白雲型駆逐艦
白雲型駆逐艦(しらくもがたくちくかん)は、大日本帝国海軍の駆逐艦の艦級[1]。第二期海軍拡張計画に基づき、明治33年度計画でイギリスのソーニクロフト社に2隻が発注され、1902年より順次に就役した[2]。
白雲型駆逐艦 | |
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基本情報 | |
種別 | 駆逐艦 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
就役期間 | 1902年 - 1923年 |
前級 | 暁型駆逐艦 |
次級 | 春雨型駆逐艦 |
要目 (新造時の白雲) | |
常備排水量 | 322トン |
全長 | 65.9 m |
最大幅 | 6.3 m |
吃水 | 1.9 m (平均) |
ボイラー | 水管ボイラー×3缶 |
主機 | レシプロ蒸気機関×2基 |
推進器 | スクリュープロペラ×2軸 |
出力 | 7,000馬力 |
速力 | 31ノット |
燃料 | 石炭95トン |
乗員 | 62名 |
兵装 |
・40口径7.6cm砲×1門 ・40口径5.7cm砲×5門 ・45cm単装魚雷発射管×2基 |
設計
編集第一期海軍拡張計画に基いて建造された東雲型をもとに、排水量を若干増大するとともに機関出力の増加を図った発展型である[2]。ボイラーは4基に増備され、蒸気性状も圧力16.2 kgf/cm2 (230 lbf/in2)に高圧化された。主機械も大型化されている[3]。これに伴い、煙突は2本増やされて4本となった。海上公試では、白雲は31.819ノット、朝潮は31.058ノットを記録している。また暁型と同様、舵を釣合舵に改正した[2]。
兵装は、同じ第二期海軍拡張計画で建造された暁型の構成・配置が踏襲されており、艦砲として司令塔上に40口径7.6cm砲(安式十二斤速射砲)1門、また副砲として40口径5.7cm砲(山内式六斤速射砲)を上甲板後端に1門と両舷に2門ずつ設置した。また魚雷については、上甲板後部の中心線上に2個の旋回台を設け、これに人力旋回式の45cm魚雷発射管を1門ずつ設置した[4]。
同型艦
編集白雲(しらくも)
編集→詳細は「白雲 (白雲型駆逐艦)」を参照
- 当初の艦名は第十五号駆逐艦[5]。1901年10月1日に進水し「白雲」と命名[6]。1902年(明治35年)2月13日、イギリス・ソーニクロフト社で竣工。同年2月27日、日本へ回航[7]。同年5月30日、呉に到着。1922年(大正11年)4月1日、特務艇(二等掃海艇)に類別変更。1923年(大正12年)4月1日、雑役船に編入。1925年(大正14年)7月21日、豊後水道姫島沖で実艦標的として撃沈処分。
朝潮(あさしお/あさしほ)
編集→詳細は「朝潮 (白雲型駆逐艦)」を参照
出典
編集参考文献
編集- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍省/編『海軍制度沿革』 巻8、海軍大臣官房、1940年 。
- Chesneau, Roger (1988). Conway's All the World's Fighting Ships 1860-1905. Conway Maritime. pp. 237-238. ISBN 978-0851771335
- 中川, 務「日本駆逐艦史」『世界の艦船』第453号、海人社、1992年7月、18-19頁。
- 石橋, 孝夫「船体 (技術面から見た日本駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第453号、海人社、1994年2月、160-165頁、ISBN 978-4905551478。
- 阿部, 安雄「機関 (技術面から見た日本駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第453号、海人社、1994年2月、166-173頁、ISBN 978-4905551478。
- 高須, 廣一「兵装 (技術面から見た日本駆逐艦の発達)」『世界の艦船』第453号、海人社、1992年7月、174-181頁。
- 福井, 静夫『写真日本海軍全艦艇史』 資料編、KKベストセラーズ、1994年。ISBN 978-4584170540。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』 第7巻、第一法規出版、1995年。ISBN 978-4474100589。
- 艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜 1
- 『官報』