森長俊
江戸時代前期から中期の大名。美作津山新田藩主、播磨三日月藩初代藩主。従五位下対馬守。森長継の五男
森 長俊(もり ながとし)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。美作国津山新田藩主、のち播磨国三日月藩の初代藩主。官位は従五位下対馬守。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 慶安2年9月8日(1649年10月13日) |
死没 | 享保20年6月4日(1735年7月23日) |
改名 | 松之助、長俊、快翁(号) |
戒名 | 長俊院殿前対州刺史快翁日好大居士 |
墓所 | 東京都大田区池上の本行寺 |
官位 | 従五位下対馬守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継 |
藩 | 美作津山新田藩主→播磨三日月藩主 |
氏族 | 森氏 |
父母 | 父:森長継、母:継光院 |
兄弟 | 忠継、長武、長俊、関長治、長基、長直、衆利、万姫、鳥居忠則正室、一条冬経室、兼、関長政養女、瑞光院、大姫、松平康雄正室ら |
妻 |
正室:永井尚政の娘 側室:布宇、岡氏 |
子 | 長記、関長広、光照 |
略歴
編集美作津山藩主・森長継の5男として美作の鶴山城にて誕生。幼名は松之助。
延宝4年(1676年)4月、1万5000石を父より与えられる。しかし幕府からは津山新田藩はただちには藩として公認されず、正式に公認されたのは貞享元年(1684年)10月21日であった。元禄10年(1697年)8月、本家の津山藩森家が改易されると、同年10月19日に三日月藩に移封された。
正徳5年(1715年)7月27日、長男の長記に家督を譲って隠居し、快翁と号した。享保20年(1735年)6月4日、江戸大崎邸にて病死した。享年87。法号は長俊院殿前対州刺史快翁日好大居士。墓所は東京都大田区池上の本行寺。
藩主としては有能な人物だったといわれている。