細谷将司

日本のバスケットボール選手

細谷 将司(ほそや まさし、1989年平成元年〉10月2日 - )は、日本プロバスケットボール選手。神奈川県中郡二宮町出身。ポジションはポイントガードB.LEAGUE福井ブローウィンズ所属。

細谷 将司
Masashi Hosoya
2019年05月19日 撮影
福井ブローウィンズ  No.0
ポジション PG
所属リーグ B.LEAGUE
基本情報
愛称 マーシー、マサシ
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-10-02) 1989年10月2日(35歳)
出身地 神奈川県の旗 神奈川県中郡二宮町
身長 173cm (5 ft 8 in)
体重 72kg (159 lb)
キャリア情報
高校 神奈川県立秦野南が丘高等学校
大学 関東学院大学
プロ選手期間 2012–現在
経歴
2012-2014TGI D-RISE
2014-2015兵庫ストークス
2015-2016サイバーダインつくばロボッツ
2016-2019横浜ビー・コルセアーズ
2019-2021秋田ノーザンハピネッツ
2021-2023シーホース三河
2023-福井ブローウィンズ
選手情報 ウィキデータを編集 B.LEAGUE.jp

来歴

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二宮町立一色小学校ではサッカーに打ち込んでいたが、中学校にはサッカー部がなかったためバスケットボール部に入部[1]。中学時代は身長も平均より高かったこともあり、主にSFPFでプレイしていた[2]二宮町立二宮西中学校神奈川県立秦野南が丘高等学校時代は県大会ベスト16が最高成績[1]で目立った成績は残せなかった上に、家庭の事情もあり高校卒業時にバスケをやめざるを得なかったが、関東学院大学のスポーツ推薦トライアルに合格し、大学でもバスケを続けることができた[2]。大学ではなかなか試合への出場機会を得られず、長い出場時間を得ることができたのは4年の秋になってからだった[2]。大学卒業時にプロチームからのオファーは無かったが、4年時のプレイを視察していた葵企業からの勧誘があり、安定した仕事に就いて家族を安心させようと葵企業に入社、バスケットボール部に入部した。しかしプロへの道を諦めきれず、就職してわずか3ヶ月でTGI D-RISEのトライアウトを受け合格[2]。チームとの契約を結んだ[3]

2014-15シーズンは兵庫ストークスと契約したが十分な試合出場時間は得られず、2015-16シーズンは、サイバーダインつくばロボッツと契約した。2016年、B.LEAGUE開幕とともに横浜ビー・コルセアーズに移籍[4]。2016-17シーズン開幕直後は山田謙治の控えだったが、初スタメンの2016年10月9日三遠ネオフェニックス戦でチーム記録の1試合39得点を記録した事により評価が上昇。残りのシーズンはレギュラーとして出場を続けた。12月には日本代表候補に初めて選出された[5]。翌年もシーズンを通してレギュラーを守り続けた[要出典]が、2018-19シーズンは4試合目からは田渡にスターターを譲り渡す。しかしシックスマンとして出場を続け、2018年11月7日の三遠戦でB1通算1000得点を達成した。12月9日の川崎ブレイブサンダース戦後、脳震盪の疑いで欠場[6]したものの3日後には復帰している。しかし、シーズン終盤に入るとレギュラーの田渡に加えて、法政大学からの特別指定選手である中村太地ともプレー時間を分け合うこととなり、また怪我の影響もあり出場時間を大きく減らした。[要出典]

2019年6月、秋田ノーザンハピネッツに移籍[7]

2021年、シーホース三河に移籍。

2023年、B3リーグに新規参入する福井ブローウィンズに移籍。B3でのプレーは自身初。

人物

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  • 攻撃における細谷の最大の武器はドライブであり、相手がシュートブロックで詰めてきたところを、急加速で一気にインサイドへ切り込んでにレイアップで得点する。体が小さくファール無しでは止めにくい上に、体幹とフィジカルも強いため、多少のディフェンスとの接触があってもシュートまでもってゆける事も、細谷の高得点能力における理由の一つである[8]
  • ドライブからのキックアウトも武器であり、ドライブでディフェンスを引きつけながら、ウィングにアシストパスを出すコンビネーションを得意としている。また確率だけではなく、勝負所でのスリーポイントシュートを決めることができるクラッチシューターでもある[8]
  • 反面、試合ごとに調子にムラがあり、調子が上がらない試合での消極性や守備能力の不足、大事な場面でのミスが問題になる事もある。[要出典]

その他

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  • 尊敬するプレイヤーは田臥勇太で、TGI・Dライズ時代にはトップチームで活躍する田臥に多くの教えを受けた事から、田臥とは今も師弟関係にある[要出典]
  • 細谷自身、学生時代に目立った成績を残せず、また低身長だったこともあり、「お前には(バスケットボールを続けるのは)無理だ」と言われ続けて来たことから、「高い目標をもって、諦めずに努力していけば、必ずチャンスが来る」という強い信念を持ち続けることが大事と度々口にしている[2]
  • 実業団チームを持つ葵企業に入社後も、プロバスケ選手への夢を捨てきれなかったが、上司から仕事中に呼び出され「プロになりたかったんじゃないのか」「トライアウトを受けて、受かったらプロになれ。落ちたら葵企業で一生働くことを約束しろ」との檄を受けて、TGI D-RISEのトライアウト挑戦を決意した[8]
  • 小学校時はサッカーをしていたが、利き足は左で、ポジションはゴールキーパーとフィールドプレイヤーをこなしていた[2]

個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ  *  リーグリーダー  †  優勝シーズン
シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
JBL2 2012-13 TGI・Dライズ
JBL2 2013-14 32 31 35.2 .397 .354 .805 0.3 3.4 0.8 0.1 3.4 16.9
NBL 2014-15 兵庫 52 8 13.0 .319 .269 .875 0.1 0.7 0.2 0.0 0.6 3.1
NBL 2015-16 つくば 53 35 24.9 .393 .335 .771 0.3 2.2 0.5 0.0 1.8 8.2
B1 2016-17 横浜 56 42 26.8 .405 .364 .782 0.4 2.3 0.6 0.1 1.3 7.1
B1 2017-18 58 47 23.2 .398 .356 .857 0.2 3.3 0.7 0.0 1.3 7.1
B1 2018-19 55 8 19.9 .404 .353 .763 1.4 2.2 0.5 0.0 1.1 7.2
B1 2019-20 秋田
B1 2020-21
B1 2021-22 三河

ギャラリー

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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