石川村任
石川 村任(いしかわ むらとう)は、江戸時代の武士。仙台藩一門筆頭・角田石川家第10代(陸奥石川氏第34代)当主。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 明和5年11月29日(1769年1月6日) |
死没 | 享和4年2月10日(1804年3月21日) |
別名 | 小膳、中務 |
戒名 | 光徳院殿円山義性大居士 |
墓所 | 長泉寺(宮城県角田市) |
主君 | 伊達重村→斉村→周宗 |
藩 | 仙台藩 |
氏族 | 角田石川家 |
父母 | 父:石川村文、母:喜与(伊達村通の娘) |
兄弟 | 村任、文好、任敏、任亮、尚峰 |
妻 | 正室:伊達村良の娘・藤姫 |
子 | 光尚、宗光 |
生涯
編集明和5年(1769年)11月29日、角田石川家第9代当主・石川村文の長男として生まれる。幼名は小膳。
安永7年(1778年)元服し、藩主伊達重村の偏諱を受け、中務村任と名乗る。寛政9年(1797年)父村文が不行跡を理由に隠居することなり、家督相続し角田邑主となる。
享和元年(1801年)8月、家督を狙った伯父俊明(村文庶兄)、矢吹十兵衛(俊明娘婿)一味が引き起こしたお家騒動の責めを負って隠居することとなり、家督を嫡男光尚に譲る。
参考文献
編集- 『源流無尽』
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