福家雅明
福家 雅明(ふくや まさあき、1959年4月10日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)、テレビディレクター、野球解説者。WES取締役社長[1]。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県津名郡一宮町(現:淡路市) |
生年月日 | 1959年4月10日(65歳) |
身長 体重 |
186 cm 81 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1981年 ドラフト4位 |
初出場 | 1982年4月7日 |
最終出場 | 1988年5月29日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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ふくや まさあき 福家 雅明 | |
---|---|
生年月日 | 1959年4月10日(65歳) |
職業 |
テレビディレクター 実業家 |
ジャンル | テレビ番組 |
活動期間 | 1990年代 - |
活動内容 |
日本プロ野球・阪神タイガースの試合中継・情報番組制作・リポーター出演 番組制作会社の経営 |
備考 | |
WES取締役社長 |
来歴・人物
編集プロ入り前
編集天理高では春夏の甲子園に4度出場。1年生の1975年夏の甲子園には控え投手として出場。準々決勝に進出するが新居浜商に敗れ、自身の登板機会はなかった。2年生でエースとなるが、1976年の春の選抜では2回戦で福井高に敗れ、同年夏の甲子園では3回戦で石川星稜に敗退。1977年、3年生時の春の選抜では準々決勝に進出するが、エース山沖之彦を擁する中村高に敗退した。同年夏は、県予選準々決勝で智辯学園の山口哲治に完封され、甲子園出場はならなかった。同期に遊撃手、四番打者をつとめた鈴木康友がいる。
高校卒業後の1978年に社会人野球の三菱自動車川崎へ入団。1980年の都市対抗野球ではリリーフで活躍。翌1981年の同大会では2試合に先発し、チームの準々決勝進出に貢献した。
1981年のプロ野球ドラフト会議で、阪神タイガースから4位指名を受け入団。
プロ野球選手時代
編集先発では結果を残せず、主に中継ぎとして起用され、1984年には30試合に登板するが、その後は出場機会が減る。1989年に福家、佐藤秀明対住友一哉、南秀憲の交換トレードで近鉄バファローズへ移籍し、同年限りで現役を引退した。
速球と口ヒゲがトレードマークの選手だった。長身を利かせた右スリークォーターのフォームは元・阪神の江本孟紀(背番号29の前任者)によく似ており、速球に加えて、カーブ、スライダー、SFFを武器とした。SFFについては、三振を取られた中畑清が「ストレートと同じスピードで落ちる」[2]、杉下茂が「真のフォークを投げる投手」と評したエピソードが残っており[2]、「日本で最初にSFFを投げた男」とも言われる[2]。
テレビディレクター時代
編集1990年、テレビ番組の制作会社である「大阪東通」(現:関西東通)に入社[1]。その後は、sky・A sports+放送の番組でディレクターを務める傍ら[1]、野球解説者[3]やリポーターも担当している。また「Tigers-ai」制作による阪神戦中継でもディレクターを務めている[1]。
その間、2006年より新設された制作会社「WES(ウエス)」に所属[1]。2009年の春季キャンプ直後に当時の社長が交通事故死してからは[1]、同社の取締役社長を務める[1]。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1982 | 阪神 | 17 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 132 | 30.2 | 28 | 4 | 16 | 0 | 0 | 14 | 3 | 0 | 19 | 18 | 5.23 | 1.43 |
1983 | 13 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 106 | 20.0 | 33 | 5 | 18 | 0 | 2 | 8 | 2 | 0 | 23 | 22 | 9.90 | 2.55 | |
1984 | 30 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | -- | .000 | 275 | 61.1 | 63 | 13 | 36 | 3 | 2 | 40 | 3 | 1 | 40 | 37 | 5.43 | 1.61 | |
1985 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 67 | 14.1 | 15 | 3 | 12 | 0 | 1 | 11 | 1 | 0 | 11 | 11 | 6.91 | 1.88 | |
1986 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 87 | 21.1 | 19 | 2 | 6 | 0 | 0 | 21 | 0 | 0 | 7 | 7 | 2.95 | 1.17 | |
1987 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 110 | 25.1 | 29 | 8 | 9 | 2 | 0 | 24 | 1 | 0 | 14 | 12 | 4.26 | 1.50 | |
1988 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 9 | 2.0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0.00 | 2.00 | |
通算:7年 | 95 | 14 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | -- | .000 | 786 | 175.0 | 187 | 35 | 101 | 5 | 5 | 121 | 10 | 1 | 115 | 107 | 5.50 | 1.65 |
記録
編集- 初登板:1982年4月7日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤ球場)、7回裏1死に5番手で救援登板・完了、1回2/3を3失点
- 初奪三振:同上、7回裏に大島康徳から
- 初先発:1982年6月10日、対ヤクルトスワローズ11回戦(明治神宮野球場)、7回1失点
- 初完投:1984年5月29日、対中日ドラゴンズ6回戦(ナゴヤ球場)、8回2失点で敗戦投手
背番号
編集- 29 (1982年 - 1987年)
- 45 (1988年)
- 39 (1989年)
関連情報
編集制作・出演番組
編集※ディレクター・リポーターを担当。
- Tigers-ai制作阪神戦中継
- スカイAスタジアム(sky・A sports+)
- GAORAプロ野球中継(GAORA)
- 猛虎キャンプリポート(sky・A sports+)
- 夕やけスタジアム(sky・A sports+。『スカイAスタジアム』開始直前の情報番組)
- スカイ・Aは虎バン主義。(sky・A sports+)
脚注
編集参考資料
編集- 猛虎大鑑(『B.B.MOOK』220、『スポーツ・スピリット』21。2002年、ベースボール・マガジン社発行)ISBN 978-4583611860
- 各種外部リンク
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 福家雅明 - NPB.jp 日本野球機構
- 「甲子園から浜風便り」 (福家自身によるsky・Asports+内のブログ)
- 【有名高校人脈】豪打天理、最高のOBは「不惑の本塁打王」門田博光 - スポーツ - ZAKZAK 2011年7月11日配信