関谷勝嗣
日本の政治家
関谷 勝嗣(せきや かつつぐ、1938年〈昭和13年〉3月6日 - )は、日本の政治家。自由民主党山崎派に所属。(財)愛媛県遺族会会長。
関谷 勝嗣 せきや かつつぐ | |
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生年月日 | 1938年3月6日(86歳) |
出生地 | 日本 愛媛県松山市 |
出身校 | 中央大学法学部 |
前職 |
日本航空社員 関谷勝利議員秘書 |
所属政党 | 自由民主党(旧渡辺派→山崎派) |
称号 |
旭日大綬章 法学士(中央大学・1960年) |
親族 |
父・関谷勝利(元衆議院議員) 義父・加藤常太郎(元衆議院議員) |
第33代 国土庁長官 | |
内閣 | 小渕第1次改造内閣 |
在任期間 | 1999年1月14日 - 1999年10月5日 |
第66代 建設大臣 | |
内閣 |
小渕内閣 小渕第1次改造内閣 |
在任期間 | 1998年7月30日 - 1999年10月5日 |
第53代 郵政大臣 | |
内閣 | 第2次海部改造内閣 |
在任期間 | 1990年12月29日 - 1991年11月5日 |
選挙区 | 愛媛県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2000年6月26日 - 2007年7月28日 |
選挙区 |
(旧愛媛1区→) 愛媛1区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 1976年12月5日 - 2000年6月2日 |
参議院議員(2期)、衆議院議員(8期)、郵政大臣(第53代)、建設大臣(第66代)、国土庁長官(第33代)などを歴任した。
経歴
編集愛媛大学教育学部附属小学校、愛媛大学教育学部附属中学校、愛媛県立松山北高等学校を経て、1960年、中央大学法学部政治学科卒業[1]。カナダ、ブリティッシュ・コロンビア大学留学[1]。
1964年4月、日本航空に入社[1]。1967年10月、退社[1]。1967年11月 関谷勝利議員秘書[1]。1970年1月瀬戸内海放送取締役[1]。1974年1月松山青年会議所理事長[1]。
1976年、父・関谷勝利の引退に伴い、その後を継ぎ衆議院議員に初当選。1990年に海部内閣で郵政大臣、1999年に小渕内閣で建設大臣・国土庁長官に就任する。
1997年、自民党政治改革本部長に就任。
2000年、塩崎恭久との変則コスタリカ方式によって、第42回衆議院議員総選挙に出馬せず(塩崎が関谷の後継として出馬)、塩崎の衆院転出に伴う参議院議員補欠選挙に出馬し、参議院に鞍替えした。2001年に再選。在職中は、参議院憲法調査特別委員長、参議院法務委員会理事を務めた。
2007年の第21回参議院議員通常選挙に立候補するも、同選挙における自由民主党への逆風の煽りを受けて友近聡朗に敗れ、片山虎之助や金田勝年などの大物議員と共に落選。
人物
編集政治家として
編集- 郵政族として知られ、郵政民営化には批判的であったが、派閥の長である山崎拓の意向に従い賛成を明言。2005年7月7日の山崎派総会で「(法案が否決され)解散になれば自民党は負け、瓦解するかもしれない」と、内閣総理大臣小泉純一郎を批判した。その瞬間、山崎に「何をごたごた言ってるんだ。やめろ」と遮られた。関谷はこれに抗議し会長代行を辞任した。この一部始終はメディアにも大きく取り上げられた。関谷はその後山崎派副会長に就任している。
- 郵政族であることから、アマチュア無線に造詣が深かった。のちに首相を務めた同じ郵政族の小渕恵三とともに「国会アマチュア無線クラブ」の設立に尽力した。
台湾との関係
編集- 父・勝利の代からの親台湾派の議員であり、自身も日華議員懇談会副会長を務めた。2000年9月12日には、長年の日本と中華民国との友好関係への貢献が評価され、外国人に贈られる最高の勲章「大綬景星勲章」が、東京の台北駐日経済文化代表処の羅福全駐日代表を通して授与された。
- 2006年1月13日には、中華民国も加盟しているアジア・太平洋国会議員連合(APPU)の日本議員団団長として訪台。議員団一行とともに中華民国総統陳水扁を表敬訪問し、会談した。
家族・親族
編集関谷家
編集元労働大臣の加藤常太郎衆議院議員は義父。宮沢喜一元首相は遠縁にあたる。
2005年の衆議院選挙には比例四国ブロックで長男の関谷水(せきや たいら、1972年6月9日 - )が自民党公認で立候補したが、次点となった。
選挙歴
編集当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第34回衆議院議員総選挙 | 1976年12月 5日 | 38 | 旧愛媛1区 | 自由民主党 | 6万2445票 | 20.86% | 3 | 3/6 | / |
当 | 第35回衆議院議員総選挙 | 1979年10月 7日 | 41 | 旧愛媛1区 | 自由民主党 | 6万9776票 | 29.56% | 3 | 3/4 | / |
当 | 第36回衆議院議員総選挙 | 1980年 6月22日 | 42 | 旧愛媛1区 | 自由民主党 | 8万892票 | 28.83% | 3 | 3/4 | / |
当 | 第37回衆議院議員総選挙 | 1983年12月18日 | 45 | 旧愛媛1区 | 自由民主党 | 7万1955票 | 35.70% | 3 | 2/4 | / |
当 | 第38回衆議院議員総選挙 | 1986年 7月 6日 | 48 | 旧愛媛1区 | 自由民主党 | 7万4026票 | 27.06% | 3 | 1/7 | / |
当 | 第39回衆議院議員総選挙 | 1990年 2月18日 | 51 | 旧愛媛1区 | 自由民主党 | 6万6425票 | 21.83% | 3 | 2/7 | / |
当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年 7月18日 | 55 | 旧愛媛1区 | 自由民主党 | 7万9461票 | 30.09% | 3 | 1/5 | / |
当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 58 | 愛媛1区 | 自由民主党 | 9万305票 | 45.34% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第17回参議院議員補欠選挙 | 2000年6月25日 | 62 | 愛媛県 | 自由民主党 | 41万4596票 | 59.24% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第19回参議院議員通常選挙 | 2001年 7月29日 | 63 | 愛媛県 | 自由民主党 | 41万3083票 | 61.04% | 1 | 1/4 | / |
落 | 第21回参議院議員通常選挙 | 2007年 7月29日 | 69 | 愛媛県 | 自由民主党 | 31万8304票 | 43.13% | 1 | 2/3 | / |
著作
編集所属していた団体・議員連盟
編集脚注
編集外部リンク
編集公職 | ||
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先代 深谷隆司 |
郵政大臣 第54代 :1991年 - 1992年 |
次代 渡辺秀央 |
先代 瓦力 |
建設大臣 第66代 :1998年 - 1999年 |
次代 中山正暉 |
先代 井上吉夫 |
国土庁長官 第33代 :1998年 - 1999年 |
次代 中山正暉 |
議会 | ||
先代 三原朝彦 |
衆議院外務委員長 1996年 |
次代 逢沢一郎 |
先代 鹿野道彦 |
衆議院運輸委員長 1987年 - 1988年 |
次代 小里貞利 |
先代 松永光 |
衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長 | 次代 簗瀬進 |