花のれん
『花のれん』(はなのれん)は、山崎豊子の小説。1958年1月号から1958年6月号まで中央公論社の月刊誌『中央公論』に連載され、同年6月に同社から単行本が刊行された。1961年に新潮文庫版が刊行された(2005年には新装版が刊行されている)。第39回直木三十五賞受賞作。主人公のモデルは、吉本興業の創業者・吉本せい[1]。
花のれん | |
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作者 | 山崎豊子 |
国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
ジャンル | 長編小説 |
発表形態 | 雑誌連載 |
初出情報 | |
初出 |
『中央公論』 1958年1月号 - 1958年6月号 |
刊本情報 | |
出版元 | 中央公論社 |
出版年月日 | 1958年6月 |
総ページ数 | 258 |
受賞 | |
第39回直木三十五賞 | |
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戦前の上方の寄席小屋や大阪商人の世界を、商売一筋に生きた一人の女性の人生に沿って情緒豊かに描いている。初代桂春団治、エンタツ・アチャコなども実名で登場して花を添える。
1958年に芸術座(菊田一夫脚色・三益愛子主演)で舞台化され、1959年に宝塚映画(配給は東宝)で映画化された。また、1960年と1995年には同名で、1966年から翌年にかけては、『横堀川』(『暖簾』『ぼんち』と本作に着想を得て、脚本家の茂木草介が構築し直したドラマ)として3度テレビドラマ化された。
あらすじ
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多加は大阪の堀江中通りで米問屋を営む家の次女として生まれた。見合いにより呉服問屋・河島屋に嫁ぐ。河島屋は、明治10年頃に、義父の吉太が西船場の横堀筋で創めた店で、船場の呉服問屋としては珍しく、古着を扱ったことから繁盛した店であった。多加の夫である吉三郎は父の急死後、二代目の店主となったが、商売に身が入らず、寄席道楽、女道楽に身を持ち崩し、とうとう、相場に手を出して多額の負債を作り、河島屋の身代を潰してしまう。
多加の、好きで家を潰した寄席や芸人なら、その道楽を元でとして寄席小屋の経営という商売を始めたらどうか、という忠告により、吉三郎は芝居小屋を探し、明治44年7月初め、天満・大阪天満宮の裏手にあった寄席を買い取り、天満亭と名づけた。この時、吉三郎が34歳、多加が25歳。木戸銭を一流の寄席の半額、5銭としたり、多加の発案で、店先で氷の上でゴロゴロと転がして冷やした冷やし飴を売ったりするなどして、次第に人気を得るようになった。
この当時の寄席の花形は落語であった。一流の寄席は南地の法善寺横丁にある金沢亭、紅梅亭を筆頭に、定席の落語興行を行なっていた。上方の落語界は、金沢亭を本拠とする桂派と、紅梅亭を根城にする三友派とが芸を競っていた。開業当初の天満亭は、落語の大御所を呼べるような格ではなく、素人あがりの落語家に、物真似、女講談師、音曲、剣舞、軽口などの興行を行なっていた。落語以外の出し物は色物と呼ばれた。
3年後、大正3年正月、松島の芦辺館を入手することができ、寄席は2軒に増えた。この頃より、吉三郎は席主としての商売に身が入らなくなり、外に妾(てかけ)を作り、挙句の果てに妾宅で急死してしまう。白装束の喪服で夫を送った多加は、以後、女席主として、商売に一心不乱に励むこととなる。大正7年2月、上述の一流寄席、金沢亭を買い取ることに成功した多加(32歳)は、金沢亭を花菱亭と改め、天満亭を天満花菱亭、芦辺館を松島花菱亭と改め、多角経営に乗り出した。この頃には、多加の機転により、落語の師匠たちも高座にあげることができるようになっており、また一流寄席のお茶子を引き抜くことにも成功して、さらに商売を広げていくようになる[2]。
登場人物
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出版
編集- 単行本
- 『花のれん』(1958年、中央公論社)
- 文庫
- 『花のれん』(1961年、新潮社)
- 『花のれん(新装版)』(2005年、新潮社)※活字が大幅に拡大。
- 全集
- 『山崎豊子全作品』第1巻(1986年、新潮社)※『暖簾』『しぶちん』『船場狂い』『持参金』『死亡記事』『遺留品』『へんねし』『醜男』『晴着』と共に収録。
- 『山崎豊子全集』第1巻(2003年、新潮社)※『暖簾』『船場狂い』『持参金』『遺留品』『しぶちん』と共に収録。
舞台
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映画
編集花のれん | |
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監督 | 豊田四郎 |
脚本 | 八住利雄 |
原作 | 山崎豊子 『花のれん』 |
出演者 | 淡島千景 |
音楽 | 芥川也寸志 |
撮影 | 安本淳[3][4] |
編集 | 岩下廣一[3][5] |
製作会社 | 宝塚映画 |
配給 | 東宝 |
公開 | 1959年1月27日[3][4] |
上映時間 | 129分[3][4] |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
キャスト
編集- 淡島千景 - 河島多加
- 花菱アチャコ - ガマ口
- 司葉子 - 京子
- 森繁久弥 - 河島吉三郎
- 石浜朗 - 河島久雄
- 佐分利信 - 伊藤友衛
- 飯田蝶子 - 安来節お種
- 乙羽信子 - お梅
- 浪花千栄子 - 石川きん
- 万代峯子 - お政
- 田村楽太 - 下足番権やん
- 山茶花究 - 織京の主人
- 頭師孝雄 - 巳之助
- 環三千世 - おしの
スタッフ
編集- 脚本:八住利雄
- 音楽:芥川也寸志
- 監督:豊田四郎
- 製作:滝村和男、杉原貞雄
- 配給:東宝
- 美術:伊藤熹朔
- 録音:鴛海晄次
- 照明:下村一夫
- 原作:山崎豊子『花のれん』
- 撮影:安本淳[3][4]
- 編集:岩下廣一[3][5]
同時上映
編集テレビドラマ
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1960年版
編集1960年1月18日、1月25日、フジテレビの『三菱ダイヤモンド劇場』枠(月曜20時30分 - 21時。新三菱重工 (現:三菱自動車工業) 一社提供。)で放送された。全2回。
フジテレビ系 三菱ダイヤモンド劇場 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
花のれん
(1960年版) |
1962年版
編集1962年3月26日 - 同年5月7日にTBS系列で放送。放送時間は月曜22時 - 22時30分。主演は森光子で、演出は後年森と結婚(後に離婚)する岡本愛彦。
TBS系列 月曜22時台後半枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
花のれん
(1962年版) |
1966年版
編集1966年4月4日 - 1967年3月27日、『横堀川』としてNHKで放送された。現存する映像は全話のうち4本のみである。
1995年版
編集1995年1月1日にテレビ東京の初春ドラマスペシャルとして21時3分 - 23時54分に放送。全1回。副題に「細腕一本で日本国中を笑いの渦にまき込んだ女性興業師 知恵と度胸の奮戦記」と付け加えている。
- キャスト
- スタッフ
2025年版
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テレビ朝日ドラマプレミアム 山崎豊子生誕100年記念 花のれん | |
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原作 | 山崎豊子 |
企画 |
一般社団法人山崎豊子著作権管理法人(協力) 新潮社(協力) |
脚本 | 吉田紀子 |
監督 | 竹園元(テレビ朝日) |
出演者 | 北川景子 |
国・地域 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作 | |
製作総指揮 | 横地郁英(テレビ朝日) |
プロデューサー |
竹園元(テレビ朝日) 土田真通(東映) 百瀬龍介(東映) 丸山真哉(東映テレビプロダクション) |
制作 |
テレビ朝日 東映 |
放送 | |
放送チャンネル | テレビ朝日系 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 2025年(予定) |
公式サイト |
2025年に「山崎豊子生誕100年記念」としてテレビ朝日系にて放送予定[6]。主演は北川景子[6]。
キャスト(2025年版)
編集- 河島多加 - 北川景子
スタッフ(2025年版)
編集脚注
編集- ^ 伊藤あゆみ (2016年2月23日). “吉本せい 大阪の寄席から大芸能プロ「吉本興業」を築いた明治の女傑”. dot. (朝日新聞出版) 2017年3月13日閲覧。
- ^ 花のれん(山崎豊子著、新潮社(1995年改版)ISBN 978-4-10-110403-4)
- ^ a b c d e f kinenote.
- ^ a b c d allcinema.
- ^ a b 国立映画アーカイブ.
- ^ a b c d e f g h i “北川景子がエンタメ界の礎を築いた興行師に 山崎豊子原作ドラマ『花のれん』放送決定”. Real Sound | リアルサウンド映画部. blueprint (2024年10月23日). 2024年10月23日閲覧。
参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 小説
- テレビドラマ
-
- 2025年版
- テレビ朝日ドラマプレミアム 山崎豊子生誕100年記念『花のれん』 - テレビ朝日
- 『花のれん』テレビ朝日ドラマプレミアム【公式】 (@ex5dpremiu66555) - X(旧Twitter)
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- テレビ朝日ドラマプレミアム 山崎豊子生誕100年記念『花のれん』 - テレビ朝日
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