猪狩八郎
猪狩 八郎(いかり はちろう、1846年(弘化3年7月[1][2]) - 1905年(明治38年)8月23日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
編集陸奥国江刺郡片岡村(のち岩手県江刺郡岩谷堂町→江刺町→江刺市、現・奥州市)生まれ[1]。農業を営む[2]。片岡村戸長、胆沢江刺郡書記、西根三ヶ尻村戸長を経て、1889年の町村制施行による岩谷堂町発足により、初代町長に就任し、1897年まで務めた[3]。
1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において岩手4区から進歩党公認で立候補して当選した[4]。衆議院議員を1期務め、同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政本党から立候補したが落選した[5]。1899年から再び岩谷堂町長に就任[3]。1905年8月に退任し[3]、間もなく死去した。
脚注
編集参考文献
編集- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。