沈 興善(シム・フンソン、심흥선)は、大韓民国軍人本貫青松沈氏[1]

沈興善
生誕 1925年1月18日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮京畿道開城市
死没 (1978-09-19) 1978年9月19日(53歳没)
大韓民国の旗 大韓民国ソウル特別市
所属組織  大日本帝国陸軍
大韓民国陸軍
最終階級 少尉(日本陸軍)
大将(韓国陸軍)
墓所 国立ソウル顕忠院将軍第2墓域
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経歴

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1925年、京畿道開城に生まれる。松都中学校卒業。同じく陸軍大将となる李世鎬とは同級生であった[2]学徒出陣して日本軍少尉。

1946年12月、警備士官学校第2期卒業、任少尉(軍番10197番)[3]。南朝鮮国防警備隊司令官・宋虎聲の専属副官となるが、交通事故を起こし、済州島の第9連隊人事課長に左遷される[2][4]済州島四・三事件発生直後の4月10日に司令部に呼び戻される[4]

1950年6月、アメリカ砲兵学校卒業[5]。同年7月、帰国。1952年、砲兵学校校長。1954年4月、第1野戦軍砲兵部長。1955年、アメリカ陸軍指揮幕僚大学卒業。

1956年、第9師団長。1959年、陸軍本部軍需参謀部次長。1960年5月、陸軍本部憲兵監。1961年、陸軍本部人事参謀副長、同年5月、広報部長官。1962年、陸軍本部管理参謀副長。1965年、第1軍団長。1966年、第3軍団長。1967年、合同参謀本部長。1968年、陸軍参謀次長。1969年、陸軍士官学校校長。1970年8月、合同参謀議長、任大将。1972年、予備役編入。同年10月、駐スペイン大使。1974年、総務処長官。

勲章

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出典

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  1. ^ (38)청송 심씨(靑松沈氏)-212,717명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年8月26日). 2022年8月16日閲覧。
  2. ^ a b 打ち明ける話- 李世鎬 元陸軍参謀総長 "全斗煥、正規陸士出身に昇進・補職の恩恵を求める"” (朝鮮語). 月刊朝鮮. 2024年11月1日閲覧。
  3. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、98頁。 
  4. ^ a b “済州4・3事件と第11連隊長 故朴珍景大領” (朝鮮語). 済州経済日報. (2022年4月6日). http://www.jejukyeongje.com/news/articleView.html?idxno=23996 2024年11月1日閲覧。 
  5. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 中巻』、101頁。 
  6. ^ Shim Heung Sun”. Military Times. 2019年6月22日閲覧。

参考文献

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  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』原書房、1976年。 
軍職
先代
金熙徳
  大韓民国陸軍士官学校校長
第21代:1969年5月3日 - 1970年7月27日
次代
チェ・セイン
先代
文亨泰
  大韓民国軍合同参謀議長
第12代:1970年8月 - 1972年6月
次代
韓信
外交職
先代
崔完福
 スペイン大韓民国大使
第2代:1972年10月11日 - 1974年4月4日
次代
申尚澈
公職
先代
-
  大韓民国広報部長官
初代:1961年5月22日 - 1961年7月6日
次代
呉在璟
先代
徐壹教
  大韓民国総務処長官
第15代:1973年1月23日 - 1977年12月19日
次代
沈宜渙