新人類
新人類(しんじんるい)とは、栗本慎一郎が作り出した造語[1]で、1980年代に用いられた。1979年頃からテレビやラジオ、大衆週刊誌などのマスメディアでも広く使われ、当時の若者を「従来とは異なった感性や価値観、行動規範を持っている」と規定し、否定的にも肯定的にも(要するに、都合良く)扱った。また、現在では後節のようにマーケティング上の世代区分の名称としても使用されている。
概要
編集この用語は、インベーダーゲームや大学入試における共通一次試験などに象徴される、それ以前の時代とは違う画一化社会に迎合し、無気力的傾向のある若者をアイロニーを込めて命名したものだが、ビジネス分野において、1984年、これら若者が新社会人層を形成する時期となったことで、マーケティング情報誌の『アクロス』(パルコ刊)が職業人としてのこれら若者を取り上げた[2]。また、同年には筑紫哲也が10代から20代の若者との対談を行う企画「新人類の旗手たち」が、『朝日ジャーナル』に連載された。そこでは新人類の「気分・思想・哲学」を探ることが試みられたが、「新人類」という用語が認知される一助となった。「新人類」は、1986年の新語・流行語大賞に選出されている。大林宣彦は「『新人類』という言葉は、PFFでかわなかのぶひろが、手塚眞と今関あきよしのことを言ったのが始まり」と述べている[3]。
広義には当時の若者全体を指して使われるようにもなり、1980年代半ばに入社してきた当時の新入社員を指して当時の管理職(世代的には焼け跡世代に相当)が、「一風変わった若者 = 新人類」と呼んだ[4]。ただし、当時の若者を漠然とさしていたため、明確な世代区分はなく、しかも現在では若者のことを新人類とは呼ぶことはなく、死語となってしまったが、マーケティングにおけるセグメンテーションでは現在でも世代名として用いられており、「1961年 - 1970年度生まれ(の概ね後期しらけ世代〈末期断層の世代〉からバブル世代までの世代)」(人口規模 1,690万人[5])と定義されることが多い[6][7][8][9](後節参照)。
大塚英志は、「新人類文化もオタク文化も同じようなものだったのに、ある日突然「新人類」だけが変わったわけです。あれは元は広告代理店がつくった言葉でした。それを(筑紫哲也氏が編集長を務めていた)「朝日ジャーナル」という権威あるメディアで「新人類」とタグを付けてもらったことで、新人類は「文化人」になった。」と批判的に述べている[10]。
「新人類」と呼ばれた人物
編集学界・言論界では中森明夫、野々村文宏、田口賢司、浅田彰(当時京都大学人文科学研究所助手)など。芸能界では新御三家(西城秀樹・郷ひろみ・野口五郎)、明石家さんま、島田紳助、泉麻人、秋元康、石原良純、たのきんトリオ(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)、とんねるず(石橋貴明・木梨憲武)、吉川晃司[11]、ダウンタウン(浜田雅功・松本人志)、浅野ゆう子、浅野温子、松田聖子、河合奈保子、岩崎良美、哀川翔、B'z(松本孝弘・稲葉浩志)など。野球界では、当時の西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に在籍していた選手たちが、ファッションや言動などこれまでの球界の常識を打ち破り、当時在籍していた工藤公康、渡辺久信、清原和博や、この当時ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)の選手として在籍していた長嶋一茂が代表的な存在。
1980年代、「新人類」としてマスコミによって取り上げられていた代表的な人物として、いずれも1955年(昭和30年)度から1967年(昭和42年)度生まれである、秋元康、尾崎豊、北尾光司、とんねるず、清原和博、戸川純、いとうせいこう、みうらじゅんなどが挙げられる。また、社会学者の稲増龍夫(1952年生まれ)は当時、これら「新人類に」対する発言を多く行っており、これもきっかけとなって当時希少であった社会心理学の観点からの現代芸能風俗研究の専門家としてマスコミから重用され、首都圏キー局の芸能情報番組などでのコメンテーターとしてのメディア露出が増えた。
前述の朝日ジャーナルの連載『新人類の旗手たち』(後に、『新人類図鑑』[12]として単行本化)に登場したのは、以下の人物であった。
- 『新人類図鑑』PART1に掲載
- 遠藤雅伸(ゲーム・デザイナー、1959年生まれ)
- 中森明夫(エディター、1960年生まれ)
- 小曽根真(ピアニスト、1961年生まれ)
- 木佐貫那子(ダンサー)
- 原律子(漫画家、1962年生まれ)
- 吉川洋一郎(作曲家、1957年生まれ)
- 原田大三郎(テクノ・アーティスト、1956年生まれ)
- 甲田益也子(ファッション・モデル、1960年生まれ)
- 川西蘭(作家、1960年生まれ)
- 加藤かおる(島の先生、シンガーソングライター)
- 高見裕一(リサイクル運動家、1956年生まれ)
- 李泰栄(CM ディレクター、1955年生まれ)
- 辻元清美(国会議員、1960年生まれ)
- 三好和義(写真家、1958年生まれ)
- 安西英明(バード・レンジャー、1956年生まれ)
- 三上晴子(オブジェ・アーティスト、1961年生まれ)
- 泉麻人(コラムニスト、1956年生まれ)
- 『新人類図鑑』PART2に掲載
- 北村信彦(デザイナー、1962年生まれ)
- 高野生、高野大(『ヒストリーズラン』編集部)
- 野々村文宏(テクノ・コラムニスト、1961年生まれ)
- 川村毅(劇作家、1959年生まれ)
- 萬處雅子(トライアスリート)
- 小野寺紳(謎々プログラマー、1959年生まれ)
- 今井アレキサンドル(環境アーティスト)
- 桜井さとみ(イラストレーター)
- 樋口尚文(映画批評家、1962年生まれ)
- 結城恭介(作家、1964年生まれ)
- 秋元康(作詞家、1958年生まれ)
- 滝田洋二郎(映画監督、1955年生まれ)
- 藤原ヒロシ(リミキサー、1964年生まれ)
- 西和彦(エンジニア、1956年生まれ)
- 洞口依子(女優、1965年生まれ)
- 平田オリザ (学生(のち劇作家)、1962年生まれ)
新人類 (世代)
編集新人類は、概要や「新人類」と呼ばれた人物に書かれている通り、1950年代後半から1960年代前半[注釈 1][13]までに生まれた世代を指す場合が多かったが、明確に定義されていたわけではない。現在、新人類を明確に定義しているものとしてマーケティング上の世代区分があり、1961年(昭和36年)から1970年(昭和45年)生まれまでと定義されている[14]。1960年代前半生まれは共通一次試験を初めて経験した、「共通一次世代」とも重なる。
特徴
編集成熟した成人として、社会を構成する一員の自覚と責任を引き受けることを拒否し、社会そのものが一つのフィクション(物語)であるという立場をとるとされた。音楽でもテクノポップの流行など、社会的にも無機質な変容が感じられた時代に、高尚な哲学や思想を語ることも、ニューアカデミズムのように一種のファッションとして存在を許された。一方、評論家の竹熊健太郎は、オタクと新人類は同一のものであり、「同じ人格類型のバリエーション」であると唱えている。
新人類世代の共有体験は、受験勉強以外にも、テレビ番組や漫画・アニメ、ロック、テクノポップ、洋楽などといったサブカルチャーの体験を特徴とする。1980年代は「ネクラ」「ネアカ」という言葉が流行り、社交的で軽く明るい性質が賞賛される傾向が強くなったが、新人類が生み出した若者文化は「ネアカ」志向であった。フォークソングは湿っぽいとして廃れ始め、ロック音楽が流行り、ヘヴィメタルが台頭し始めた。
1980年代半ば頃は、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、日本企業の国際的な地位が高まりビジネス環境が成熟してきた時代ともされ、市場開拓ではなく量的拡大を求められており、スマートに段取りよくPDCA(計画、実行、評価、改善)を回せることが優秀[13]とされた。
新人類が子育ての時期に入った1990年代は教育不信や公務員不信のムードが強まり、一部の親は学校社会において「モンスターペアレント問題」などを引き起こした。また、子供の義務教育期間中に公立学校で実施されていたゆとり教育に対する不満や不信も強く、大都市圏を中心に、子供を中学受験させて、私立の中高一貫校に行かせる傾向がさらに強まった。
親子の葛藤は少ないというのも特徴の一つである。親子間の文化の壁が小さく、いわゆる「友達親子」(一卵性母娘)型家族が増えたのもこの世代の特徴である[15]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 【nippon.com】団塊、バブル、氷河期、ゆとり : それぞれの世代の特徴は?2019年9月6日
- ^ INTEC JAPAN「新人類世代は企業カルチャーを変えるか」インテック・ジャパン(2006年11月6日)
- ^ 『スター・ウォーズ』のプロデューサーに「この映画はぜんぶNGだね」と褒め言葉を言った
- ^ 新人類世代は企業カルチャーを変えるか インテック・ジャパン(2006年11月6日)
- ^ 平成16年国勢調査に基く算出
- ^ バブル体験世代と消費 日本マーケティング研究所(2006年)
- ^ 世代区分 -30年周期の世代交代 日本マーケティング研究所(2006年)
- ^ 「クルマ買うなんてバカじゃないの ? 」社員の台頭 ( その 2 )
- ^ 「アベノミクス」効果を「嫌消費」世代の消費喚起にどう結びつけるか
- ^ セゾン文化はオタク消費に飲み込まれた:日経ビジネス電子版
- ^ 中村邦彦・高樹真二「もはや風俗現象そのもの! 本人時代の象徴だって 小泉今日子と吉川晃司 なぜかモテモテ流行学」『週刊現代』1985年4月13日号、講談社、172–175頁。
- ^ 『新人類図鑑 1』『新人類図鑑 2』 筑紫哲也著、朝日新聞社、1986年
- ^ a b 「団塊」「バブル」「ロスジェネ」「ゆとり」… / サラリーマン世代論 解を探しに・引き算の世界(1) - 日本経済新聞 (2016年4月12日)
- ^ 『読売ウイクリー』 2006年7月16日号
- ^ 小谷 敏『三田社会学』「仮面ライダーたちの変貌--新人類世代と新人類ジュニア世代 (特集:子どもたちと他者--コミュニケーションの変貌と現代社会)」三田社会学会 ISSN 1349-1458, No.11, 2006.
- ^ 東浩紀 ライブドアとオウム?2
関連項目
編集関連書籍
編集- 『若者たちの神々』1~4(筑紫哲也編、朝日新聞社、1984年~1985年) - 1984年から1985年の若者たちの“神々(20-40代)”50人との対談集。
- 『若者たちの大神』(筑紫哲也編、朝日新聞社、1987年) - 1986年から1987年の若者たちの“大神(50代以上)”22人との対談集。
- 『元気印の女たち』(筑紫哲也編著、すずさわ書店、1987年) - 39人の活躍する女性たちとの対談集。
- 『「新人類」なんて言わせない』(リクルート出版編、1987年1月 ISBN 4-88991-064-6) - 副題は【明日の主役カタログ】。“「若者たちの神々」の次の世代”の20人が、それぞれの 考え方・思うところ を述べる。