藤原実任
鎌倉時代の公卿。正三位権中納言
藤原 実任(ふじわら の さねとう)は、鎌倉時代の公卿。正三位権中納言。父は正二位権大納言藤原公雅、母は忠萬法印の女。
時代 | 鎌倉時代 |
---|---|
生誕 | 承元元年(1207年)または承元4年(1210年) |
死没 | 建長5年(1253年)以降 |
官位 | 正三位、権中納言 |
主君 | 土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇 |
氏族 | 藤原北家閑院流 |
父母 | 父:藤原公雅、母:忠萬法印の娘 |
兄弟 | 実任、実躬、実澄、実祐、女子[1] |
妻 | 平盛連の娘 |
子 | 公名、女子 |
経歴
編集以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 承久元年(1219年)12月13日、侍従に任ぜられる。
- 承久4年(1222年)1月24日、従五位上に昇叙[2]。
- 貞応2年(1223年)1月27日、阿波介に任ぜられる。
- 嘉禄2年(1226年)1月23日、正五位下に昇叙。同年3月26日、左少将に任ぜられる。
- 嘉禄3年(1227年)1月23日、播磨権介を兼ねる。
- 安貞2年(1228年)1月5日、従四位下に昇叙。同年2月1日、左少将に遷任。
- 寛喜4年(1232年)1月20日、但馬権介を兼ねる。
- 貞永元年(1232年)12月2日、従四位上に昇叙[3]。
- 文暦2年(1235年)6月14日、左中将に任ぜられる。
- 嘉禎元年(1235年)10月17日、丹波介を兼ねる。同月19日、正四位下に昇叙。
- 仁治元年(1240年)10月20日、蔵人頭に補せられる。
- 仁治2年(1241年)2月1日、参議に任ぜられる。左中将は元の如し。同年10月13日、従三位に昇叙。
- 仁治3年(1242年)3月7日、加賀権守を兼ねる。
- 寛元2年(1244年)1月5日、正三位に昇叙。
- 宝治2年(1248年)3月27日、父公雅の喪に服す。7月21日、復任する。
- 建長元年(1249年)12月24日、権中納言に任ぜられる。
- 建長2年(1250年)1月13日、権中納言を辞す。
- 建長5年(1253年)2月18日、出家[4]。
系譜
編集- 父:藤原公雅(1181-1243)
- 母:忠萬法印の娘
- 妻:平盛連の娘
- 生母不明の子女
- 男子:公名
- 女子