豊科町
日本の長野県南安曇郡にあった町
豊科町(とよしなまち)は、長野県中西部の南安曇郡にあった町。現在の安曇野市南東部にあたる。
とよしなまち 豊科町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
廃止日 | 2005年10月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 南安曇郡豊科町・穂高町・堀金村・三郷村・東筑摩郡明科町 → 安曇野市 | ||||
現在の自治体 | 安曇野市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方(甲信越地方) | ||||
都道府県 | 長野県 | ||||
郡 | 南安曇郡 | ||||
市町村コード | 20461-7 | ||||
面積 | 39.11 km2. | ||||
総人口 |
27,818人 (推計人口、2005年9月1日) | ||||
隣接自治体 | 松本市、南安曇郡 穂高町、三郷村、堀金村、東筑摩郡 明科町 | ||||
町の木 | コブシ、ケヤキ、ドウダンツツジ | ||||
町の花 | アヤメ、シバザクラ、スズラン | ||||
豊科町役場 | |||||
所在地 |
〒390-8205 長野県南安曇郡豊科町大字豊科4340 | ||||
外部リンク |
豊科町 (Internet Archive) | ||||
座標 | 北緯36度17分53秒 東経137度54分24秒 / 北緯36.2981度 東経137.9067度座標: 北緯36度17分53秒 東経137度54分24秒 / 北緯36.2981度 東経137.9067度 | ||||
ウィキプロジェクト |
本項では町制前の名称である豊科村(とよしなむら)についても記す。
地理
編集隣接していた自治体
編集歴史
編集- 1874年(明治7年)10月25日 - 筑摩県安曇郡上鳥羽村・下鳥羽村・吉野村・成相町村・成相新田町村・本村が合併し豊科村となる。鳥羽・吉野・新田・成相の頭文字をとって「とよしな」とした。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 長野県の所属となる。
- 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、南安曇郡の所属となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、豊科村が単独で自治体を形成。
- 1915年(大正4年)4月1日 - 豊科村が町制施行して豊科町となる。
- 1947年(昭和22年)10月13日 - 昭和天皇が町内に行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[1]。
- 1955年(昭和30年)1月15日 - 南穂高村・高家村および東筑摩郡上川手村の一部と合併し、改めて豊科町が発足。
- 1971年(昭和46年)5月17日- 都市計画法に基づく都市計画区域を導入(合併後の2012年12月20日に廃止)。
- 2004年(平成16年)7月23日 - 穂高町・三郷村・堀金村・東筑摩郡明科町と法定合併協議会を設置。
- 2005年(平成17年)2月28日 - 長野県知事に合併申請。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 穂高町・堀金村・三郷村・明科町と合併して安曇野市が発足。同日豊科町廃止。
- 2015年(平成27年)5月7日 - 安曇野市役所本庁舎開庁に伴い、豊科支所での窓口事務が本庁舎へと移管[2]。老朽化した豊科支所庁舎は取り壊され、近隣の豊科公民館の駐車場として整備される予定[3]。
友好都市
編集国内
編集海外
編集経済
編集地域
編集健康
編集教育
編集廃校になった学校
編集- 豊科町立豊科中学校(1985年に豊科北中学校と豊科南中学校に分割)
交通
編集鉄道路線
編集バス
編集道路
編集高速道路
編集- 長野自動車道
- 豊科インターチェンジ(現・安曇野インターチェンジ)、梓川サービスエリア
一般国道
編集県道
編集- 長野県道57号豊科インター堀金線
- 長野県道310号柏矢町田沢停車場線
- 長野県道441号穂高松本塩尻自転車道線(あづみ野やまびこ自転車道)
- 長野県道495号豊科大天井岳線
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集脚注
編集- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、97頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ “本庁舎開庁に伴う市民課関係窓口の変更”. 安曇野市 (2015年10月29日). 2016年3月29日閲覧。
- ^ “旧豊科支所跡地整備に関わる市民説明会”. 安曇野市 (2016年3月8日). 2016年3月29日閲覧。