西山芳園
江戸時代の絵師
西山 芳園(にしやま ほうえん、文化元年(1804年[1]) - 慶応3年11月8日(1867年12月3日))は、日本の江戸時代末期の絵師。名は成章、字は子達、芳園は号で、俗称は辰(達)吉。四条派の流れをくみ大坂で活躍、息子の西山完瑛と共に最も大坂らしい画家と評された。
略伝
編集大坂元町周辺で、有力木綿問屋の二人兄弟の次男として生まれる。しかし、家が破産したため三井の呉服商か糸店で丁稚奉公にあがる。そこで絵を描いていると、番頭からその道を薦められ中村芳中に弟子入りする。芳中は自分より良い師をつければ大成すると考え、京都の大家・松村景文に自ら紹介の労を取る。芳園はこの恩を忘れないようにするため、芳中から1字を貰い芳園と号す。ただ、画風に芳中の影響は全くと言っていいほど見られない。しかし、景文についたのは僅かな間、かつ月に1度の通い弟子で、更に実際に指導したのは兄弟子の横山清暉だったともされる。
その後も大坂で活躍、清和温順・幽雅軽淡な筆致で人気を集めた。非常な健筆で、半切2,3枚は日課のように描き、潤筆料はわずか金1分だったという。絹本よりも紙本の作品が多く、渇筆を用いた上品さに独特の風合いがあり、渇筆の良さが出やすい紙本のほうに傑作が多いとされる。晩年は浮世小路に住んだ。慶応3年(1867年)没、享年64。戒名は芳園仁觀義察信士。墓所は大阪市北区東寺町(現与力町)の善導寺。弟子に息子の西山完瑛、菅其翠、久保田桃水、逸見塘雨、五渡亭国升など。
作品
編集作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款 | 印章 | 備考 |
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江ノ島富士図 | 絹本墨画淡彩 | 1幅 | 46.5x72.8 | 泉屋博古館[2] | 芳園 | 「西成章印」白文方印 | ||
洋楽渡来図 | 絹本著色 | 1幅 | 42.5x80.6 | 逸翁美術館 | 1844年(弘化元年) | 弘化改元冬未應需寫/芳園 | 「平成章」白文長方印 | 小竹散人(篠崎小竹)賛[3]。なお逸翁美術館は合計8点の芳園作品を所蔵している。 |
龍安寺雪中図 | 紙本淡彩 | 1幅 | 31.6x57.9 | 黒川古文化研究所[4] | 芳園 | 白文印 | ||
花鳥図 | 1幅 | 林原美術館 | 芳園 | 朱文印 | ||||
龍虎図 | 紙本墨画淡彩 | 双幅 | 119.2x48.9(各) | 個人[5] | ||||
掛蓬葉之図 | 絹本著色 | 1幅 | 110.7x37.2 | ボストン美術館[6] | 1840年(天保11年) | 白文方印 | ||
孔雀雌雄図 | 絹本著色 | 1幅 | 146.6x71.2 | ボストン美術館[7] | 芳園寫 | 白文方印 | ボストン美術館は合計28点の芳園作品を所蔵する。 |
脚注
編集- ^ 享和3年(1803年)とする説もある。
- ^ 公益財団法人 泉屋博古館編集・発行 『泉屋博古 日本絵画』 2010年11月1日、第79図。
- ^ 佐々木丞平編著 逸翁美術館編集 『円山・四条派 逸翁美術館館蔵品目録』京都書院、1984年2月10日、第100図。
- ^ 堺市博物館編集・発行 『堺市博物館秋季特別展 近世の大阪画人―山水・風景・名所―』 1992年10月10日、第66図。
- ^ 「松花堂美術館 2019年初夏展 「ご存知ですか大坂画壇」第3図(PDF)
- ^ New Year's Decoration – Results – Advanced Search Objects – Museum of Fine Arts, Boston
- ^ Peafowl – Works – Museum of Fine Arts, Boston
参考文献
編集- 『なにわ風情を満喫しようー大坂四条派の系譜ー』 大阪商業大学商業史博物館、2017年10月20日
- 中谷伸生 徳光正子 圓井愼一郎 明尾圭造 「平成29年度 大阪商業大学商業史博物館シンポジウム 「なにわ風情を再考する ー大坂四条派の系譜ー」」『大阪商業大学商業史博物館紀要』 第19号、2018年12月10日、pp.3-43
- 明尾圭造 「近代大阪における四条派の評価について ―西山芳園・完瑛を中心に―」大阪商業大学商経学会編集・発行『大阪商業大学論集 第15巻第1号(通号191・192号合併号)』 2019年5月30日、pp.620-595