笠木透
人物
編集1937年11月2日、岐阜県恵那郡岩村町(現・恵那市)に生まれる[1]。岐阜大学卒業後、教員、出版社勤務を経てフリーのフォークシンガーに。1969年から1971年の3回にわたり中津川労音の事務局長として中津川フォークジャンボリーの企画・運営に携わる。
その後、フィールド・フォークを提唱し、テレビ出演などのマスメディアにほとんど頼らない活動を続けて、小さな町や村など全国津々浦々でコンサートを行っていた。 1971年、「我夢土下座」(カムトゲザ、COME TOGETHER)を結成。1985年、坂庭省悟、安達元彦、進藤了彦、赤木一孝らと「フォークス」を結成(後に松崎博彦が参加)し、リーダーをつとめる。フォークス解散後ソロとして活躍する一方、F・F・C(フィールド・フォーク・カルチャー)ユニオンを結成。その後、1994年、増田康記、岩田健三郎、岩田美樹、安川誠、山本忠生らと「雑花塾」を結成、上田達生(山口)、佐藤せいごう(茨城)、北嶋誠(茨城)、鈴木幹夫(長野)、尾崎ツトム(岡山)などのメンバーとともに全国各地で精力的に活動を続けていた。「私の子どもたちへ」「あなたが夜明けを告げる子どもたち」「私に人生といえるものがあるなら」「わが大地のうた」などオリジナルは800曲を超える。 2005年の春に、「憲法フォークジャンボリー制作 連根の会」を立ち上げ、全国各地での憲法フォークジャンボリーの開催を呼びかけている。
作品(ソロのみ)
編集- 「私の子どもたちへ」(1993年)
- 「昨日生れたブタの子が」(1995年)
- 「君よ五月の風になれ」(1996年)
- 「わが大地のうた」(2004年)
- 「鳥よ鳥よ青い鳥よ」
- 「ピース・ナイン(笠木透と雑花塾)」(2005年)
関連項目
編集脚注
編集- ^ 笠木透の人生と替え唄 立命館大学の鵜野祐介教授の研究ノート
- ^ 笠木透さん死去 中津川のフォークジャンボリー企画 朝日新聞 2014年12月24日
- ^ 野外フェス生みの親、笠木透さん死去 「中津川フォークジャンボリー」 産経WEST 2014年12月24日