曽我廼家明蝶

日本の俳優

曽我廼家 明蝶(そがのや めいちょう、本名:北村 弘一(きたむら ひろかず)、1908年明治41年〉6月3日 - 1999年平成11年〉4月13日)は、日本俳優兵庫県明石市出身。旧字体「曾我廼家明蝶」。

そがのや めいちょう
曽我廼家 明蝶
曽我廼家 明蝶
1952年ごろ
本名 北村 弘一(きたむら ひろかず)
別名義 曾我廼家 明蝶(読み同じ)
生年月日 (1908-06-03) 1908年6月3日
没年月日 (1999-04-13) 1999年4月13日(90歳没)
出生地 日本の旗 日本兵庫県明石市
死没地 日本の旗 日本大阪府堺市
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1927年 - 1987年
配偶者 黒木ひかる(妻・女優)
著名な家族 北村一明(長男・愛媛朝日テレビ代表取締役会長)
受賞
芸術祭優秀賞1972年
紫綬褒章1978年
勲四等旭日小綬章1982年
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来歴・人物

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明石の寺の次男坊として生まれるが、まもなく大阪・船場の呉服商の養子となる。成器商業を経て東京の明治学院に進むも中退する。芝居の台本作家をめざして栗島すみ子の父・栗島狭衣の紹介で、1927年明石潮一座に文芸部員として入る。同期には伴淳三郎河津清三郎が俳優部にいた(河津は同級生でもある)。1928年に俳優の欠員から舞台にかりだされたのがきっかけで俳優に転じ、その後は曾我廼家五郎劇団に移籍し二枚目として活躍する。

戦後は1948年に五郎が亡くなったことから、同じ劇団の曾我廼家五郎八らと松竹新喜劇の旗揚げに参加する。2代目渋谷天外藤山寛美、五郎八と共に1963年8月に退団するまで中心俳優として活躍。以後はフリーとして舞台のみならず映画、テレビドラマにも準主役クラスで数多く出演した。また、山崎豊子作品の常連でもあった。

1975年喜劇人協会の会長となる。1964年から1972年まで明蝶芸術学院も主宰し、後進の育成にも力を注いだ。

田宮二郎主演のテレビドラマ『白い巨塔』(1978年)では主人公・財前五郎の義父・財前又一役を流暢な関西弁でユーモアたっぷりに演じた。同作放送終了目前に自殺した田宮の葬儀では、葬儀委員長を務めた。

1987年頃から心臓が悪化し芸能活動を引退。その後、1999年4月13日午後1時44分に呼吸不全のため、大阪府堺市の病院で死去。90歳没[1]

家族

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ギャラリー

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出演作品

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テレビドラマ

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映画

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舞台

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  • 道頓堀(芸術座
  • 狐狸狐狸ばなし
  • 三婆
  • 越前竹人形
  • 残菊物語

バラエティ

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受賞歴

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脚注

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外部リンク

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