市村羽左衛門 (17代目)
日本の歌舞伎役者
十七代目 市村 羽左衛門(じゅうしちだいめ いちむら うざえもん、1916年(大正5年)7月11日 - 2001年(平成13年)7月8日)は、昭和から平成にかけての歌舞伎役者。屋号は橘屋。定紋は根上り橘、替紋は渦巻。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。
じゅうしちだいめ いちむら うざえもん 十七代目 市村羽左衛門 | |
屋号 | 橘屋 |
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定紋 | 根上り橘 |
生年月日 | 1916年7月11日 |
没年月日 | 2001年7月8日(84歳没) |
本名 | 坂東 衛 |
襲名歴 | 1. 三代目坂東龜三郎 2. 七代目坂東薪水 3. 七代目坂東彦三郎 4. 十七代目市村羽左衞門 |
俳名 | 可江 |
別名 | 藤間善蔵(舞踊) |
出身地 | 東京府 |
父 | 六代目坂東彦三郎 |
子 | 初代坂東楽善 二代目市村萬次郎 四代目河原崎權十郎 |
当たり役 | |
『鼠小紋東君新形』の与惣兵衛 『伽羅先代萩』の仁木弾正・渡辺外記左衛門・荒獅子男之助 他多数 | |
本名は坂東 衛(ばんどう まもる)。俳名に可江。舞踊の名取は藤間 善蔵(ふじま ぜんぞう)。
派手さはないが堅実な芸風をもった立役として時代物・世話物で模範的演技を見せ、晩年は「歌舞伎の生き字引」とまで呼ばれた。また大名跡「市村羽左衛門」を襲名した後も、自身は五代目菊五郎の孫であり、六代目菊五郎の甥である立場から、尾上菊五郎家のお家芸を守る一人として菊五郎劇団で重きをなし、二代目尾上松緑や七代目尾上菊五郎を長く支えた。
事績
編集- 1921年(大正10年)10月 帝国劇場『名月八幡祭』の鶴吉で三代目坂東亀三郎を襲名し初舞台
- 1935年(昭和10年)3月 歌舞伎座『音羽獄だんまり』の奴伊達平で七代目坂東薪水を襲名、名題昇進
- 1942年(昭和17年)10月 歌舞伎座『隅田川続俤』「双面」の押戻しで七代目坂東彦三郎を襲名
- 1955年(昭和30年)10月 歌舞伎座『名橘誉石切』(石切梶原)の梶原景時で十七代目市村羽左衛門を襲名
- 1978年(昭和53年)紫綬褒章受章
- 1984年(昭和59年) 日本芸術院賞受賞[1]
- 1988年(昭和63年) 勲四等旭日小綬章受章
- 1990年(平成2年) 人間国宝に認定
- 1991年(平成3年) 日本芸術院会員
- 1999年(平成11年) 文化功労者顕彰
- 墓所は青山霊園。
当たり役
編集特に晩年七代目尾上菊五郎と舞台を共にした『鼠小紋東君新形』(鼠小僧)の与惣兵衛は、人生の苦渋が滲み出た老役で絶品と評された。
ドラマ
編集襲名直前に放送が開始されたテレビにも精力的に出演したが、1970年代と晩年は舞台に専念した。
家族
編集長男に坂東楽善(八代目坂東彦三郎)、次男に二代目市村萬次郎、三男に四代目河原崎權十郎がいる。
関連項目
編集脚注
編集外部リンク
編集- 市村 羽左衛門 (十七代目) - 歌舞伎俳優名鑑 想い出の名優篇