプレーした際の評価のほうが高く、実際Jリーグのクラブのほか、スペインからもDFとしてオファーがあった[3]

高校卒業後は駒澤大学へ進学し、1年目からスタメンとして出場するようになる[3]深井正樹とコンビを組み「大学サッカー史上最高の2トップ」と謳われた。4年次の2002年にはチームを関東大学リーグ初優勝に導き、深井正樹と同数の12得点で得点王にもなった[3]。また2001年夏季ユニバーシアードの日本代表に選出された。

2003年、ジェフユナイテッド市原に入団。同年から監督に就任したイビチャ・オシムの下で指導を受ける。1年目は17試合に出場、2年目の2004年は途中出場が多かったもののリーグ戦全試合に出場した[3]。2005年以降は先発FWの主軸として定着した。2005年に自身初の二桁得点となる12得点を挙げ、翌2006年にも12得点を記録した。

2005年にジーコから日本代表に初選出され、7月31日の東アジア選手権北朝鮮戦で初出場した[1]。2006年、ワールドカップ・ドイツ大会へのメンバー入りは厳しいと思われていたが、有力視されていたFWの1人である久保竜彦が怪我からの回復が思わしくなかったため選外となった事もあり[4]、直前の強化試合での好プレーを見せた巻が滑り込みでサプライズ選出を果たした[5][6]。グループリーグ最終節のブラジル戦では先発出場を果たした。

イビチャ・オシムが代表監督に就任後もジーコ時代の代表メンバーが大幅に入れ替わる中で、引き続き代表に選出された。2007年シーズン終了後、千葉から主力選手が大量に移籍する中、自身も大宮アルディージャからのオファーを受けたが、残留を選んだ[7]。2008年9月14日にJ1通算13000ゴールを挙げる。2009年5月9日(J1第11節)、自身Jリーグ通算50得点目をヘディングで決めた。2009年はチームと自身共に不調で5得点に終わり、J2降格も経験。また、この年を最後に代表に呼ばれなくなった。

2010年は若返りを目指すクラブの方針もあり先発出場が大きく減り、また6月にはクラブの幹部から翌季の契約見送りの意志を伝えられていたという[7]ロシア・プレミアリーグFCアムカル・ペルミからのオファーを受け、2010年7月23日に完全移籍が発表された。退団会見では、「笑われるかもしれないが、このクラブ(ジェフユナイテッド)は僕にとってマンUバルセロナと同じ価値がある。また戻ってこられるように頑張りたい」と涙を浮かべながら述べた[8]

アムカル・ペルミ退団後、2011年3月、日本人選手獲得を公言していたフィリップ・トルシエ率いる中国スーパーリーグ深圳紅鑽球倶楽部と契約し、楽山孝志と共に入団したが[9]、右側足首痛症負傷。治療する環境が揃っていない事を理由に契約解除し退団した[10]

2011年8月17日、J2の東京ヴェルディに加入[11]。1年ぶりにJリーグへ復帰した。

2011年11月20日、味の素スタジアムで古巣である千葉相手に決勝点を決めた。ヒーローインタビューでは両チームのサポーターから拍手を受け、巻は「今でも心の中には千葉というクラブがあり続けるし、感謝の気持ちや千葉のサポーターの方々に育ててもらったという思いは僕がサッカーを辞めてもずっと残り続けるもの」とコメントした[12]

2011年12月15日、アイスホッケーチーム東北フリーブレイズのメンタルアドバイザーに就任[13]

2012年は、開幕直後の練習中に顔面骨折で全治3か月の重傷を負って戦線離脱。その後復帰したが、9月20日に右足間接骨折で全治3ヶ月と診断され、残りのシーズンを棒に振った。

2013年は7月に入るまでスタメン出場がないなど調子が上がらなかったが、その後ある程度持ち直し、同年東京Vに加入した高原直泰と、元日本代表2トップを組むなどして奮闘した。

2014年、出身地・熊本に本拠地を置くJ2のロアッソ熊本へ完全移籍[14]。同シーズンはチームの主力として、途中交代での攻撃の切り札として多くの試合に出場した。2015年シーズンも同様に途中交代ながらチームに欠かせない選手としてチームを引っ張った。

2016年4月14日に発生した熊本地震を受け、所属クラブの試合は中止を余儀なくされたが、自らはすぐさま復興支援のための募金サイト「YOUR ACTION KUMAMOTO」を立ち上げた他、様々な復興支援活動に尽力した。同年は途中交代の切り札としての出番が多く、2010年以来の公式戦無得点となった。2017年シーズンは途中出場が多いながらも30試合3得点の結果を残した。2018年シーズンは背番号を慣れ親しんだ18に変更し、25試合1得点の結果を残したが、チームは21位に終わりJ3リーグ降格となった。

2018年7月1日、CF Partners株式会社の社外取締役に就任[15] した。

2018年シーズンを以て現役を引退[16]

2019年10月24日に開催されたJリーグ理事会において同年開催のJリーグアウォーズJリーグ功労選手賞の授与が決定した[17]

ここ最近は有吉ゼミ内の企画のチャレンジグルメのコーナーで大食い企画に挑戦し、全て完食している。

2020年3月より、TNCテレビ西日本の情報番組ももち浜ストアの月曜コメンテーターとして出演中。

所属クラブ

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ユース経歴

プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 大津高 - - - - 1 0 1 0
2001 駒澤大 9 - - 2 0 2 0
2002 - - 2 1 2 1
2003 市原/千葉 18 J1 17 2 4 0 3 1 24 3
2004 30 6 5 4 1 0 36 10
2005 33 12 10 4 2 1 45 17
2006 32 12 5 3 1 0 38 15
2007 34 5 6 0 1 0 41 5
2008 30 11 3 0 0 0 33 11
2009 31 5 5 1 3 1 39 7
2010 J2 13 0 - - 13 0
ロシア リーグ戦 ロシア杯オープン杯 期間通算
2010 アムカル 9 プレミア 9 0 0 0 - 9 0
中国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2011 深圳紅鑽 18 超級 4 0 - - 4 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011 東京V 41 J2 14 3 - 2 0 16 3
2012 18 18 1 - 0 0 18 1
2013 19 3 - 2 2 21 5
2014 熊本 36 38 2 - 1 0 39 2
2015 39 3 - 2 0 41 3
2016 35 0 - 0 0 35 0
2017 30 3 - 2 0 32 3
2018 18 25 1 - 1 0 26 1
通算 日本 J1 207 53 38 12 11 3 256 68
日本 J2 231 16 - 10 2 241 18
日本 - - 5 1 5 1
ロシア プレミア 9 0 0 0 - 9 0
中国 超級 4 0 - - 4 0
総通算 451 69 38 12 26 6 515 84

その他の国際公式戦

タイトル

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クラブ

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駒澤大学
ジェフユナイテッド千葉

代表

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ユニバーシアード日本代表

個人

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代表歴

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出場大会など

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試合数

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  • 国際Aマッチ 38試合 8得点 (2005年-2009年)[1]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2005 3 0
2006 14 3
2007 9 4
2008 9 1
2009 3 0
通算 38 8

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 2005年07月31日  大田   北朝鮮 ●0-1 ジーコ 東アジア選手権
2. 2005年08月03日  大田   中華人民共和国 △2-2 東アジア選手権
3. 2005年08月07日  大邱   韓国 ○1-0 東アジア選手権
4. 2006年02月10日  サンフランシスコ   アメリカ合衆国 ●2-3 国際親善試合
5. 2006年02月18日  静岡県 静岡県小笠山総合運動公園スタジアム   フィンランド ○2-0 キリンチャレンジカップ
6. 2006年02月22日  神奈川県 横浜国際総合競技場   インド ○6-0 アジアカップ予選
7. 2006年03月30日  大分県 大分スポーツ公園総合競技場   エクアドル ○1-0 キリンチャレンジカップ
8. 2006年05月09日  大阪府 長居陸上競技場   ブルガリア ●1-2 キリンカップ
9. 2006年05月13日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   スコットランド △0-0 キリンカップ
10. 2006年06月04日  デュッセルドルフ   マルタ ○1-0 国際親善試合
11. 2006年06月22日  ドルトムント   ブラジル ●1-4 ワールドカップ
12. 2006年08月16日  新潟県 新潟スタジアム   イエメン ○2-0 イビチャ・オシム アジアカップ予選
13. 2006年09月03日  ジッダ   サウジアラビア ●0-1 アジアカップ予選
14. 2006年09月06日  サヌア   イエメン ○1-0 アジアカップ予選
15. 2006年10月04日  神奈川県 横浜国際総合競技場   ガーナ ●0-1 キリンチャレンジカップ
16. 2006年10月11日  バンガロール   インド ○3-0 アジアカップ予選
17. 2006年11月15日  北海道 札幌ドーム   サウジアラビア ○3-1 アジアカップ予選
18. 2007年03月24日  神奈川県 横浜国際総合競技場   ペルー ○2-0 キリンチャレンジカップ
19. 2007年06月01日  静岡県 静岡県小笠山総合運動公園スタジアム   モンテネグロ ○2-0 キリンカップ
20. 2007年06月05日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   コロンビア △0-0 キリンカップ
21. 2007年07月13日  ハノイ   アラブ首長国連邦 ○3-1 アジアカップ
22. 2007年07月16日  ハノイ   ベトナム ○4-1 アジアカップ
23. 2007年07月21日  ハノイ   オーストラリア △1-1(PK4-3) アジアカップ
24. 2007年07月25日  ハノイ   サウジアラビア ●2-3 アジアカップ
25. 2007年09月07日  クラーゲンフルト   オーストリア △0-0(PK3-4) 3大陸トーナメント
26. 2007年09月11日  クラーゲンフルト   スイス ○4-3 3大陸トーナメント
27. 2008年01月26日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   チリ △0-0 岡田武史 キリンチャレンジカップ
28. 2008年01月30日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   ボスニア・ヘルツェゴビナ ○3-0 キリンチャレンジカップ
29. 2008年02月06日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   タイ ○4-1 ワールドカップ予選
30. 2008年03月26日  マナマ   バーレーン ●0-1 ワールドカップ予選
31. 2008年05月27日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   パラグアイ △0-0 キリンカップ
32. 2008年06月02日  神奈川県 横浜国際総合競技場   オマーン ○3-0 ワールドカップ予選
33. 2008年06月22日  埼玉県 埼玉スタジアム2002   バーレーン ○1-0 ワールドカップ予選
34. 2008年10月09日  新潟県 新潟スタジアム   アラブ首長国連邦 △1-1 キリンチャレンジカップ
35. 2008年11月13日  兵庫県 御崎公園球技場   シリア ○3-1 キリンチャレンジカップ
36. 2009年01月20日  熊本県 熊本県民総合運動公園陸上競技場   イエメン ○2-1 アジアカップ予選
37. 2009年01月28日  マナマ   バーレーン ●0-1 アジアカップ予選
38. 2009年02月04日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   フィンランド ○5-1 キリンチャレンジカップ

ゴール

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# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2006年2月10日 アメリカサンフランシスコ   アメリカ合衆国 ●2-3 親善試合
2. 2006年2月22日 日本横浜市   インド ○6-0 AFCアジアカップ2007 (予選)
3. 2006年5月9日 日本、大阪市   ブルガリア ●1-2 キリンカップサッカー2006
4. 2007年3月24日 日本、横浜市   ペルー ○2-0 キリンチャレンジカップ2007
5. 2007年7月16日 ベトナムハノイ   ベトナム ○4-1 AFCアジアカップ2007 グループリーグ
6.
7. 2007年9月11日 オーストリアクラーゲンフルト   スイス ○4-3 3大陸トーナメント
8. 2008年2月6日 日本、さいたま市   タイ ○4-1 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選

エピソード

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ジェフ千葉の入団懇親会で、当時監督のイビチャ・オシムが「お父さん、あなたは子供さんを最後まであきらめずに走る子に育てましたか」と尋ねたところ、巻の父親は「うちの子は下手です。でも親として、監督が今おっしゃったことだけは自信があります」と答え、オシムは「そうなら、わたしが責任を持って育てます」と約束し、巻を徹底的に鍛えた[18]

上記のようにオシム語録には巻と関わり深いものが多い。下記はその代表的な例である。

  • 「一生懸命頑張った人間が報われた典型的な例だ」 (巻のW杯メンバー入りに対して)[19]
  • 「まずはわたしの練習を100%でやれ。今のあなたに足りないものは、その練習に全部詰まっている」(巻に「自分には何が足りないんですか?」と聞かれて)[3]
  • 「巻はジダンにはなれないでしょう。でも、ジダンにはないものがあります」[20]

脚注

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  1. ^ a b c “巻 誠一郎”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ma/seiichiro_maki.html 
  2. ^ a b WEBサッカーマガジン”. 本誌連動インタビュー「止める蹴るしゃべる」ノーカット版! 巻誠一郎(ジェフユナイテッド市原) (2004年5月26日). 2010年7月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e 【ワールドカップイヤー特別コラム:巻誠一郎(千葉)】ワールドカップの代表メンバー入りを実現させた『ONE FOR ALL』のプレー(06.05.31)”. J's GOAL (2006年5月31日). 2010年7月25日閲覧。
  4. ^ 「完ぺきに戦える」23人/サッカーW杯代表決定 四国新聞社 2006年5月15日
  5. ^ メンバー発表の記者会見においてジーコが23番目に「巻」と発表すると、記者からどよめきが起こった。
  6. ^ 森雅史 (2015年12月15日). “巻誠一郎はなぜ記者に心を閉ざしたのか 日本代表で刺激されたコンプレックス”. ぐるなび みんなのごはん. 2018年5月22日閲覧。
  7. ^ a b 「生涯千葉」に非情…移籍の巻クビだった”. nikkansports.com (2010年7月19日). 2010年7月25日閲覧。
  8. ^ 涙浮かべる巻「このクラブは僕にとってマンUと同じ価値がある」 スポニチ 2010年7月27日
  9. ^ 巻誠一郎がトルシエ率いる中国超級深圳入り発表
  10. ^ 巻、中国超級リーグ深圳退団していた スポーツ報知 2011年7月9日
  11. ^ 巻 誠一郎 選手 加入のお知らせ 東京ヴェルディ公式サイト 2011年8月17日
  12. ^ 2011 Jリーグ ディビジョン2 第36節 東京ヴェルディ公式サイト 2011年11月20日
  13. ^ アジアリーグアイスホッケー”. 東北フリーブレイズ スタッフ追加登録のお知らせ (2011年12月15日). 2011年12月16日閲覧。
  14. ^ 巻 誠一郎選手、東京ヴェルディより完全移籍加入のお知らせ ロアッソ熊本公式サイト 2014年1月15日
  15. ^ 巻誠一郎と安藤梢“二足のわらじ”IT会社の取締役 日刊スポーツ
  16. ^ 巻 誠一郎選手、現役引退のお知らせ』(プレスリリース)ロアッソ熊本、2019年1月15日http://roasso-k.com/news/news_view.htm?id=46162019年1月15日閲覧 
  17. ^ 功労選手賞 受賞選手決定のお知らせ』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2019年10月24日https://www.jleague.jp/release/post-61275/2019年10月24日閲覧 
  18. ^ 2006ドイツ大会ひたむきに出番待つ =「泥臭さ」発揮できるか - 5人目のFW 巻誠一郎選手 時事通信 2006年6月20日
  19. ^ 千葉・オシム監督、巻の代表選出に喜ぶ 一方阿部の落選には複雑な表情 スポーツ報知 2006年5月15日
  20. ^ 【J1:第3節】千葉 vs 福岡:オシム監督(千葉)記者会見コメント(2006.03.18) J's GOAL

関連項目

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外部リンク

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