新旭川駅
新旭川駅(しんあさひかわえき)は、北海道旭川市東8条6丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。事務管理コードは▲121801[2]。駅番号はA30。所属線の宗谷本線に[1]、当駅を起点とする石北本線が乗り入れる[3]が、石北本線の列車に当駅始終着の列車はなく、全て旭川駅方面へ直通する。
新旭川駅 | |
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駅舎(2017年8月) | |
しんあさひかわ Shin-Asahikawa | |
所在地 | 北海道旭川市東8条6丁目 |
駅番号 | ○A30 |
所属事業者 | |
電報略号 | シサ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗降人員 -統計年度- |
74人/日 -2014年- |
開業年月日 | 1922年(大正11年)11月4日[1] |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ■宗谷本線 |
キロ程 | 3.7 km(旭川起点) |
◄A29 旭川四条 (1.9 km) | |
所属路線 | ■石北本線 |
キロ程 | 0.0 km(新旭川起点) |
◄(旭川四条)[* 3] (- km) (2.5 km) 南永山 A31► | |
備考 | 無人駅 |
歴史
編集石北本線の前身となる旭川・遠軽間鉄道計画(旭遠線とも)の建設が1917年(大正6年)に帝国議会で決定するのと前後して、既存の鉄道路線からの分岐点について、比布駅で分岐し愛別へ抜ける案、旭川駅で分岐して東旭川・当麻経由で愛別へ抜ける案のそれぞれで地元の誘致合戦が行われていた[4]。
1920年(大正9年)に入り、北海道建設事務所長が鉄道省の命で旭川と比布を比較し、その復命を鉄道省に提出したが、鉄道省首脳部はそのどちらでもない永山村(当時)牛朱別の地を選定し、同年11月に宗谷本線上に当駅を新設し、東旭川・当麻経由で愛別へ抜ける案が採用されることが決定した[4]。
年表
編集- 1922年(大正11年)11月4日:鉄道省宗谷本線旭川駅 - 永山駅間に新設開業(一般駅)[5]。同時に石北線当駅 - 愛別駅間開業[6]。
- 当初の読みは「しんあさひがわ」であった。
- 1927年(昭和2年)10月10日:石北線が石北西線に改称[7]。
- 1932年(昭和7年)10月1日:石北西線が石北線と線名改称[7]。
- 1939年(昭和14年)10月:国策パルプ工業旭川工場(現:日本製紙旭川工場)への専用線が開業。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1961年(昭和36年)
- 1963年(昭和38年)2月25日:小口扱貨物の取扱いを廃止し、車扱貨物および専用線発の小口扱貨物のみ取り扱いとする[8]。
- 1978年(昭和53年)12月1日:専用線発着を除く車扱貨物の取扱いを廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる[10]。
- 1988年(昭和63年)3月13日:駅名の読みを「しんあさひかわ」に変更[1]。
- 1992年(平成4年)4月1日:簡易委託廃止。
- 1997年(平成9年)9月:日本製紙旭川工場の専用線廃止。
- 2003年(平成15年)5月10日:駅構内電化[10]。
駅名の由来
編集前述のように当駅新設当時、当地は旭川市ではなく永山村字牛朱別であったが[11]、「『旭川』の発展に伴い旅客、貨物取り扱いの必要上、新設された駅であるため[12]」、また「近い将来旭川市の発展に伴い市内に編入されるであろうことを考えて[13]」、この名称になったとされる。
その牛朱別地区は当駅新設決定1年前の1919年(大正8年)から、旭川市編入を望む住民の運動があり、当時の永山村長はこの駅名について、将来の村治上の禍根の恐れ、村と全く関係のない名称であることは納得できない、といった理由から、村議会の決議も受けて当時の鉄道大臣に対し抗議の意も込め善処を求める請願を実施しているが、聞き入れられることなく「新旭川」の名称となった[14]。
その後も牛朱別は隣接の中島地区とともに旭川市への併合の運動が続けられ、1930年(昭和5年)の牛朱別川流路切替着手を契機に、当駅開業10年後の1932年(昭和7年)11月1日に牛朱別および中島地区は永山村から分離し旭川市に編入され[11][14]、1961年(昭和36年)には永山町(←永山村)自体も旭川市に編入合併して消滅している[14]。
駅構造
編集西側より、駅舎に面した単式ホーム1面1線(4番線)と、島式ホーム1面2線(3・2番線)、合計2面3線のホームを有する地上駅。2つのホームは跨線橋で連絡している。のりばのない側線が数本あり、そのうち2番線の東隣にあるものが1番線となっている。
旭川駅周辺再開発「北彩都あさひかわ」事業の影響で旭川運転所が移転し電車回送が行われるようになったため、ホームを持たない側線を除いて電化されているが、当駅を発着する定期旅客列車はすべて気動車での運行となっている。
下り方向にある出発信号機は2番線と4番線が上位に宗谷本線・下位に石北本線と方向別に分かれているが、1番線は石北本線に固定されている。1番線と2番線は折り返しが可能である。木造駅舎を持つ。
のりば
編集駅舎側より記載。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
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4 | ■宗谷本線 | 下り | 比布・名寄方面[15] |
■石北本線 | 上川・北見方面[15] | ||
3・2 | ■宗谷本線 ■石北本線 |
上り | 旭川方面[15] |
旭川駅管理の無人駅で、自動券売機などは設置されていない。駅舎内に男女別の水洗式便所がある。
当駅は日本最北端の分岐駅である[注釈 1]。
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駅舎(2004年6月)
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待合室(2017年8月)
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ホーム(2017年8月)
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跨線橋(2017年8月)
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駅名標(2017年8月)
貨物取扱
編集現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっている。定期貨物列車の発着はなく、貨物設備や接続する専用線もない。
かつては、日本製紙旭川工場(現:北海道工場旭川事業所)へ続く専用線が駅から分岐していた。この専用線は、コンテナによる紙製品の発送や、工場で使用する液体塩素や石油の輸送に使用されていたが、1997年9月に廃止された。なお、コンテナ輸送は1988年3月から行われ、1994年10月に有蓋車輸送を完全に置き換えた。
利用状況
編集乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
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年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1978年(昭和53年) | 162.0 | [16] | |||
2016年(平成28年) | 94.8 | [JR北 1] | |||
2017年(平成29年) | 92.6 | [JR北 2][JR北 3] | |||
2018年(平成30年) | 88.4 | [JR北 4] | |||
2019年(令和元年) | 89.4 | [JR北 5][JR北 6] | |||
2020年(令和 | 2年)89.2 | [JR北 7] | |||
2021年(令和 | 3年)83.2 | [JR北 8] | |||
2022年(令和 | 4年)78.0 | [JR北 9] | |||
2023年(令和 | 5年)73.4 | [JR北 10] |
駅周辺
編集周囲は市街地である。
隣の駅
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e 石野 1998, p. 896.
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、238頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 石野 1998, p. 916.
- ^ a b 比布町史刊行委員会 編『比布町史』比布町、1964年、865-867頁。doi:10.11501/3018824 。2023年1月7日閲覧。
- ^ 「鉄道省告示第149号」『官報』第3077号、内閣印刷局、1922年11月2日、doi:10.11501/2955195、2023年1月7日閲覧。
- ^ 「鉄道省告示第150号」『官報』第3077号、内閣印刷局、1922年11月2日、doi:10.11501/2955195、2023年1月7日閲覧。
- ^ a b c 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 28号・釧網本線/石北本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月31日、22-23頁。
- ^ a b 『鉄道百年記念 旭鉄略年表(1972年)』日本国有鉄道旭川鉄道管理局、1972年、31, 33頁。doi:10.11501/12061017 。
- ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日)
- ^ a b 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、14-17頁。
- ^ a b 旭川市永山町史編集委員会 編『永山町史』旭川市、1981年12月、388-394頁。doi:10.11501/9538693 。2023年1月7日閲覧。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、172頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 旭川市永山町史編集委員会 編『永山町史』旭川市、1981年12月、926頁。doi:10.11501/9538693 。2023年1月7日閲覧。
- ^ a b c 大久保, 達男「論文 永山の歴史について」『地域研究所年報』第4号、旭川大学地域研究所、1982年7月、28-49頁、doi:10.11501/7952876、ISSN 0388-3825。
- ^ a b c “新旭川|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|駅・鉄道・旅行|JR北海道 - Hokkaido Railway Company”. 北海道旅客鉄道. 2019年12月18日閲覧。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、885頁。doi:10.11501/12065814 。
JR北海道
編集- ^ 「石北線(新旭川・網走間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道、2017年12月8日。オリジナルの2017年12月9日時点におけるアーカイブ 。2017年12月10日閲覧。
- ^ 「石北線(新旭川・網走間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために)』、北海道旅客鉄道株式会社、3頁、2018年7月2日。オリジナルの2018年8月19日時点におけるアーカイブ 。2018年8月19日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員(【別添資料】(2)宗谷本線(旭川・稚内間)の状況)” (PDF). 宗谷線(旭川~稚内間)事業計画(アクションプラン). 北海道旅客鉄道. pp. 11-12 (2019年4月). 2019年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月18日閲覧。
- ^ “石北線(新旭川・網走間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “石北線(新旭川・網走間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3・4 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月2日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員(【別添資料】(2)宗谷本線(旭川・稚内間)の状況)” (PDF). 宗谷線(旭川~稚内間)第2期事業計画(アクションプラン). p. 10 (2021年4月16日). 2021年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月29日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
- ^ “宗谷線(旭川・稚内間) 事業の抜本的な改善方策の実現に向けた実行計画(2024(令和6)~2026(令和8)年度)” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月8日閲覧。
参考文献
編集- 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日。ISBN 978-4-533-02980-6。
関連項目
編集外部リンク
編集- 新旭川|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company