若王子遠文

幕末の僧侶、明治期の宮内官、政治家、華族

若王子 遠文(にゃくおうじ ふかあや[1] / にゃこうじ ふかや[2]1828年8月27日(文政11年7月17日[1])- 1898年明治31年)2月10日[1][2])は、幕末僧侶、明治期の宮内官、政治家華族貴族院男爵議員。旧姓・山科[1]、法名・雄厳[1]、幼名・多寿麿[3]

経歴

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山城国京都権大納言山科言知の二男として生まれる[1][3][4]天保14年3月16日1843年4月15日聖護院雄仁法親王門跡に入室し、得度して雄厳と名乗り若王子大僧正盈源の附弟となり、同年8月12日9月5日)に若王子を相続して住職・少僧都に就任[1][3][4]。熊野三山奉行職、住心院室住職を兼務し、慶応2年(1866年大僧正となる[1][3][4]。慶応4年2月25日1868年3月18日)復飾を命ぜられ遠文と改名した[1][3][4]。同日、海軍総督・聖護院宮嘉言親王(雄仁法親王復飾)の輔翼を命ぜられ大坂に出張した[3][4]明治2年2月21日1869年4月2日)、山科家庶流として堂上格に列した[1][3][4]。同年4月17日(5月28日)従五位下に叙され、同年5月2日(6月11日)元服して昇殿を許された[4]1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵した[1][5]

明治2年(1869年)宮中勤番となり、以後、堺県出仕、華族会館京都分局第六部長心得、殿掌、第八区副取締役などを務めた[2]1890年(明治23年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、死去するまで2期在任した[2][6]

親族

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注釈

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『平成新修旧華族家系大成』下巻、329-330頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』81頁。
  3. ^ a b c d e f g 『華族畫報』上、496頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『若王子家譜』
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、9頁。

参考文献

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日本の爵位
先代
叙爵
男爵
若王子家初代
1884年 - 1898年
次代
若王子文健