波江悌夫
建築家 (1885-1965)
波江 悌夫(なみえ やすお、1885年7月9日 - 1965年2月8日)は、大阪を中心に活躍した建築家。大阪城天守閣の基本設計を行ったことなどで知られる。
経歴
編集- 1885年(明治18年)東京市小石川区水道端町に生まれる
- 1903年(明治36年)東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業
- 熊本の第五高等学校を経て、東京帝国大学に入る
- 1910年(明治43年)東京帝国大学工科大学建築学科卒業
- 安田商事会社大阪支店詰め技師
- 1913年(大正2年)片岡建築事務所入所
- 1919年(大正8年)アメリカ・カナダにオフィスビルの建築視察旅行
- 1925年(大正14年)大阪市営繕建築課長就任
- 1931年(昭和6年)合資会社清水組大阪支店長
- 1934年(昭和9年)波江悌夫建築事務所設立
- 1946年(昭和21年)進駐軍技師嘱託
- 1960年(昭和35年)置塩建築事務所顧問
- 1965年(昭和40年)逝去
主な作品
編集- 大阪毎日新聞社本社(1922年、片岡建築事務所で基本設計を担当、エントランス部のみ保存)
- 天王寺公園音楽堂(1928年、現存しない)
- 大阪城天守閣(1931年、基本設計を担当、大阪市)
- 大阪市東区役所(1935年、現存しない)