北陸鉄道松金線
松金線(しょうきんせん)は、石川県金沢市の野町駅から石川県石川郡松任町(現白山市)の松任駅までを結んでいた北陸鉄道の鉄道路線。開業時は馬車鉄道であった。
松金線 | |||
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概要 | |||
現況 | 廃止 | ||
起終点 |
起点:野町駅 終点:松任駅 | ||
運営 | |||
開業 | 1905年11月22日 | ||
廃止 | 1955年11月15日 | ||
所有者 |
松金馬車鉄道→松金電車鉄道→ 金沢電気軌道→北陸合同電気→ 北陸鉄道(旧)→北陸鉄道 | ||
使用車両 | 車両の節を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線総延長 | 8.4 km (5.2 mi) | ||
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) | ||
過去の軌間 | 914 mm (3 ft) | ||
電化 | 直流600 V 架空電車線方式 | ||
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停車場・施設・接続路線(廃止当時) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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第二次大戦中に金沢市内線の路線延長区間に資材を供出するため野々市 - 野町駅前間が廃止され、残存区間も国道8号線(当時、現県道291号線)の整備と北陸鉄道の経営合理化のため、1955年(昭和30年)11月15日全線廃線となった。廃止路線や区間が多い北陸鉄道にあって、他の路線は1960年代後半から廃止が始まったのに対し、松金線はかなり早い廃止であった。
路線データ
編集歴史
編集種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 石川県石川郡松任町[2] |
設立 | 1902年(明治35年)11月[2] |
業種 | 鉄軌道業 |
代表者 | 取締役 田中喜太郎 他6名[2] |
資本金 | 175,000円(払込高)[2] |
特記事項:上記データは1919年(大正8年)現在[2]。 |
松任は石川郡役所の所在地であり手取川扇状地の中心地として物資が集まり繁栄していた。1898年官設鉄道北陸本線松任駅が開業したが、一日上下5本であり便利とはいいがたかった。1899年ころ地元有志により松任-金沢を結ぶ鉄道敷設を計画し、1902年松金馬車鉄道[3]が設立された。社長は政友会所属の代議士である田中喜太郎[4]が就任した。1904年松任町 - 有松間を開業し翌年には金沢市野町まで延伸開業した。明治後期には40分おきの運行しており1日20往復であった。
金石馬車鉄道(金石電気鉄道)が金沢近郊では最初の電化であったが、松金馬車鉄道でも1914年2月臨時株主総会においては電化すること、それに伴い資本金を4万円から22万円に増資することを決議した。当初は従来の併用軌道から専用軌道への転換を予定したものの、耕地整理済みの田の売却を拒む地主が続出した。やむなく馬車軌道を再利用したが道路の拡幅工事が必要なための土地買収費が必要になった。この増資により大株主は横山家の横山芳松となった。
この電化計画の時期に石川鉄道が新野々市-鶴来間の建設工事をしており松金電車鉄道とは野々市村付近で交差する。この交差工事について対立はあったもののやがて協定書を交わし交差部には連絡駅(野々市駅)を設けることになった[5]。この電化と石川鉄道との連絡運輸により利用客は増加し利益は増加した。
1919年に開業した金沢電気軌道は松金電車鉄道及び金石電気鉄道への連絡線延長を計画した。そして効率的な経営には合併が不可避として合併協議がなされた。金石電気鉄道については買収価格が高額であるとして断念したが、松金電車鉄道については株主総会で異議無く承認され、1920年合併手続きは完了した。買収後松金線は待避線を2ヶ所設け35分間隔から20分間隔に縮め、電車の増発をした。これにより乗客は増加していった。
- 1904年(明治37年)11月1日 松金馬車鉄道が松任町(後の八ツ矢) - 有松間を開業、軌間914mm[6]。
- 1905年(明治38年)11月22日 有松 - 野町間開業[6]。
- 1914年(大正3年)6月30日 松金電車鉄道に改称。
- 1916年(大正5年)
- 1920年(大正9年)3月25日 金沢電気軌道が松金電車鉄道を吸収合併。
- 1941年(昭和16年)8月1日 北陸合同電気(現在の北陸電力)設立にあわせて金沢電気軌道を合併。
- 1942年(昭和17年)3月26日 北陸合同電気が保有路線を北陸鉄道に譲渡。
- 1944年(昭和19年)
- 1955年(昭和30年)11月15日[8] 松任 - 野々市間 (5.2km) 廃止。この後、バス運行。
運行形態
編集馬車時代の運行は午前6時より午後7時20分まで40分ごと、所要時間は50分。
松任駅 - 野町駅間の営業運転時は金沢市内線の車両によって金沢市中心部の香林坊まで乗り入れが行われていた。野々市駅 - 野町駅間廃止後は野々市駅から石川線経由で野町駅まで運転されていた。
駅一覧
編集駅名および所在地は廃止時点のもの。全駅石川県に所在。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
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野町駅前駅 | - | 0.0 | 北陸鉄道:金沢市内線、石川線(野町駅) | 金沢市 |
八幡裏駅 | 0.2 | 0.2 | ||
泉駅 | 0.2 | 0.4 | ||
泉新町駅 | 0.4 | 0.8 | ||
有松駅 | 0.5 | 1.3 | ||
二万堂駅 | 0.3 | 1.6 | ||
米泉駅 | 0.5 | 2.1 | ||
押野丸木駅 | 0.5 | 2.6 | 石川郡押野村 | |
野々市駅 | 0.6 | 3.2 | 北陸鉄道:石川線 | 石川郡野々市町 |
中野々市駅 | 0.2 | 3.4 | ||
野々市西口駅 | 0.3 | 3.7 | ||
太平寺駅 | 0.7 | 4.4 | ||
稲荷駅 | 0.3 | 4.7 | ||
三日市駅 | 0.7 | 5.4 | 石川郡郷村 | |
田中駅 | 0.5 | 5.9 | ||
本田中駅 | 0.3 | 6.2 | ||
番匠駅 | 0.6 | 6.8 | ||
徳丸駅 | 0.5 | 7.3 | 石川郡松任町 | |
八ツ矢駅 | 0.7 | 8.0 | ||
東町駅 | 0.2 | 8.2 | ||
松任駅 | 0.2 | 8.4 | 日本国有鉄道:北陸本線 |
輸送・収支実績
編集年度 | 輸送人員(人) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) |
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1908 | 134,197 | 11,325 | 7,592 | 3,733 | 1,172 | |
1909 | 142,788 | 12,203 | 10,535 | 1,668 | 1,446 | |
1910 | 162,535 | 12,994 | 8,234 | 4,760 | 800 | |
1911 | 182,044 | 14,795 | 9,763 | 5,032 | 532 | |
1912 | 180,317 | 15,188 | 11,077 | 4,111 | 452 | |
1913 | 178,589 | 14,591 | 11,086 | 3,505 | 517 | |
1914 | 152,414 | 13,744 | 10,292 | 3,452 | 483 | |
1915 | 122,769 | 10,897 | 8,191 | 2,706 | 75 | |
1916 | 332,856 | 24,906 | 12,428 | 12,478 | 5,080 | |
1917 | 420,879 | 31,751 | 16,419 | 15,332 | 5,067 | |
1918 | 461,801 | 38,638 | 21,194 | 17,444 | 5,000 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料各年度版
車両
編集電化開業時には1915年梅鉢製の木製単車3両(1-3 定員46人)が用意された。1917年に名古屋電気鉄道より木製単車1両(4 定員32人)が加わった。
1949年時在籍の車両は以下の通り
- デ1-5→モハ601-605 名古屋市電の半鋼製単車。休車中入線時期不明
- モハ801・802 旧江ノ島電気鉄道113・114。出自は池上電気鉄道の電車#甲号電車
- モハ1001・1002
脚注
編集- ^ 『電気事業要覧. 第9回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d e 『日本全国諸会社役員録. 第27回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治40年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『衆議院議員列伝』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 金沢市史389頁では野々市東口停車場
- ^ a b 『鉄道院年報. 明治42年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道院年報. 大正4年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 和久田 (1993) p.93
参考文献
編集- 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、93,95頁。
- 『私鉄史ハンドブック 正誤表』(再改訂版)、2009年3月 。
- 和久田康雄『日本の市内電車-1895-1945-』成山堂書店、2009年、178頁。
- 大本久兵衛『松任案内』1911年 。(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 6 北信越、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790024-1。
- 宮田雄作「昭和24・30年代の北陸鉄道の車輛」『レイル 80 SUMMER』
- 『金沢市史』通史3 近代、2006年、388-390、393-394頁
- 新本欣悟「金沢市郊外鉄道建設と地域社会」『近代日本の地方都市ー金沢/城下町から近代都市へ』橋本哲哉編、日本経済評論社、2006年