河音能平
河音 能平(かわね よしやす、 1933年3月25日 - 2003年11月22日)は、日本の歴史学者。大阪市立大学文学部名誉教授。専門は日本中世史。
来歴
編集兵庫県神戸市生まれ。甲南高等学校卒業。1957年京都大学文学部卒業[1]。京都大学大学院文学研究科修士課程修了[2]、1962年同博士課程単位取得退学。八代学院大学助教授を経て、1971年大阪市立大学文学部助教授就任。後、大阪市立大学文学部教授。1996年名誉教授。専門は日本中世で、ドイツ学者との交流や宗教史(天神信仰)の研究が有名。母方の祖父が子爵の石井行昌。
学生時代の同級生大山喬平京都大学名誉教授、大学院進学後は脇田晴子も同期になる。京大3回生の時に戸田芳実(当時修士課程在籍)に石母田正の「中世的世界の形成」を薦められ、以降同期の大山喬平らと研究会を作って中世史の研究に没頭した。(石母田正著作集月報より)
門下生として木村茂光東京学芸大学教授、酒井紀美茨城大学教授、矢田俊文新潟大学教授、吉井敏幸天理大学教授、山陰加春夫高野山大学教授らがいる。
著書
編集- 『中世封建制成立史論』東京大学出版会 1971
- 『中世封建社会の首都と農村』東京大学出版会 1984.1
- 『世界史のなかの日本中世文書』文理閣 1996.4
- 『大阪の中世前期』清文堂出版 2002.5
- 『天神信仰の成立 日本における古代から中世への移行』塙書房 2003.3
- 『河音能平著作集』(全5巻)文理閣 2010-2011
共編
編集参考文献
編集- 『河音能平著作集』編集委員会 編「河音能平年譜」『中世文書論と史料論(河音能平著作集5)』文理閣、2011年、304-305頁。
脚注
編集- ^ 卒業論文は「十二・三世紀における在地領主制と荘園領主制」(「学界消息 昭和32年京都大学卒業論文題目」『史林』第40巻第2号、史学研究会、1957年、87頁、NAID 120006818091。)
- ^ 修士課程卒業論文は「八・九世紀における「富豪の輩」について」(「学界消息 京都大学卒業論文題目」『史林』第42巻第3号、史学研究会、1959年、155頁、NAID 120006818195。)。