松本悠里
松本 悠里(まつもと ゆり、9月19日[1] - )は、元宝塚歌劇団専科の女役[2][3]。元劇団特別顧問[4][5]。
まつもと ゆり 松本 悠里 | |||||
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生年月日 | 9月19日 | ||||
出身地 | 日本 神奈川県鎌倉市 | ||||
身長 | 159cm | ||||
職業 | 舞台俳優・日本舞踊家 | ||||
ジャンル | 舞台 | ||||
活動期間 | 1957年 - 2021年 | ||||
活動内容 |
1957年:宝塚歌劇団入団 1959年:雪組配属 1974年:舞踊専科へ異動 1989年:劇団理事に就任 2002年:音楽学校理事に就任 2014年:宝塚歌劇の殿堂入り 2019年:劇団特別顧問に就任 2021年:宝塚歌劇団退団 | ||||
主な作品 | |||||
宝塚歌劇 『夜明けの序曲』 | |||||
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備考 | |||||
宝塚歌劇団卒業生 |
来歴
編集1956年、宝塚音楽学校入学。
1957年、宝塚歌劇団に44期生として入団[7][8]。入団時の成績は23番[7]。雪組公演「春の踊り」で初舞台[7]。
1959年3月18日付で雪組に配属[7]。雪組時代は芝居・ショーともに出演したが、1974年に舞踊専科へ異動後は、日舞一筋となる[6][9]。
1979年、鳳蘭退団公演となる星組「白夜わが愛」出演時には、自身久々となる台詞のある芝居物に挑戦[6]。以降も何作か芝居に出演し、1982年、松あきら退団公演となる花組「夜明けの序曲」で演じたモルガンお雪は自身最大の当たり役となり、1999年の再演でも同役を演じた[6][2]。
1989年、戦後に入団した生徒としては初となる劇団理事に就任[9][10][4][11]。
2014年には宝塚歌劇創立100周年を記念して創設された「宝塚歌劇の殿堂」で、劇団の発展に貢献した100人の内の1人に、現役生徒として唯一選出される[9][4]。
2019年6月1日付で、30年間務めた理事を退任し、劇団特別顧問に就任[5][4][11][3][8]。
その後も和物レビューには欠かせない存在として各組に特別出演を続けてきたが[9]、2021年1月3日、月組「WELCOME TO TAKARAZUKA/ピガール狂騒曲」東京公演千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団[4][11][2][3][8]。入団64年目、現役生としては最も長いキャリアを誇る生徒の卒業となった[2]。
人物
編集神奈川県鎌倉市に生まれ。3姉妹の次女。3歳より兵庫県神戸市で育つ[12]。5歳より日本舞踊の松本流御殿舞を習い、中学生のとき名取となる[12]。春日野八千代の姿に憧れて1956年に宝塚歌劇団への入団を志し、神戸松蔭女学院高校卒業後、宝塚音楽学校に入学した[12]。
憧れの存在であった春日野とは、初めて相手役で踊った『花小袖』(1980年花組)以来、記念式典や舞踊会で共に舞踊を披露する機会が多かった[13]。2004年の宝塚歌劇団90周年記念式典では春日野および轟悠と祝舞「飛翔無限」を[13]、春日野没後の2013年に行われた宝塚音楽学校100周年式典では星組の娘役たちと祝舞「百年(ももとせ)の道」をそれぞれ披露していた[14]。松本流を基礎としたが、宝塚入団後に藤間流、花柳流、山村流などの指導も受けていることから、自身の舞踊を「宝塚流」と自称していた[13]。
1998年、宝塚歌劇団から文化庁長官表彰を受け[13]、2000年には兵庫県文化賞[13]、2001年には「永年の宝塚・日本舞踊への貢献」を理由として、春日野と共に菊田一夫演劇賞特別賞を受賞[13]。2012年の秋の叙勲では旭日小綬章を受章した[15]。
長年に亘り、日本舞踊の名手として円熟した技芸で活躍し、海外公演への出演は9回と、最多記録を持つ[16][4][11][2][3]。中でも、1989年のニューヨーク公演で演じた「雪しまき」の場面は絶賛を浴びた[4][11][3]。
宝塚歌劇団時代の主な舞台
編集初舞台
編集雪組時代
編集- 1962年1月、『火の島』『絢爛たる休日』 - オーソン夫人(宝塚大劇場)
- 1963年6月、『夏』『青春のバカンス』(宝塚大劇場)
- 1964年6 - 8月、花組『洛陽に花散れど』『天使が見ている』(宝塚大劇場)
- 1965年1 - 2月、『楊妃と梅妃』『港に浮いた青いトランク』(宝塚大劇場)
- 1965年8月、特別『花の巴里-宝塚』(宝塚大劇場) - 芸者
- 1965年9 - 10月、パリ公演『宝塚おどり絵巻』『世界への招待』(アルハンブラ劇場)[17][4][11][2][3][8]
- 1966年3月、『藍と白と紅』『あゝそは彼の人か』(宝塚大劇場)
- 1966年4 - 5月、『南蛮屏風』『春風とバイオリン』(宝塚大劇場)
- 1966年10月、『紫式部』 - 中宮・彰子『ラブ・ラブ・ラブ』(宝塚大劇場)
- 1967年3月、『忘れじの歌』『タカラジェンヌに乾杯!』(宝塚大劇場)
- 1967年4 - 5月、『おてもやん』『世界はひとつ』(宝塚大劇場)
- 1967年7月、『紫式部』 - 中宮・彰子『ラブ・ラブ・ラブ』(東京宝塚劇場)
- 1967年9 - 11月、『花のオランダ坂』『シャンゴ』
- 1968年3月、『藤花の宴』『シャンゴ』(宝塚大劇場)
- 1968年3 - 4月、『火の島』『ラブ・ラブ・ラブ』(全国ツアー)
- 1968年6 - 7月、『トリスタンとイゾルデ』 - アイルランド王妃『愛と夢とパーティ』(宝塚大劇場)
- 1968年9月、『トリスタンとイゾルデ』 - アイルランド王妃『シャンゴ』(東京宝塚劇場)
- 1968年12月、『一寸法師』『タカラヅカ'68』(宝塚大劇場のみ)
- 1969年2 - 4月、『祭』『ハムレット』
- 1969年5 - 7月、『回転木馬』(宝塚大劇場)
- 1969年10月、『能登の恋歌』『ラブ・パレード』(宝塚大劇場)
- 1970年1月、『いろはにほへと』『ラブ・パレード』(新宿コマ劇場)
- 1970年3 - 4月、『タカラヅカEXPO'70』(宝塚大劇場)
- 1970年8月、『四季の踊り絵巻』『ハロー!タカラヅカ』(東京宝塚劇場)
- 1970年10月、『雪女』『パレアナの微笑み』 - 新人公演:家政婦ナンシー(本役:三鷹恵子)(宝塚大劇場)
- 1970年11月、『春ふたたび』『ハロー!タカラヅカ』(全国ツアー)
- 1971年1 - 3月、『紅梅白梅』『シンガーズ・シンガー』
- 1971年4 - 5月、『ペーター一世の青春』『ジョイ!』(宝塚大劇場)
- 1971年8月、『ペーターの青春』『ノバ・ボサ・ノバ』(東京宝塚劇場)
- 1972年3 - 4月、『かぐら』『ザ・フラワー』(宝塚大劇場)
- 1972年6月、『星のふる街』『ジューン・ブライド』(宝塚大劇場)
- 1972年8月、雪組・星組『かぐら』『ザ・フラワー』(東京宝塚劇場)
- 1972年10月、『落葉のしらべ』『ノバ・ボサ・ノバ』(宝塚大劇場)
- 1973年1 - 3月、花組『宝塚名曲選』『パレード・タカラヅカ』
- 1973年6 - 7月、『竹』『カンテ・グランデ』(宝塚大劇場)
- 1973年11 - 12月、『たけくらべ』『ラブ・ラバー』(宝塚大劇場)
- 1974年1月、『竹』『ラブ・ラバー』(新宿コマ劇場)
- 1974年2 - 3月、『花聟くらべ』『ロマン・ロマンチック』(宝塚大劇場)
専科時代
編集- 1975年3 - 7月、月組『春の宝塚踊り』
- 1975年9 - 1976年1月、第3回ヨーロッパ公演『ザ・タカラヅカ』[17][4][11][3][8]
- 1976年5 - 6月、星組『ザ・タカラヅカ』(全国ツアー)
- 1976年6 - 9月、雪組『星影の人』 - 染香
- 1977年4 - 5月、雪組『星影の人』(福岡市民会館のみ) - 染香
- 1977年8 - 12月、花組『宝舞抄』
- 1978年3 - 5月、月組『祭りファンタジー』(宝塚大劇場のみ)
- 1978年10 - 11月、中南米公演『ザ・タカラヅカ』[17][4][11][3][8]
- 1979年2 - 3月、月組『日本の恋詩』(宝塚大劇場のみ)
- 1979年5 - 8月、星組『白夜わが愛』 - 芸者君香[6]
- 1980年5 - 8月、花組『花小袖』 - お国[10]
- 1981年2月、花組『花小袖』(中日劇場) - お国
- 1981年3 - 5月、花組『宝塚春の踊り -花の子供風土記-』(宝塚大劇場のみ)
- 1981年8 - 11月、星組『海鳴りにもののふの詩が』 - お甲
- 1982年3 - 5月、花組『春の踊り -花と夢と愛と-』(宝塚大劇場のみ)
- 1982年8 - 12月、花組『夜明けの序曲』 - ユキ・モルガン[6][2]
- 1984年1 - 2月、星組『祝いまんだら』(宝塚大劇場)
- 1984年4月、星組『春の踊り-祝いまんだら-』(東京宝塚劇場)
- 1984年8 - 12月、花組『ラ・ラ・フローラ』
- 1985年6月、第5回ハワイ公演『ジャパン・ファンタジー』『ドリーム・オブ・タカラヅカ』(ホノルルNBCホール)[17][3][8]
- 1986年3 - 7月、星組『レビュー交響楽』 - お涼
- 1987年3 - 7月、雪組『宝塚をどり讃歌』
- 1987年8 - 12月、花組『ザ・レビュースコープ』
- 1988年9 - 11月、花組『宝塚をどり讃歌'88』(宝塚大劇場のみ)
- 1989年3 - 5月、星組『春の踊り -恋の花歌舞伎-』(宝塚大劇場)
- 1989年7月、星組『恋の花歌舞伎』(東京宝塚劇場)
- 1989年10月、ニューヨーク公演『TAKARAZUKA』(ラジオシティ・ミュージックホール)[17][4][11][3]
- 1991年2 - 6月、雪組『花幻抄』
- 1992年2 - 6月、花組『白扇花集』
- 1993年1 - 4月、星組『宝寿頌』
- 1993年9 - 10月、月組『花扇抄 -花姿恋錦絵-』(宝塚大劇場のみ)
- 1994年7月、ロンドン公演『花扇抄』(コロシアム劇場)[17]
- 1995年3 - 7月、星組『国境のない地図』 - 伎芸天女
- 1996年1 - 4月、花組『花は花なり』
- 1998年1月、宙組『夢幻宝寿頌』(香港カルチュラルセンター)[17]
- 1999年1 - 5月、花組『夜明けの序曲』 - ユキ・モルガン[6]
- 2000年6 - 7月、ベルリン公演『宝塚 雪・月・花』『サンライズ・タカラヅカ』(フリードリッヒシュタット・パラスト劇場)[17]
- 2001年1 - 2月、月組『いますみれ花咲く』(東京宝塚劇場のみ)
- 2003年4 - 8月、月組『花の宝塚風土記 -春の踊り-』
- 2004年1 - 5月、花組『飛翔無限』
- 2005年5 - 8月、星組『長崎しぐれ坂』 - 花魁/芸者
- 2007年3 - 7月、星組『さくら-妖しいまでに美しいおまえ-』
- 2009年3 - 5月、雪組『風の錦絵』
- 2010年10 - 12月、星組『宝塚花の踊り絵巻-秋の踊り-』
- 2012年11 - 2013年2月、星組『宝塚ジャポニズム〜序破急〜』
- 2013年3 - 4月、星組『宝塚ジャポニズム〜序破急〜』(中日劇場・台北国家戯劇院)
- 2014年3 - 6月、月組『宝塚をどり』[8]
- 2014年7 - 8月、月組『宝塚をどり』(博多座)
- 2016年11 - 2017年2月、花組『雪華抄(せっかしょう)』[9]
- 2018年10 - 12月、宙組『白鷺(しらさぎ)の城(しろ)』 - 葛の葉/富姫/芸妓
- 2020年9 - 2021年1月、月組『WELCOME TO TAKARAZUKA-雪と月と花と-』 退団公演[4][11][2][3][8]
出演イベント
編集受賞歴
編集脚注
編集出典
編集- ^ a b c 『宝塚おとめ 2020年度版』 宝塚クリエイティブアーツ、2020年、7頁。ISBN 978-4-86649-125-7。
- ^ a b c d e f g h i 宝塚歌劇の現役レジェンド・松本悠里が来年1月3日付で退団「すばらしい思い出を胸に卒業」 スポーツ報知。
- ^ a b c d e f g h i j k l 宝塚歌劇団 専科の松本悠里が来年1月退団 30年間理事務め発展に貢献 Sponichi Annex。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “宝塚 専科の松本悠里が来年1月で退団…海外公演最多9回、昨年まで30年間理事”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2020年9月7日) 2020年9月7日閲覧。
- ^ a b “宝塚歌劇団 新理事に英真なおきが就任”. デイリースポーツ online. 2019年6月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 舞台人生変えたモルガンお雪/専科 松本悠里(2):タカラジェンヌ夢の軌跡 ENAK。
- ^ a b c d 100年史(人物) 2014, p. 56.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 宝塚歌劇専科の松本悠里、2021年1月に月組公演で退団 ステージナタリー。
- ^ a b c d e 宝塚のレジェンド松本悠里の華やかな舞いに驚き 日刊スポーツ。
- ^ a b c d e f 春日野八千代とのコンビに感激/専科 松本悠里(4):タカラジェンヌ夢の軌跡 ENAK。
- ^ a b c d e f g h i j 特別顧問で専科の松本悠里が来年1月3日に宝塚退団 日刊スポーツ。
- ^ a b c 平松澄子 (2005年7月8日). “専科 松本悠里(2):タカラジェンヌ夢の軌跡 舞台人生変えたモルガンお雪”. ENAK(産経新聞大阪夕刊). 2024年10月26日閲覧。
- ^ a b c d e f 平松澄子 (2005年7月22日). “専科 松本悠里(4):タカラジェンヌ夢の軌跡 春日野八千代とのコンビに感激”. ENAK(産経新聞大阪夕刊). 2013年6月26日閲覧。
- ^ “檀れいが司会 2244人で校歌斉唱…宝塚音楽学校創立100周年式典”. スポーツ報知 (2005年7月18日). 2013年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月26日閲覧。
- ^ “=平成24年秋の叙勲受章者名簿(PDF)” (PDF). 内閣府. 2013年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月26日閲覧。
- ^ 平松澄子 (2005年7月15日). “専科 松本悠里(3):タカラジェンヌ夢の軌跡 世界中の観客を魅了する舞い姿”. ENAK(産経新聞大阪夕刊). 2024年10月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 世界中の観客を魅了する舞い姿/専科 松本悠里(3):タカラジェンヌ夢の軌跡 ENAK。
- ^ 100年史(舞台) 2014, p. 236.
- ^ 100年史(人物) 2014, p. 48.
- ^ a b 100年史(人物) 2014, p. 49.
- ^ 100年史(人物) 2014, p. 50.
- ^ 100年史(人物) 2014, p. 57.
- ^ 『2021年宝塚 Stage Album』 宝塚クリエイティブアーツ、2022年、85頁。ISBN 978-4-86649-190-5。
参考文献
編集- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(舞台編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14600-3。
- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0。