盛子内親王
日本の平安時代の皇族、村上天皇の第5皇女
盛子内親王(せいし/もりこないしんのう)は、村上天皇の第5皇女。母は更衣・源計子(中納言・源庶明の娘、広幡御息所といわれた)。同母姉に理子内親王がいた。無品。
盛子内親王 | |
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時代 | 平安時代中期 |
生誕 | 天暦5年(951年) |
薨去 | 長徳4年7月20日(998年8月14日) |
位階 | 無品 |
父母 | 父:村上天皇、母:源計子 |
兄弟 | 承子内親王、理子内親王、保子内親王、規子内親王、広平親王、冷泉天皇、致平親王、盛子内親王、為平親王、楽子内親王、輔子内親王、昭平親王、緝子内親王、資子内親王、昌平親王、円融天皇、選子内親王、具平親王、永平親王 |
夫 | 藤原顕光 |
子 | 重家、元子、延子 |
貞元2年(977年)以前に藤原顕光と結婚する。貞元2年に重家を、引き続いて元子(一条天皇女御)、延子(敦明親王(小一条院)妃)の二女をもうける。長徳4年(998年)7月20日、薨去した。
祖父・源庶明、母・計子を経て、広幡第を継承したとされる。広幡第はその後、夫である藤原顕光を経て僧・仁康に施入され、広幡寺とされた。
参考文献
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