戸塚九一郎
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戸塚 九一郎(とつか くいちろう、1891年3月27日 - 1973年10月13日)は、日本の官僚、政治家。徳島県知事、山口県知事、宮城県知事(第28代)、福岡県知事、北海道庁長官(第25代)、労働大臣(第8代)、建設大臣(第8代、第9代)、北海道開発庁長官(第5代、第6代)、衆議院議員(3期)を務めた。
戸塚 九一郎 とつか くいちろう | |
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生年月日 | 1891年3月27日 |
出生地 | 静岡県 |
没年月日 | 1973年10月13日(82歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科大学法律学科 |
所属政党 |
(自由党→) 自由民主党 |
親族 | 甥・戸塚進也(元衆議院議員、元掛川市長) |
第8・9代 建設大臣 | |
内閣 |
第4次吉田内閣 第5次吉田内閣 |
在任期間 | 1953年2月10日 - 1954年6月16日 |
第5・6代 北海道開発庁長官 | |
内閣 |
第4次吉田内閣 第5次吉田内閣 |
在任期間 | 1953年2月10日 - 1954年1月14日 |
第7代 労働大臣 | |
内閣 | 第4次吉田内閣 |
在任期間 | 1952年10月30日 - 1953年5月21日 |
選挙区 | 旧静岡1区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1952年10月1日 - 1958年4月25日 |
在任期間 | 1945年6月10日 - 1945年10月31日 |
その他の職歴 | |
官選第34代 福岡県知事 (1944年12月21日 - 1945年6月10日) | |
官選第25代 北海道庁長官 (1939年9月5日 - 1942年6月15日) | |
官選第28代 宮城県知事 (1939年4月17日 - 1939年9月7日) | |
官選第22代 山口県知事 (1936年6月12日 - 1939年4月17日) | |
官選第36代 徳島県知事 (1934年10月30日 - 1936年6月12日) |
来歴・人物
編集静岡県出身。酒造業・町長、戸塚藤平の三男として生まれる。掛川中学(現在の静岡県立掛川西高等学校)、一高を経て、1917年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、内務省に入り香川県属となり内務部地方課に配属。1918年10月、高等試験行政科試験に合格。
1919年9月、福島県安積郡長に就任。以後、福島県理事官・内務部学務課長、兵庫県警察部工場課長、兵庫県工場監督官、東京府内務部地方課長、神奈川県書記官・学務部長、警視庁書記官・衛生部長、兵庫県書記官・学務部長、京都府書記官・学務部長、大分県書記官・警察部長、兵庫県書記官・内務部長、福岡県書記官・内務部長などを歴任。
1934年10月、徳島県知事に就任。以後、山口県知事、宮城県知事を経て、1939年9月、北海道庁長官に就任。1944年12月、福岡県知事に転じた。1945年6月、九州地方総監に転じ終戦を迎える。同年10月、九州地方総監が廃官となる。
1947年11月に公職追放となり、1951年9月に解除された。1952年10月、第25回衆議院議員総選挙に静岡県第1区で自由党から出馬し当選。以後、1955年2月の第27回総選挙まで連続三回当選。1958年5月の第28回総選挙には出馬せず引退した。
1952年、第4次吉田内閣で労働大臣、建設大臣、北海道開発庁長官として初入閣。1953年に発足した第5次吉田内閣でも建設大臣、北海道開発庁長官を務めた。
親族
編集伝記
編集- サンケイ新聞編『戸塚九一郎を偲ぶ』テレビ静岡エンタープライズ、1979年。
栄典
編集- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[1]
参考文献
編集脚注
編集- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
関連項目
編集公職 | ||
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先代 佐藤栄作 |
建設大臣 第8- 9代:1953年 - 1954年 |
次代 小澤佐重喜 |
先代 佐藤栄作 |
北海道開発庁長官 第5- 6代:1953年 - 1954年 |
次代 大野伴睦 |
先代 吉武恵市 |
労働大臣 第7代:1952年 - 1953年 |
次代 小坂善太郎 |
官職 | ||
先代 吉田茂 |
福岡県知事 官選第34代:1944年 - 1945年 |
次代 山田俊介 |
先代 半井清 |
北海道長官 官選第25代:1939年 - 1942年 |
次代 坂千秋 |
先代 菊山嘉男 |
宮城県知事 官選第28代:1939年 |
次代 清水良策 |
先代 菊山嘉男 |
山口県知事 官選第22代:1936年 - 1939年 |
次代 武井群嗣 |
先代 金森太郎 |
徳島県知事 官選第36代:1934年 - 1936年 |
次代 清水良策 |
非営利団体 | ||
先代 河井彌八 |
大日本報徳社社長 第5代:1961年 - 1973年 |
次代 神谷慶治 |