焼津市立黒石小学校
焼津市立黒石小学校(やいづしりつ くろいししょうがっこう)は、静岡県焼津市にある公立小学校。
焼津市立黒石小学校 | |
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空中写真(2021年) | |
北緯34度51分02.3秒 東経138度18分03.1秒 / 北緯34.850639度 東経138.300861度座標: 北緯34度51分02.3秒 東経138度18分03.1秒 / 北緯34.850639度 東経138.300861度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 焼津市 |
設立年月日 | 1979年4月5日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制[1] |
学校コード | B122210002663 |
校地面積 | 18,826 m2 |
校舎面積 | 5,447 m2 |
設計者 | 針谷建築事務所(校舎増築部)[2] |
所在地 | 〒425-0072 |
静岡県焼津市大住1246番地[3] | |
外部リンク | 公式サイト未開設 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集市中央部の大富地区にある小学校である[4]。焼津バイパス沿いに位置し、すぐ南を黒石川が流れる[5]。同地区の北端部にあたり、校庭や駐車場などは小川地区と跨っている[4][6]。
1979年に開校した当校は、40周年を迎えてもなお、市内では最も新しい小学校である[4]。
2024年度の児童数は699人で、各学年はおおよそ4クラス編成となっている。市内では豊田小学校、焼津西小学校に次いで多い[7]。ここ10年ほどは微増傾向にあり、昨年度(2023年度)は700人台となった[8]。
沿革
編集当校が開校するきっかけとなったのは、大富地区における人口の増加にある[9]。かつては稲作や大麦の生産が盛んな純農村地帯であったが、都市化現象の進行に伴う静岡市のベッドタウンとして注目されると急激に増加した[10][9][11]。特に1975年から1980年にかけての5年間は著しく、1.1万人から約4,300人の増加[注 1]をみせた。これは市内の他地区と比べても突出しており、次点の和田地区と比べても1,200人以上の差を開いた[13]。急激な増加を受け、かねてより大富地区を学区としていた大富小学校も、1975年度は1,121人と市内でも平均的な規模であったが、3年後(1978年度)には1,672人まで増加し、市内最多となった[9][14][15]。これを受けて大富小学校の学区を分割して新設校を設ける機運が高まり、翌1979年4月に市内10番目の小学校として開校した[9][16][17]。開校により大富小学校の児童数は1,350人まで落ち着いた[17]。
教育目標
編集豊かな心でたくましく生きる子[4]
施設概要
編集主な施設を掲載。面積は延床面積を記載する。
- 校舎
- 屋内運動場(1,100 m2) - 1981年竣工の鉄骨鉄筋コンクリート造2階建て[19]
- プール - 大プール(縦25m・横13m)と小プール(縦10m・横8m)がある[4]
- 校庭(9,645 m2[4])
校地面積は18,826平方メートルである[19]。
通学区域
編集- 焼津市
- 西小川七丁目、黒石一・二丁目、大住、三右衛門新田の全域
- 小川(一部。大部分は小川小学校区域)
- 西小川八丁目(一部。他は小川小学校区域)
- 五ケ堀之内(一部。他は焼津西小学校または豊田小学校区域)
- 三ケ名(一部。他は焼津西小学校または豊田小学校区域)
- 道原(一部。大部分は大富小学校区域)
- 中新田(一部。大部分は大富小学校区域)
- 中根(一部。大部分は大富小学校区域)
- 中根新田(一部。大部分は大富小学校区域)
出典:[20]
進学先の中学校
編集周辺
編集アクセス
編集- 焼津市自主運行バス焼津循環線「三右衛門新田」停留所から徒歩約3分。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 令和6年度の主要行事予定
- ^ a b “作品紹介 - 焼津市立黒石小学校[増築]”. 企業組合針谷建築事務所. 2024年10月12日閲覧。
- ^ 焼津市立学校設置条例 第2条
- ^ a b c d e f “焼津の教育2024年版”. 焼津市. pp. 9,30-32,35 (2024年8月). 2024年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月9日閲覧。
- ^ “34°51'03.5"N 138°18'02.8"E”. Googleマップ. Google. 2024年10月9日閲覧。
- ^ “小川”. Googleマップ. Google. 2024年10月9日閲覧。
- ^ “焼津市立小中学校 児童生徒数 令和6年5月1日現在”. 焼津市. 2024年10月9日閲覧。
- ^ “焼津市立黒石小学校 - 学年別の児童数・学級数”. 学校教育情報サイトGaccom. ガッコム. 2024年10月9日閲覧。
- ^ a b c d 『環太平洋理解教育の理論的・実証的研究 : 太平洋資源の利用に関するカリキュラム開発 3』広島大学環太平洋研究組織共同研究グループ、1984年3月、63頁。doi:10.11501/12156900。
- ^ 焼津市誌下巻編纂委員会 編『焼津市誌 下巻』焼津市、1971年11月1日、313頁。doi:10.11501/2975745。
- ^ ふるさと東益津誌編集委員会 1982, p. 71,73-74.
- ^ ふるさと東益津誌編集委員会 1982, p. 71.
- ^ ふるさと東益津誌編集委員会 1982, p. 71,74.
- ^ 『全国学校名鑑 昭和51年版』福武書店、1975年9月30日、808頁。doi:10.11501/12248213。
- ^ 『全国学校総覧 昭和54年版』東京教育研究所、1978年11月25日、709頁。doi:10.11501/12250020。
- ^ “焼津市議会70年史”. 焼津市. p. 111. 2024年10月9日閲覧。
- ^ a b 『全国学校総覧 昭和55年版』東京教育研究所、1979年11月15日、712頁。doi:10.11501/12251261。
- ^ “焼津市が保有する公共建築物の耐震性能に係るリスト”. 焼津市. p. 6 (2021年4月). 2024年10月9日閲覧。
- ^ a b c d “令和5年度施設評価 - 施設カルテ - 学校教育施設”. 焼津市. p. 121 (2024年3月). 2024年10月9日閲覧。
- ^ “焼津市内小学校通学区域一覧表”. 焼津市ホームページ. 焼津市. 2024年10月9日閲覧。
- ^ “焼津市内中学校通学区域一覧表”. 焼津市ホームページ. 焼津市. 2024年10月8日閲覧。
参考文献
編集- ふるさと東益津誌編集委員会 編『ふるさと東益津誌』焼津市東部コミュニティ推進協議会、1982年7月24日。doi:10.11501/9539019。 NCID BB01409291。