花房職利

日本の江戸時代前期の武士。江戸幕府旗本花房職則長男で、旗本花房氏3代当主(備中吉備郡内7220石)

花房 職利(はなぶさ もととし)は江戸時代前期の旗本である。

 
花房 職利
時代 江戸時代前期
生誕 慶長13年(1608年
死没 正保5年1月2日1648年1月26日
別名 平吉、五郎左衛門(通称)、宗玄(法名)
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠家光
氏族 花房氏
父母 父:花房職則、母:津田信蕃の娘
兄弟 職利職休
正室堀田正吉の娘
職重職包
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家系は常陸国久慈郡花房郷を領した足利氏の一門、上野氏の庶流・花房氏である。

概要

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花房職則の長男として出生する。元和6年12月(1621年1月)、時の将軍・徳川秀忠に拝謁したのち父の遺領を相続し[1]備中国高松7220石取りの3代領主となる。

寛永11年(1634年)、将軍家光の上洛の際に、遠江今切の浜名湖にて渡船の手配を担当。正保5年(1648年1月2日、41歳で没した[1]

脚注

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  1. ^ a b 『寛政重修諸家譜 第1輯』(国立国会図書館デジタルコレクション)