赤塚自得
赤塚 自得(あかつか じとく、1871年3月 - 1936年2月1日)は日本の漆芸家、専門は蒔絵[1]、本名は平左衛門。
略歴
編集東京市芝区浜松町、代々漆芸の家系に生まれる[1]。勧学義塾に学びながら狩野久信に日本画、蒔絵を師事、のち寺崎広業に師事し、白馬会で洋画も学ぶ[1]。
作品の発表先を求めて1925年に金工家の香取秀真、陶芸家の板谷波山らと工芸済々会を結成[2]。
1927年には第8回帝国美術院展覧会で漆工の審査委員を務め、1930年、帝国美術院会員となる[3]。
伝統を踏まえながらも自らの創意で自然を描き、漆芸の近代化を進め、大正・昭和初期の漆芸界で指導的役割を果たした[4]。
主な作品
編集- 蓬莱山蒔絵硯箱(1918年作、東京国立博物館所蔵)
- 竹林図蒔絵硯箱及文台(大正期作、京都国立近代美術館所蔵)
- 菊蒔絵硯箱(1900年作、東京富士美術館所蔵)
- 牡丹花硯箱(年代不詳、東京芸術大学大学美術館所蔵)
- 金地蝶牡丹唐草蒔絵文庫(年代不詳、広島県立美術館所蔵)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、赤塚自得に関するカテゴリがあります。