森可敦
森 可敦(もり よしあつ)は、江戸時代中期の播磨国三日月藩の世嗣。通称は左京。
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 享保元年(1716年) |
死没 | 安永5年10月4日(1776年11月14日) |
別名 | 左京(通称) |
戒名 | 盛徳院可敦棄雲 |
藩 | 播磨三日月藩世嗣 |
氏族 | 森氏 |
父母 | 父:森長記 |
兄弟 | 可敦、俊春ら |
子 | 娘(船越景順正室)、娘(滝川利広正室のち松平定寅正室)、娘(平岡良寛養女) |
略歴
編集第2代藩主・森長記の長男。
三日月藩嫡子として育ち、享保15年(1730年)に徳川吉宗に拝謁する。しかし病弱を理由に元文元年(1736年)に廃嫡され、代わって弟・俊春が嫡子となった。安永5年(1776年)、61歳で死去した。法名は盛徳院可敦棄雲。